先日書いたブログの内容について記事を読んでいる方からいくつかのご意見を頂いたのですが、お褒めの言葉を頂戴しましたし、またご批判もいくつかいただきました。失礼ながら私の言いたいことの趣旨とは少しばかりズレているような気がするのでもう一度だけくどいようですけどお話させて頂きます。今回も趣味道楽のネタとはかけ離れていますので興味のない方はスルーしてください。
私のような親の、子供に対するスタンスは
「米百俵」だと思っています。
キザな言い方になるけれども、私は未来に投資していると思っているんです。
「一流のキャリアを持ったところで仕事が出来なければなんの意味もない・・」そういうご意見が殆どですけれど、それは社会に出れば当たり前のことです。
(しかしながら学歴とか何らかの資格というキャリアは今まで頑張って努力してきた証でありそれなりに大切なモノではあるが)
・・だいたい学校を卒業したばかりのハナタレが使えるわけがないし、「即戦力」という言葉なんて甘い。自分たちの器が小さくて貧しいことを内外に宣伝しているようなものだ。
真摯な若者の感性を信じてじっくりと育ててください。
私が思うことはそこではなくて、「それでは何のために高度な教育を受けるのか?仕事に使えない教育を受ける必要があるのか?」・・
たとえば、長い間続けてきたのでこういう仕事は「眼を閉じてでも指先の感覚で判断出来る」という話を聞くこともあるけれど、私はだからこそ「しっかりと目を開けて手元を見てくれ」「きちんと計器を使ってちがいをはっきりさせてくれ」と言う。
おそらく目の前の仕事はきちんとこなせるだろう。しかし眼を閉じていたら黒が白に変わってもわからないだろうし、なぜこうなったかはわからないだろう。
(私の持論ではあるが)確かな経験と若い感性とが結びついて新しい技術というのは生まれる。
いささかわかりにくい喩えではあるが要は「感性を磨く」「視野」を広げて欲しいということ。
こういう命題は純粋でアカデミックな世界でないと身につかない。俗っぽさから離れて純粋さに我身を浸せるのは若い世代でしかない。
立ち止まって周りを見渡せる時間がなければ絶対に身につかない。
親が子供に教育を受けさせるとはこういうことだと思っている。(他人がどう思っているのかは知らないし、知る必要もないでしょう)
そのことと仕事が出来る、出来ないとか使える使えないとかは関係ないし最初はできないことが当たり前、デフォルト。出来なければ出来るように、先輩たちが教えてやってください。それも大切な仕事ですから。(学歴があっても・・とか何の役にも立たない資格・・とかはけして言ってはいけないと思う。それは彼らの今までの努力に対しての侮辱でもあるし、会社の人事が人を見る目がないということですので)
徐々に時間をかけて咲く花もあれば、ある日突然咲き始める花もあります。
どんな咲き方をするにしても十分な肥料と水が必要です。今の社会にはそんな余裕が無いのならせめて家庭にいるうちだけでも大切に育てなければいけないでしょう。
就職に有利だとか仕事に使えるとかそういうことは全く考えていません。それは子供たち自身が判断することで、自分のやりたい事を見つけてそれに向かって努力することです。親はそこまでは関知できないし、する必要もないでしょう(心配はするけれども)。
「基礎つくり」までです。
Posted at 2012/03/18 13:20:20 | |
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