
久々に「欲しい!!」と思ったカメラが出ました。
富士フィルムの”X-30”です。
前のモデルのX-20や上位機種のX100も食指が動いたのですがイマイチ踏ん切りが付きませんでしたが女房を拝み倒してここでとうとう買っちまいました。ほとんどすべて格好がいいというだけです。
フィルムからデジタルに変わって簡単にきれいな画像が誰にでも撮れるようになってきて、今までのカメラという「メカ」の縛りから開放された人達(特に女性が)が、今まででは考えられないような素敵な作品を生み出すようになったけれども、その反面作画ではなく二度と読み返すことのない無駄な記録もしくはほとんど意味のない時間への句読点としての「撮影」が圧倒的になったのも事実。
フィルムというコストを気にしなくて良いスタイルは「職人」が自分の分身とさえする包丁を使って作り上げたもはや芸術とすら思える料理の盛り付けと、キャベツのざく切りをプラスチックのざるに放り込んだものを同じテーブルに出されたような感すらある気がしますが。
自分のお気に入りがほとんどすべて「偶然性」に支配されるということはなぜか悲しい気分。
あの両腕を伸ばしてモニターを見ながら撮影するスタイルはどうも(何も頭に浮かばなくなる)違和感と(頭に血が上るほどの)拒絶感を感じていました。
(話は飛ぶが・・あの「この紋所が目に入らぬか・・」とばかりにスマホのレンズをいっせいに掲げられて、たくさんの助さん格さんに責めらても誰にひれ伏したらいいか被写体も困るだろうな。あれはPM8:35あたりだけにしてほしいものだが・・)
なのでコンシューマー向けのマーケットがデジカメだけになってからは食指が動くようなカメラってあまりなかったですね。
やはりカメラは「ファイダー」で撮影するべきものと思い込んでいるのですがしかし今更私には一眼レフは大げさすぎるし。
なので今持っているデジカメはパナソニックのDMC-FZ20という十年前のカメラでファインダーが使えるし、小さなボディにバカでかいレンズ(VARIO-ELMARIT !! 画質最高!!)が付いている重くて、バッテリーをカメラが使い放題の携帯性なんてまったく考えていない、「レンズ、画質こそ命」のカメラなんですが、さすがに家族揃っての外出にはきついのでカシオの小さいやつを持っていきますが。
なのでこの煩悩の塊、散財日記にはあえて触れられなかったですね。
スタイルは、ちょっと前のライカのようですしファインダーも使えます。(携帯用の革ケースも含めて本当にライカのようです)メインの操作も昔のフィルムカメラのようにダイヤル式で直感で操作出来ます。ズーム(35〜110mm)も モーターではなくリング回しのマニュアル。
まだ触りの段階なのでわかりませんがバッテリーもけっこう持つようです。それとこれが一番の売りなんだろうけど、富士フィルムのカメラって昔のフィルムの画質を再現するフィルムシュミレーションという機能があって(若い人にはわからんだろうけども)ベルビア(表記はビビッド)とかアスティアとか当時のフィルムをシュミレーション出来るんです。昔はフィルムによって画質がガラッと変わってしまうのでフィルムを選ぶ楽しみもありました。(”コダクローム”とか”エクタクローム””アグファ” モノクロでは”TryX”なんて言うのもあった。)それでX30には他機種と共通のシュミレーションのほかに”フジクローム”も再現できます。フジクロームは赤が低くて深みがある、多分東ヨーロッパのカメラマンが撮った作品のような画質になるのかなと。
以前は浅井慎平、三好和義、宮沢正明、アンセル・アダムス、カルティエ・ブレッソンなんて好きだったな。
カメラのボディとかレンズの数字上のスペックとか物理的な特性なんてどうでもよくて記録よりも絵画を描く延長としてのカメラの画像が好きだったし今もそうです。
まぁこのクラスになればどれを買ってもそれなりのものがあるし、後は自分のこだわりとか好みで選んでもどれも正解かなと。
とにかくまだ何も慣れていないのでそのうち詳しく・・
とりあえず「へへへ・・いいでしょう、これ」と言う自慢話ということで。
Posted at 2014/09/30 10:41:39 | |
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