
途切れがちではありますが皆さんお元気でしょうか?
私の方はなんとかやっています。
28日から連休になったのですが三日間は普段手抜きしている掃除とか、身の回りの整理とかで何もしないで時間が過ぎていきましたが、なにかテンションが上がらないのでそれもまたいいのかもしれません。昨日は久しぶりに車の洗車をしたのですが、車を洗って車庫に入れようとした途端セルがうんともすんともいわなくって、つまりバッテリーが逝ってしまいました。
今のバッテリーはいきなり逝ってしまうんだなぁ。ディーラーに連絡して一時間くらいで交換してもらえたが。それにしてもたかがバッテリーの交換くらいで、しかもいきなりの出張サービスにもかかわらずちょっと丁重すぎる対応で、確認の連絡も含めてなにか申し訳ない。
ずっと前に買っておいてそのままのしておいたDVDが何枚かあったので開いた時間に見てみました。
「ウェールズの山」
先日は英国の王子の結婚式で新聞の一面を飾っていましたが、暗いニュースばかりだったので他所の国のこととはいえこういうおめでたい報せはなにかホッとしますね。だからというわけではないですがこの作品は英国の作品(正確にはウェールズ)で主演はヒュー・グラント
1917年のある日曜。ウェールズのとある小村を二人のイングランド人が訪れた。ジョージ・ガラード(イアン・マックニース)とレジナルド・アンソン(ヒュー・グラント)、彼らはその地の”山”フュノン・ガルウの測量にやって来た技師だった。二人はモーガン(コーム・ミーニー)の宿屋に泊まるが、測量の噂はたちまち村中に伝わり、フュノン・ガルウの高さをめぐって話題はもちきり、賭けまで開帳される始末。フュノン・ガルウこそは、歴年、侵略者から村を守ってきた、村人の誇りなのだ。だが測量の結果、フュノン・ガルウは標高299メートル、”丘”に過ぎないことが分かり、村は騒然となった。”山”と認められるには、305メートルの標高が必要なのだ。集会所で、事態を話し合う村人たち。モーガン、そして彼と犬猿の仲のジョーンズ牧師(ケネス・グリフィス)の提案に、一同の見解は決した。一致団結”丘”を”山”にするのだ。翌朝、大作戦が始まった。
測量士たちの車をわざとエンコさせ、足どめに成功。一方、老若男女、子供たちまで総出で、山の土盛りが始まった。なんとか丘の上に土をもり305メートル以上にしようというのである。しかし、村人たちの奮戦むなしく、木曜、無情の雨が降り出し、盛り土は無惨にも流れ出してしまう。
最終日、安息日だが最後の盛り土が始まった。盛り土を安定させるため、ラグビー場の芝生までが剥がされる。今や測量に訪れたアンソンまで村人と一つになり、盛り土を手伝っていた。翌朝、測量したアンソンは、フュノン・ガルウの標高が306メートルとなった“山”としての存在が認められた。
まぁそれだけの、なんともバカバカしいくらいの話しなんだけれども。
イギリスっていう国は対外的にはひとつの国なんだけれどもやはり本当は四つの国の集まりでそれぞれがアイディンティティを持っていて誇りがあるんだなぁと思いました。日本ならばたとえば北海道生まれの人と沖縄生まれの人がそれぞれの全く違った故郷の自慢をしても最終的には同じ日本という落ちどころがあるのだけれども、彼らはどこまで行っても平行線らしい。
だからこそこんなバカバカしく思えることにさえ、後で誇りに思えるような印を残そうとするんだろうな。
腹を抱えて馬鹿笑いをするほどの喜劇でもないし、涙が止まらないほどの感激もないけれど、暴力もないし、誰も傷つかない。悪人が独りもいない(最後にこの計画の言いだしっぺの村の教会の牧師が亡くなるのだけれども、高齢で体力的に無理な泥運びをした結果なのでこれはしょうがないと思う。)そういう意味では本当にジェントルで控えめで品がいい作品だと思う。
それにしてもウェールズの田舎の風景は私にはたまらなく魅力的に映る。(英国の風景はほとんどが人の手が入ったものらしいが)一面の緑に囲まれて、街に続く一本の舗装された道路を窓から眺めながら毎日本を読んだり、考え事をしたりしてワーズワースのように暮らせたなら寿命が十年は伸びるかもしれませんね。
Posted at 2011/05/01 13:44:01 | |
トラックバック(0) |
映像/音楽 | 音楽/映画/テレビ