
ロッキード社の設計者、クラレンス(ケリー)・ジョンソン率いる設計チームスカンクワークスが開発したアメリカ初のマッハ2級のジェット戦闘機です。
愛称はスターファイター (Starfighter)。初飛行は1954年2月。日本の航空自衛隊では栄光という愛称を持つほか、日本のファンの間では「マルヨン」の愛称で親しまれています。
細い胴体に、短い矩形の主翼がついており、この主翼縁は薄くナイフのような切れ味を持っていました。そのため駐機中は人を守るためにカバーを取付けていました。
インテイクは胴体脇にショックコーンとともについており、切り詰められた小型軽量の機体に強力なエンジンを搭載した機体です。尾翼はT字尾翼となっています。
登場時はアポロ計画など宇宙開発の進行やSFの影響で、将来の戦闘機は自律制御コンピュータが搭載されパイロットは無用になる、との見方がありました。
そのためか、日本では最後の有人戦闘機とも呼ばれました。これはultimate manned fighterを訳したものだと思いますが、正しい和訳は究極の有人戦闘機ではないでしょうか。英語のサイトを検索しても"last""final"などの枕詞の表記は皆無です。
細い胴体に極端に小さな主翼。日本では三菱重工がライセンス生産していたことから、空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称もあります。
アメリカ空軍では、1958年2月に防空空軍において部隊運用が開始されました。
しかし、1959年に同じマッハ2級の戦闘機であるF-106の部隊配備が開始され、公式には「SAGE(半自動地上管制迎撃システム)との連携機材が搭載できない」と言う理由で早くも1960年には退役し、州空軍や海外供与に回されました(1963年に一時現役復帰するが、1970年以降にまた退役)。
1965年ベトナム戦争においてMiG戦闘機が出現した時、それに対抗するために南ベトナムに派遣されたのが、アメリカ空軍において(意外にも)唯一、本来の目的に使われた例です。ただし北ベトナム戦闘機との空戦の機会は無く、ミスにより中華人民共和国領空に入った機体が撃墜されたりしています。部隊は1年で帰還しています。
F-104Cの改良型である F-104G が西ドイツを中心にNATO各国で大量に採用されました。
西ドイツ空軍では、機体特性に合わない低空侵攻用の戦闘爆撃機としても用いられたことから訓練・演習中の墜落事故が多発しました。そのため、「空飛ぶ棺桶」「縁起の悪いジェット機」「未亡人作成機」などと呼ばれていました。
航空自衛隊でもG型を基に日本での要撃任務用途にあわせて火器管制装置などを改良した F-104J および複座の練習機 F-104DJ を採用した。
F-104J は当時の日本の防衛ドクトリンにあわせ、射撃管制装置から対地爆撃部分を取り外しており、対地攻撃能力と空中給油能力を持っていません。
武装は 20mmバルカン砲とサイドワインダーミサイルを標準装備できるようになっており、このうちバルカン砲は半数近くの機体が未装備で、未装備機の機体の銃口はふさがれ、空きスペースには予備の燃料タンクを有していました。
サイドワインダーでは全天候戦闘は不可能であるがために、全天候迎撃機を求める航空自衛隊の要求仕様を満たすために、ロケット弾の装備も可能になっています。
単発エンジンで故障も多く、金沢市での落雷による墜落事故を契機に、自衛隊戦闘機の選考にも影響を及ぼしました。
F-4EJ、さらにはF-15Jの配備が進むと減数となり、1986年(昭和61)に207飛行隊の解隊をもって実戦部隊から退役しました。
また実戦部隊からの退役時にアメリカに引き渡された機体の他にもかなりの機体が飛行可能な状態であったため、その中から14機を最終的に無人標的機 UF-104J/JAに改修して使用しました。
航空自衛隊最後の「マルヨン」でもあったUF-104JAは1997年(平成9)3月に標的として全機撃墜され、これをもって航空自衛隊から全機退役しました。
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Posted at
2007/04/18 16:22:54