
1969年2月12日フジテレビ「夜のヒットスタジオ」に出演した、当時人気絶頂だった小川知子が収録中「初恋の人」を歌いながら泣き崩れてしまった様子が全国ネットで流れました。いったい何が起こったのかとテレビを見ていたみんなが思ったのですが、実は収録の直前に恋人が事故でなくなり、それに耐え切れなかったからでした。
恋人の名前は「福澤幸雄」といい、あの福澤諭吉の曾孫で、ファッションモデル兼トヨタファクトリドライバーを務めていました。
彼はスポーツ800、1600GT、2000GT、トヨタ-7などのマシンに乗り、数々のビッグイベントで好成績をおさめてきました。特に1968年11月、富士スピードウェイでおこなわれた“日本CAN-AM”での健闘が有名。並みいる外人プロフェッショナルと7リッターのビッグ2座席レーシングカーを相手に、3リッターのトヨタ7で戦い総合4位。日本人選手の中では第1位という成績で大活躍をしました。
トヨタ2000GTでは、1966年秋に同社が茨城県谷田部の自動車高速試験場でおこなわれた“スピード記録挑戦”に参加、4人のチーム・メートと交代でハンドルを握りながら70時間あまりを走りきって輝かしい記録を作りました。
また、レーサーとして活躍するかたわら、アパレルメーカーエドワーズの取締役兼企画部長を勤め、さらに男性ファッションモデルとしても世に広まります。CMの世界では、1967-1968年頃にマックスファクターフォーメン、パナソニックトランジスターラジオ、東レ、トヨタパブリカ等のイメージキャラクターでもありました。(トヨタパブリカの宣伝用ポスターは、ファンの間でもとりわけ人気が高く、しばしば持ち去られることがあったと言われています。)
レーシングドライバーとして更なる飛躍を期待されていたが、1969年2月12日に静岡県袋井市のヤマハテストコースでトヨタのレーシングカー、トヨタ-7(目撃証言によると車はクローズドボディと言われていますが、トヨタは認めておらず、写真も公開されませんでした。)のテスト中に起きた事故により、この世を去りました。享年25。
替わって頭角を現したのが「川合 稔」でした。
彼は他のドライバーたちと比べて下積み生活が長く、“トヨタ・スポーツ800”や“トヨタ 1600GT”を駆り、福沢や鮒子田らが“トヨタ2000GT”、“トヨタ―7”で活躍している時期にたえずサブ・イベントに参加し、地道にレースを行なっていたのでした。
その結果、1968年度全日本ドライバー選手権では、同じトヨタ自販(福沢らは、ワークス・トヨタ・チームのトヨタ自工からエントリーしており、川合は、言わば2軍チームでありました)の高橋利昭に次いで、ランキング総合2位になることが出来ました。当時回りでは、川合のトヨタ自工のワークス・ドライバー入りは、時間の問題だと言われていました。
そして、意外に早くそれは川合に訪れたのでした。1968年暮れに行なわれた「日本CAN-AMレース」に、正式にトヨタ自工のファクトリー・ドライバーとして参加し、9位に入りました。(優勝はマクラーレンM6BのPレブソン)
翌年の1969年、第2回日本CAN―AMでのトヨタチームの意気込みはすさまじいものでした。日産に連覇された日本グランプリの借りを返そうという意気込みを感じずにはいられないエントリーをしてきたのです。
前年と比べ絶対的なスピード差はないものの前半は、オートコーストTi22に乗るジャッキー・オリバーの一人舞台でした。 ところが、47周目燃料ポンプの不調でコース場にストップしてしまい、これで、2位につけていた川合のトヨタ7がトップとなり、2位に大量のリードを保ちながら初優勝し一躍ヒーローとなりました。(この様子をテレビで見ていましたが、オリバーの車が急に煙を吐きコース脇に止まってしまい、脇に出てきたオリバーが悔しそうにリヤのタイヤを蹴飛ばしていました。)
またプライベートでも69年のNETスピードカップレースでレース・クイーンをしていて、テレビで「Oh!モーレツ!」のCMで流行語を作っていた小川ローザと結婚し話題を振りまいてもいました。
さらに、モデルであった小川ローザ(本名河合静代)と2人でトヨタ(コロナ1600SL)のポスターに登場し、トヨタ車のイメージアップに一役買っていたのもこの時期でした。公私共に人生で一番輝いていた頃でした。
しかし幸せの絶頂のさなかの1970年8月26日 鈴鹿サーキットで通常の性能テスト。この日の午後に開始されたテストで事故は起きました。
3時50分頃、川合のトヨタ7ターボが、ストレートをターボ独特のヒュ―ンというエンジン音を残して走り過ぎていきました。その時ピットからは、次ぎの周にピットインする指示が川合に出されましたが、川合のマシンは、そのまま2度と戻ってきませんでした。享年27歳。
池沢さとしの『サーキットの狼』の登場人物「飛鳥ミノル」のモデルは川合稔で、飛鳥ミノルの妻であり主人公風吹裕矢の姉である「風吹ローザ」のモデルは夫人の小川ローザです。
ちなみに若くして未亡人となってしまった夫人はイタリアに移住し、後に映画「陽は沈み陽は昇る(1973)」に出演しました。
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どうでもいい車の話 | クルマ
Posted at
2007/04/04 21:45:59