
埼玉県立近代美術館で開かれている「日本の70年代1968-1982」展を観てきました。
正確には10日前になるのですが図録が在庫切れで二三日前にようやく送られてきたのでアップします。
芸術というより文化・カルチャーの回顧展とでも行ったほうがいい感じですね。
おおよその流れは六十年後半あたりから始まったとされる流れなんだけれども、それまで続いてきた学生運動の流れを受け継いで(かなり開き直り気味に)カウンターカルチャー(対抗文化)が強く感じられる性格なんだけれども、それがいつしか「分かる人だけ・知っている人だけ」のアンダーグラウンド・「アングラ」と呼ばれるサブカルチャー(下位文化)と、もっと時代の豊かさを享受しようとするハイカルチャー(上位文化)の2つの構図のせめぎ合いがあったように感じます。
特に七十年代のサブカルチャーはいま見ても刺激的。横尾忠則がアンディ・ウォーホルのようなコラージュで作ったポスターとか赤瀬川原平の「状況劇場」のポスターとか最高だな。
(状況劇場なんて場末にひっそりと咲いた毒々しい華のようで、なんだかわからないけれども心惹かれる存在だった気がする。そういう表現の方法論が「西」に種を巻いて中野、高円寺、吉祥寺あたりで中身は知らないが「演劇」として今も生き延びているのだけれども。)
ハイカルチャーとしては旧国鉄の「DISCOVERE JAPAN」のポスターなんてよかったな。・・これって黄色いニットに赤いパンツを履いた女の子が稲刈りの終わった田んぼでギターを弾いている構図なんだけれどもひどくぶれていて、どこが観光地なんだ?と思った人もいたのでは。第一「DISCOVER」の意味なんて誰も知らなかったんじゃないか。これを駅だけではなく巷のいたるところに貼ってしまうなんて既存の価値観では考えられなかったのでは。
これに惹かれるように「アンアン・ノンノン」なんて出版されたし、「ポパイ・ブルータス」なんていう以前の学生運動の貧しさが総てのモチベーションというロジックををせせら笑う雑誌も出た頃。しかしこういう雑誌を出版したのも全共闘世代。
権力に逆らうこと、どんなジャンルにでも横たわっている古い「権威」を打つ破ることこそ新しい文化の創造であった時代。同じ世代から発生したカウンターカルチャーであった反対勢力の文化は状況によっては別の流れからは体制派と受け止められる矛盾があってそこには何か虚しさのような気分すら漂っていた気がする。そういうせめぎあいを一つに無理やり結びつけたのが、池袋西武百貨店と隣の池袋パルコでこの「文化」の集約地はここだと言っても過言ではないと思うし、「アングラ」という商品の情報を提供したのが「ピア」。
カウンターカルチャーというより徹底したパロディに変質はしていたが。糸井重里の「変態よゐこ新聞」とかパルコ出版の「ビックリハウス」なんていうのもあった。
百貨店の12階にあった西武美術館に一歩足を踏み入れると本当に別の世界だったな。お店だって本当にここは百貨店か?と思うくらい変なお店や怪しげな人たちがたくさんいた。(危険な匂いはしなかったけど)それ以降八十年辺りまで若者の文化はここから発信されていたんじゃないか。だだしほとんどは東京のほんの一点だけの発信でそこから離れれば離れるほど何がなんだかわからずにただ流行っているとしか受け止められなかったのでは。だから派手で毒々しい割には「分かる人だけ・知っている人だけ」の文化だったのかもしれない。
Posted at 2012/10/14 16:41:02 | |
トラックバック(0) |
あの頃僕はこんなことを考えていたんだ | 趣味