
どうも。
最近引きこもりの生活にすこしばかり快感のようなものを感じ始めて「これではいかん」と思いながらも、目の前に広がる「漂白」の現実に「どうでもいいや」と投げやりになっているおじさんです。
「勤労感謝の日」はいつもどおり出勤しましたがさすがに息が詰まったので翌日は久しぶりに体調不良という「ズル休み」。しかし翌日出社すると「休みが溜まっているんだからもう少し休めばいいんですよ」とか「全然問題ないですよ」とか、若者に言われておじさんはちょっとフクザツな気分。「お前ら、もうちょっと心配しろ、コノヤロー」「お願いだから・・もうちょっと心配してね」
まぁ何かの歌にあったけれど「今、古い船を動かせるのは古い水夫ではないだろう」ということで,まぁノーテンキにさせてもらいます。(年寄りが「まだまだ若い者には負けない自信がある」なんて意気込むのも何かあまりカッコのいいものでもないし)
・・・ブログの書き方忘れちまったよ
閑話休題
今回は初代アルトです。
”TOMICA”の”VINTAGE”シリーズのバリエーションなんですが、このシリーズは人気があるようで、通常のTOMICAの三倍近くする値付けにもかかわらず売り切れの車種が多いですね。まぁ大人がノスタルジーに浸るのには手頃な価格とスケールも1/64という手頃な大きさで人気があるんでしょうね。
もう一台は「国産名車コレクション」からのものでこちらは赤1/43と少し大きめです。
私が社会人になって最初に配属された職場は打ち合わせとか結構外出が多く、その度に総務に車を借りに行っていたのですがめんどくさいので「職場専用の車を・・」と頼み込んだ結果この車がやって来ました。ただし新車ではなく営業が使い込んだ中古でしたが。メーターも間違い無く一周しているようで、足はガタガタ、シートはぺたんこで走るとどこからかカラカラ音がしていました。当然クーラーなんて付いていなかったので夏は誰かがディスカウントショップで買ってきた車載用の扇風機をガムテープでピラーに止めて使っていたし、ラジオもなかったのでK国製のラジカセを積んでいましたね。時々車好きな奴が安物のオイルを継ぎ足していただけですけど故障もしないで四六時中よく走ってくれました。足掛け三年くらいの付き合いでしたが最後は車検を通すのもお金がかかりすぎるということで処分することになったのだけれども最後の日はみんなで写真をとった覚えがあります。みんな同じように寂寞の思いだったようです。私はそれから一ヶ月後にある事情で職場を去ることになったのでその当時のこの車には特に思い出があります。
ご存知のようにこの車は「全国一律47万」という当時としては衝撃的な低価格でベストセラーになったのだけれども、当時の車雑誌上で繰り広げられる不毛なスペックの評論などどうでもよくて車を完全なツールとして扱いたい人がたくさんいるんだなと思いました。
それと意外と気づいていないひとが多いのだけれども、はっきりと本社レベルで値段を表示した車ってこれが最初ではなかっただろうか。当時はカタログにも広告にも値段って表示されないのがあたりまえで、販売店がそれぞれ独自に値付けをしていてお店に行かなければ本当の値段がわからないのが当時の車ではなかったろうか。今ではカタログにも記載されているのが普通ですけど。流通上でのコストの扱い方もこの車以降変わったのではないでしょうか。(予め値段が設定されてしまうと末端の販売店では値引きという奥の手が使いづらくなるんですね)
また製造する側もコストを抑えるノウハウをこの車を造ることを通して学んだと思います。
発展途上国(インドとか中国とか他のアジア諸国)において今現在車先進国のどこのメーカーも販売価格で日本円にして80万円の壁に当たっているそうですけど、スズキだけは50万円以下の車を売ることが出来るそうです。そういうコストを抑えた車を作るノウハウがこの会社にはあってそれもこのアルト作ることで学んだのではないでしょうか。
単に安いからというだけでなく、今の会社の礎を築いた車ということで「歴史に残る名車」と呼んでもいいのではないでしょうか。
Posted at 2010/12/06 23:35:27 | |
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