「私のメモワール」
私の「自動車趣味の変遷」をお知り頂きたい・・・との
個人的な「承認欲求」で始めた
過去の記述を再掲載するヴァージョンです。
今回は、
今から11年前の(2017年3月1日現在)
2006年8月26、27日のmixi日記に書いた
「私見 ポルシェとフェラーリ」1,2
「情熱」の化身 編と、疾走する「冷静」 編をまとめて
旧聞「私見 ポルシェとフェラーリ」1としたものです。
この当時、現行車よりもっと個性の違いが強かった両車。
必ずしも現行車に当てはまらない事が多いのですが
当時を懐かしむ意味でも
その時の印象をそのまま備忘録的に掲載します。
フェラーリF430とポルシェ911(997) 6MT を
同時に乗り比べつつ、生来の「素性の違い」を楽しみ、
私なりの考察で、書き綴ったものです。
写真含め、当時の原文まま転載いたします。
「情熱」の化身
「神戸鳴門淡路自動車道」を淡路島側から「明石海峡大橋」に入ると
長い上りの後、後半神戸側に下って行くことになる。
約4kmに及ぶ世界最長のこの吊り橋は建設中
「阪神淡路大震災」により地盤が動き、
中央支間が1m伸びたエピソードを持つ。
この日、道幅の広い3車線道路は幸い空いており、
下りということも手伝い、
私がステアリングホイールを握るフェラーリF430は
ハイスピードで舞子トンネルの巨大な入り口に
ジェットコースターの様に吸い込まれてゆく。
エグゾーストノートが全長3kmのトンネル内に反響し、
一瞬トリップするかのような、
なんともいえない高揚感に包まれる。
眼前のステアリングの中央にはエアバッグ導入以来
ホーンボタンとしては機能することも無くなり
今や飾りとなった「跳ね馬」のマーク。
メーターパネル内にもこのマークは配され、
ステアリングやインストルメントパネルのデザイン、パドルシフト・・・
「栄光のフェラーリ」を手に入れた事の喜びが否応にも高められる。
フェラーリF1の車載カメラシーンを彷彿とさせる演出に
ドライバーはイチコロになる瞬間だ。
トンネル内に弾ける様にコダマするハイトーンに包まれ、
高回転で回るエンジンの鼓動を背中で感じながら、
迫り来る風景をこのクルマのコックピットから見据える時、
速度に負けない様しっかりとハンドルを握りながら、
オーナーは至福の時を味わう。
「フェラーリは社会の成功者が
その日常の激務やストレスから一時解き放たれることのできる
高額な合法ドラッグの一種・・・」との説もあながち大げさではあるまい。
蛮勇ふるい、
さらにアクセルペダルを踏み込む時
「このまま死んでしまってもいい!」とさえ思わせる
「強烈な疾走感」の魅力は、
さながら美女の誘惑に己を見失ってしまった事を知りながらも、
その危険な魅力にさらに溺れてゆく様なものかも知れない。
人間に流れる熱い血潮そのもので
「情熱」を煽るクルマだ。
人間の欲の突き進むエネルギーを
最も具現化した乗り物かも知れない。
その日も
淡路島の南端まで「神戸鳴門淡路自動車道」を往復するルートの
ツーリングの帰りだった。
今年はこのコースを何度も走っている。
阪神間からアクセスがスムースな上、道路事情も良く
淡路島内にはランチやカフェ利用に打って付けの
ハイセンスなホテルが何箇所かあるため、
阪神間のスポーツカークラブの日帰りミーティングによく使われるのだ。
帰り道、このトンネルに落ちるように入ってゆく瞬間が大好きだ。
ティータイムでのクルマ談議が終わり、
後は家路を急ぐだけという開放感も手伝い、
自分と愛車の一体感がハッキリするからだ。
それはまさしく乗っているクルマの運転感覚の違いがはっきり表れる時間でもある。
疾走する「冷静」

現在の2006年式997 (岐阜県せせらぎ街道にて)
同じお気に入りのセクション(「情熱」の化身 参照)を
ポルシェ997カレラS(6MT)で走ったときはどうだったのか。
こっちの方がスピードはもっと上のはずだ。
なにせ、このクルマときたらスピード感が極めて少ない。
フェラーリで感じる疾走感と同じレベルを求めると数段上の速度域に達してしまう。
フェラーリはスピード感を音や振動、低い着座位置などで
意図的に演出し「ドライバーを怖がらせる演出(?!)」をしているのかも知れない。
意外にも、
低い速度でも私の望む「疾走感」が得られやすいのはフェラーリの方なのだ。
かなりのハイスピードでも
ポルシェのコックピットのドライバーは
目の前に整然と並ぶ計器の数値を確かめる余裕がある。
とんでもない速度でカッ飛んでいる最中ですら
「油温は案外平常だな・・・」「エアコンの風向きをちょっとこっちに・・・」など
いたって冷静でいられる。
特にトンネル内ではフェラーリに慣れていると拍子抜けするほど静か。
リアエンジンである事で「音」は高速になればなるほど後ろに置き去りになるのだ。
フェラーリで長距離ツーリングから夜中飛ばして帰ってくると、
エンジン音の余韻が頭の芯に残り、
「ワーン」と痺れた様に神経が昂ぶったまま、直ぐには寝付かれない。
空冷時代のポルシェもそうであったはずだが最新では耳の疲労感は皆無。

1996年式993の頃 (当時の自宅車庫前にて)
疲労感がなくなったのは良いが「スポーツカーのエンジン音」の高揚感は失った。
意図的に排気音は消され、
「クオーン」という吸気音が心地よく聞こえる様にしているようだが・・。
ポルシェの実用車としての真骨頂は、
彼の地のエグゼクティブが会社までの長い道のりをアウトバーンで通勤する時
「時間をお金で買う」ためのクルマである事だ。
毎日のように超高速で通勤となると
運転者に疲労やストレスを与えず安全に速いクルマが求められる。
そこにアウディのスポーツ四駆などの需要があるわけであるが、
マーケットのなかでも特に一人で運転するアグレッシブなドライバーの求めに
ポルシェが応じている。
フェラーリが私のところに来てからというものの、
ポルシェは俄然、実用車寄りになった。
駐車場所が確認できないところへのツーリングや、
疲れている時などはフェラーリではなくポルシェで出かける。
ドライバーにつとめて「冷静」をもたらしてくれるのがポルシェなのだ。
ワインディングロードで、
荷重移動をきっちりとコントロールしながら中高速コーナーを
右に左にリズミカルにクリアする時、
今なおレースのトップクラスをリアエンジン車で戦っている事が理解できる。
いったん鞭を入れると、
その「ファニーフェイス」とは裏腹に
獰猛な獣のごとく「ギャーン」というエンジンの叫びを伴い、
次のコーナー目掛けて襲い掛かってゆく時のトラクションの物凄さ。
しかしそんな時でもポルシェのドライバーはコーナーの路面を読みながら
意外と冷静にハンドルを切り、ペダル操作しているものなのだ。
休日のサーキット走行を趣味とするお金持ちが
「ポルシェは積載車に委ね」、
「サーキットへの往復は自分の運転するフェラーリで」
というような使い方をする人が多い。
タイムを出す走行では「冷静」さを、
ツーリングでは「情熱」を必要としているのであろうか。
かく云う私は1日の走行距離が長く、
「旅」の意外性を楽しむ長期のグランドツーリングの相棒はポルシェがいい。
しかもここに来て、そのポルシェでのツーリングは
現行カタログモデルであれば「カイエン」を含め
必ずしも「911」でなくてもその旅の印象は変わらないかも知れないな、と思い始めている。
1日の走行距離が比較的短く、
「旅」の意外性よりも「走る悦び」を重視するツーリングで、
コースの道路事情や宿泊先が好条件であればフェラーリを相棒とするのが面白い。
高級スポーツカー市場の双璧をなすこの2車はやはり「見ているところが違う」のだろう。

1992年式964カブリオレの頃 (鈴鹿サーキットパドックにて)
初出「2006年8月26、27日のmixi日記」
原文まま