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miko1035のブログ一覧

2014年07月26日 イイね!

さぼりついでにドライブして考えたこと

さぼりついでにドライブして考えたことこのところしばらく休んでいないので区切りをつけて今日は休み。家にいても何なんで
ちょっとドライブでもするかと。そういえばXVもまとまった距離を走っていない。
梅雨も明けそうなんで「水辺」でもと・・群馬県上野村あたりでも。
熊谷から17号で行って本庄から462号線で行くか秩父から299号線で行くか迷ったが今の時間(AM9:00)本庄あたりは混んでいそうなので秩父から行くことに。しかし秩父の街から小鹿野に抜けるのもおっくなので長瀞手前野上から杉の峠を通って鬼石へ。
この道初めて通ったが、峠と名前は付いているけれども生活道路のようで整備されていてなかなか走りやすかった。鬼石に出て後は神流川に沿ってただひたすら462号線を走った。途中神流湖・下久保ダムで休憩。そういえば国道沿いの神流湖を俯瞰できる場所に場違いなくらい洒落た建物があって、後で調べたらホテル(山水っていう)なんだな。結構高級なホテルらしい・・今度女房を騙して連れてこようか。

 

万馬で昼食をと思ったが駐車場がないので我慢。この町のひなびた、昭和三十年代で時間が止まったような空気が好きで以前何回か意味もなく来たことがあった。(万馬の皆さん、駐車場を作ってください。町のはずれでの八幡様周辺なんて今の季節夏の風情があってなかなか趣がある風景なんだけれども車を止められる場所が皆無なんで)



後はただひたすら国道を西へ。道沿い左側に山頂がペタンコのところどころ岩肌むき出しの叶山が見えるのだけれども、これは石灰岩を掘り出すので外観が刻々と変わっているらしい。何かちょっと行ってみたいそそる風景ではあるが。
神流町で299号線と合流してしばらく走ると目的地の上野村に到着。
今から二十五年以上前、学生だった頃夏休み前に栃本のフィルドワークに来た同僚にお付き合いで行った帰りに寄り道してここに来たのが最初だったな。残念ながら蕎麦屋さんがお休みなので向かいの道の駅で昼食。山菜の天麩羅と手打ちそば。
何年かに一度の割合で遊びに来てそのたびに感じるのだけれどもこの村って周辺の村や町と較べて(いい意味で)何か違和感を感じてしょうがない。地理的に「どん詰まり」で国道299号線なんて国道と呼べるのはここまでで此処から先、十国峠を経て佐久穂に抜けるまでは国道ではなくて酷道って呼ばれているくらいだし。(十国峠なんて以前会社の同僚で山道バカがいてそいつにジムニーで連れて行ってもらったことがある。車がやっとすれ違えるような山道が延々と続く・・並行してる林道のほうが快適だったりして。
頂上には結構広い駐車場と何だこりゃって思えるくらいの展望タワーがあって
確かにいい眺めなんだけれども、ここに至るまでの道を考えるとちょっとちぐはぐな感じはするが・・)
この村から鉄道は山を超えて下仁田へ行かなければ乗れないし、新幹線だと本庄児玉からバスで万馬で乗り換えて二時間かかるし。
孤高のほぼ自給自足の自己完結型の村なのに、何なんだこの意味もなく明るく漂う空気は!(国道さえ神流町を走っているときはすれ違いにも気を使うくらいなのに上野村に入った途端に道幅が広く快適な道になるが村を過ぎるとたちまち元の狭い道になる)
これの理由は二つ
ひとつは、村の財政が比較的豊かでありインフラが充実していること・・上流に上野ダムがありその固定資産税が莫大で債権などの借金のための借金がないこと・・こんなわずか1300人ほどの小さな村なのに地方交付税の不交付自治体なんて信じられない。
2つ目はたぶんに想像ではあるが、世代交代がうまく行っている感がある。
道の駅でもらった広報誌を見ると人口1300人のうち65歳以上の高齢者の割合が570人で43パーセント。他と同じく高齢化が進んでいて結構深刻な状態で新しく定住する若い世代は必ずしも増えてはいないのだけれども、多分もう少し減って下げ止まりになるような気がする。
こういう地方自治体には「ふるさと協力隊」と呼ばれるような契約社員のような若者が頑張っているのだけれども、こういう若者が契約期間を過ぎても居残って村の一員として定住するケースがこの村には多いような気がする。それだけ居心地がいいんだろうな。これって意外と少ないそうで、これは観光がてらのお客様気分でやってくる若者と「どうせ一時の使い捨て」としか見ていない受け入れ側の認識の違いがすべて。
ネットでブログを検索するとわずか1300人ほどの小さな村なのに5,6件も定住者のブログが見つかる。
もちろん田舎の村社会独特の掟・しきたりとかあって勝手気ままには生きてはいけない世界だし、朝家の前で起こったことが夕方には村全体に知れ渡ってしまうプライバシーなんて殆ど無いのが田舎なんだけれども。
広報誌を見るとほとんど毎週なんらかのイベント(地区対抗バレーボール大会とかソフトボール大会とか)があるようだし、一年の半分は村全体がお祭りという感じ。(それにアータ、中学三年生はニュージーランド研修ですぜ・・うらやましい)
これは想像だけれども、地域のお年寄りで人生に達観している人が多いような気がする。
・・「自分のすべき責任は果たした」「後はあんたらに任せた、自由にやってくれ」・・そんな感じだろうか。
村社会の閉塞感というのは古い世代の「執着」と若い世代の「無神経さと身勝手さ」の二つの対立で身動き取れない状態のことなんだろうけどもその辺の折り合いをつけることが少しだけほかよりもうまく行っているのかもしれない。
早い話、相手の価値観の違いを認めつつうまく自分を生かすというところか。
後は他とは違う働く場を創造することか。(オーガニックカフェとかレストランも出来ているようだが)
目玉になる観光地や施設がない代わりに豊かな自然を活かした、例えば森林浴とか清流の癒やしの場とか、トレキングの拠点になるとか、ある程度絞って訪問者を選ぶような開発は出来ないだろうか。間違ってもなんとかのふれあいの場なんていう箱物は作ってほしくないと思うが。

長々と書いた私は・・?というと、私は定住するのは無理。だって本屋さんがないんだもの。
それに私のスタンスは「和して同ぜず」・・「人は一人では生きていけない、だから助け合うんだ」と自分の身勝手さを棚に上げて最初から人から助けてもらうことを前提にする団塊のしらじらしさとは若い世代に一緒にしてもらいたくないんで。

気まぐれドライブでここまで書いた私はホント暇人なんだな。

で、帰りは神流町から299号線で小鹿野へ出て秩父市街に入る手前で左に曲がってゴルフ場の入り口をすぎて皆野から140号線で熊谷へ。
およそ100Kチョットでリッター14・9Kの燃費
まぁまぁか。
Posted at 2014/07/26 23:24:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | ひま人の博物誌 | 旅行/地域
2014年07月09日 イイね!

オトーサンの密かな望み

オトーサンの密かな望み先日、女房とショッピングセンターに買い物に行った時女房がCDを買うと言うので一緒についていった。
最近は、版権が切れたジャズとかクラシックの輸入盤が結構安くなっているんだな。
五枚組で1500円とか・・それもアルバム制作時に没になった未発表曲とかではなくそのプレーヤーの代表曲と言われているのも多々。以前はそれなりの値付だったものがずいぶん安くなったものだな。
マイルスデイビス、コルトレーン、ビル・エバンス、キャノンボールアダレイ、ソニー・ロリンズ・・・以前は懐具合が寂しかったせいもあって(まぁ、今もそう変わらんが)なかなか手に入れられなかったものが今では安価で手に入る。
クラッシックも同じだけれども、オーケストラや指揮者指定で買うほど私には含蓄はないのでクラッシックは曲目で買うことに。
(それなりに人気のあるものはやはり廉価にはなっていないものが多い・・パットメセニーの「FirstCircle」の入っているやつとかウラジミール・ホロヴィッツの「別れのショパン」とか、頼む 下げてくれ)
で、「シュツットガルト室内管弦楽団(ミュンヒンガー指揮)バロック音楽の楽しみ」というのを安かったのと中に入っている「パッヘルベルのカノン」に少しばかり思い込みがあったので買ってみた。まぁ、ずいぶんベタかなとは思うけれども。
この曲はうちの娘がまだ赤ん坊の頃、子守をしながらウォークマンでよく聞いていた。
いささかのぼせ過ぎではあるが、いつかこの曲が似合うような女性になってほしいと思っていたのだが・・
しかしながらこの演奏はちょっと違う気がする。
これでどうだとリンクを貼らせてもらったものは最高に気持ちがいいのだが少し派手すぎの感じがしないでもないが・・



多分この演奏だったと思う
ジョージ・ウィンストン(Windham Hill Records)のピアノソロ


中盤の「短いオタマジャクシ」でアルペジオのフレーズの部分が私としては特に好きだ。

あれから20年、二十歳になった彼女の好きな曲は”千本桜”に”ハッピーシンセサイザ”だものなぁ・・ハァ〜ッ↓
まぁ、オトウサンの密かな願望ということで


Posted at 2014/07/09 11:24:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映像/音楽 | 音楽/映画/テレビ
2014年06月20日 イイね!

「栄光への5000キロ」入手

「栄光への5000キロ」入手数年前まではあちらこちらの古本屋さんで結構目にしていたのでいつでも手に入るだろうとタカをくくっていたのだけれどもいざ読もうかとするとどこにもなくて結構探した。
ブックオフなんて100円均一のワゴンにあったことも。
結局ネットで探して通販でようやく手に入った。
まだ熟読はしていなくぱらぱらと拾い読みしかしていないのだが、けっこうおもしろい
この手の本には得意気に専門用語が次々と流れてきて「ヲタクさん、どちらへ行かれるのかしら?」っていつも思うのだけれども・・大体ショッピングセンターの中の本屋さんに奥さんのお付き合いで来ている(恐らくこの手の本の一番の読み手である)お父さんにたとえ好きな自動車とはいえ専門用語を次から次へと並べても頭には入らんだろう。奥さんの買い物が済むまでに雑誌一冊読み終え、尚且つ新車のスペックを頭に入れて仕事の合間の休憩時間にうんちく話でドヤ顔しなければイカンのだ。

著者は笠原剛三氏で(当時、1964年)日産自動車企画室付自動車競技担当として64年から67年まで東アフリカ・サファリラリー(サファリラリーってこれが当時正式名称だったんだな)の監督を務めた方であるのだけれども、この人って本当に文才があるなって感じた。
こういうポジションの人って報告書とか何かのプレゼンで文書を書いたりすることって多いのでひと通りの書き方のスキルはあるのだろうけれど、特別な語彙を使うわけでもないのに結構自身の置かれている状況が五十年もたった今でもリアルに伝わってくる気がする。
しかしながらほとんどネットとか雑誌などの媒体を見てもブルーバードは詳しく書かれているのにこのレースに関わる人々のことに触れている文章は皆無。
優れた車を作るのも、それをうまく使いこなすのも人間だし、少なくても本書はこのプロジェクトに関わる全ての人に対してのオマージュでここではブルーバードは狂言廻しにすぎないと思う。
当時はまださきの大戦の記憶が生々しく残っていて日本の国全体が失ったアイデンティティを取り戻そうと必死だった時代で、「世界一」「世界初」とかそういう言葉に熱狂していた時代。
今ほど車が身近にあったわけではない当時本書がベストセラーになったのは、「根性と忍耐」「大和魂」・・「どうだこれが日本の力だ」という陶酔感がすべて。それほど当時日本は自信に飢えていたのだと思う。
そういう空気の中で日の丸を背負って、今のようなインフラも整っていないなかですべての判断を現場監督である筆者がしなければならないというのは相当なプレッシャーがかかるんだろうな。今みたいに電波を使って本社に判断を仰ぐなんて出来ないしメカ的にああだこうだと言い訳もできんし。
(第一、何でも出場すれば優勝金メダルが当然。勝負は勝たなければ意味が無いなんていう「マヌケ」を学校の教師でさえ真顔で言っていた時代だった。)
そういう中で優勝できたのは、この車を作った、関わった人たちの力が全て。本書を読んだり、ミニカーをながめて熱い思いに浸るのもそういう人たちのがんばりに敬意を表する事と同じことかと。
技術的に世界のトップグループに上り詰めた今では「この程度の成績」では新聞のスポーツ欄の片隅に記事でしかないかもしれないが。
本書には書かれていないようだが、帰国後熱狂的な歓迎に迎えられて確か銀座の通りをパレードしたなんていう話を聞いたことがあるが。

で、その車はブルーバードSS(P411)ね。1300cc直4OHV SUツインキャブ
どことなく当時のアルファロメオのジュリアに似ているなと思っていたら同じピニンファリーナのデザインなんですね
この車自分の家の周りでも結構見かけたな。結構上品な感じがした。
巻末の資料で興味深かったのはこのレースでの成績は総合優勝ではなくてあくまでもクラス優勝であること。
総合優勝は”プジョー404”で二位は”フォード・コルチナ”でブルーバードは総合五位と六位。
で、ブルーバードの最大のライバルはVWゴルフではなくてビートル(!)
1964年 、1965年 と参加したがリタイアで今回が三度目の正直。(これはプレッシャーかかる)
またこのレースに参加しているドライバー・ナビゲータのリストを見ると夫婦で参加というのがけっこういる。
そういう時代だったんだなと思う。

まったくの余談ではあるが、著者(総監督の)の笠原剛三氏は日産自動車の社員であるせいもあってレース後の経歴に触れている文章は全くないのだが、本書巻末の著者紹介には、1919年埼玉県生まれ。本書発行当時1969年には特許室長で浦和在住と記されています。
しかしまったく関係のない仕事をしている時にまったくレースとは関係ないところで名前を見つけてしまったのだが・・・昭和28年9月の第16回参院議会議事録に当時の日産自動車労働紛争問題の参考人として日産労組第二組合の組合長として発言した笠原氏の名前があるが多分本人でしょう。車だけでなく人間相手の監督もやられていたのね。それとずいぶん後になるけれども日産科学振興財団の理事もやられたらしいです。
Posted at 2014/06/20 16:41:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 趣味
2014年04月18日 イイね!

近くて遠い伝説の地〜「奥秩父 山、谷、峠、そして人」読了

近くて遠い伝説の地〜「奥秩父 山、谷、峠、そして人」読了ゴールデンウェークを間近に控えて色々と計画を練っている人も多いかと思いますが、ここで山の話。
私はナチュラリストでもなければ登山や周辺を歩き回るハイカーでもない。
日本の山の名前を上げろと言われたなら、「富士山」とか「日本アルプスのいくつかの山々」後はいくつかの独立した山々の名前をあげられるくらいではあるが、考えてみれば「埼玉の山ってどんなのがあったっけ?」
埼玉といったなら秩父方面なんだけれども情けないが名前を言える山はホント少ない。
「雲取山」「甲武信岳」「武甲山」「両神山」 山々ではないし埼玉県内だけではないが「大菩薩峠」とか「志賀坂峠」なんていうのも知っているが。もっとも「大菩薩峠」なんて小説のタイトルで知っているだけだが。山好きの友人の話によれば他の山々が尾根伝いにずらっと並んである程度全体を俯瞰できるのに対して秩父の山は一つ一つが独立して東西南北に範囲がとても広くて一度に制覇するのに結構エネルギーがいるらしい。荒川源流地帯とか他ではなかなかないところだとか。
で、この本にもそういう場所がたくさん書かれているのだけれども、とにかく読みやすくてスラスラとページが進む。とにかく専門用語が少なくてわかりやすい。一度くらいは自分のような無精者でも行ってみようかなという気になるかも。それくらい魅力な場所として書かれている。
著者は山田哲哉。奥秩父がホームグランドでこの地のほぼすべての沢を踏破したらしい奥秩父の生き字引のような人らしいです。今年60歳。

私の守備範囲ではないけれども、学生だった頃この地方のことを研究している友人がいて夜な夜な酒盛りついでにおもしろおかしく研究成果を話してくれてみんなでワイワイと限りなく雑談に近い議論をしていた記憶がある。そいつによれば奥秩父一帯は民俗学を勉強するにあたっては「お宝の山」らしいです。
意外なんだけれども山々の尾根伝いに続く山道は秩父から甲州、信州へ行く最短ルートで今では想像がつかないほど人の往来があったらしく今ではハイカーのための登山道となっているが、最近までその登山道が国道140号線だった。(今の多くの人は都会人を除いてどこへ行くにも車で行くことが前提の場合が多いのだけれども、車で行けない場所は、車が通れない道はなにもない場所と思いがちなんだけれども)そんなことで昔の人の足あとの形跡はアチラコチラにあるらしくて「前人未到」なんて場所はほぼ存在しないらしい。
何年か前、今では車で直接行けるようになった140号線を走ってみたことがあったけれどもこんな山奥でも結構通行する車が多いのな。それもトラックが多い。

奥秩父登山の埼玉側の出発点となる栃本の集落なんて埼玉では人が住んでいる場所の最深部なんだろうし、集落は急傾斜の山肌に民家がへばり付いて建っている感じでちょっとした地震とかで谷底に転げ落ちそうに見える。そんな集落の中で、ちょっと場違い何じゃないかと思えるくらいの大きくて立派な家屋があってそれが栃本関所跡。昔人の往来が結構あったという証拠なのかも。
登山とかでなくその土地の古来から伝わる文化とか風習とかというのはなかなか興味を引くものが多々あります。
何と言っても私が興味が有るのは、狼伝説。この周辺の守り神は狼で多くの神社がオオカミを祀り、狛犬は犬ではなく狼で、また御札にも描かれている
日本オオカミは明治の中頃に絶滅したとされているけれども、この地ではそれ以降も結構目撃されていたらしくて昭和の時代に入っても目撃されていて中には戦後しばらくしてから遠吠えを聞いたなんていう話もある。
この辺は鹿や猪の個体数が豊富で、畑の作物とか植樹したばかりの木々の樹皮若葉を食いつくすなどの被害が深刻なんだけれども、鹿や猪を食料とする狼が害獣を適当に間引いてくれていたので人間としてはずいぶん助かっていたらしい。人間から見れば狼は守り神そのものだったと言っても過言ではないでしょうね。そんなわけでこの地の人々は狼に敬意をもって、当たらず触らずの適当な距離感を持って接していた。それは狼にとっても居心地のいい場所だったはずで昭和になっても生きながらえたらしい理由なのかも。
今狼がもし再発見されるとしたら奥秩父一帯は最有力らしい。

ずいぶんと本の内容から離れてしまったが、奥秩父と聞くと登山の話よりもこういう話のほうにいってしまう。
Posted at 2014/04/18 01:12:09 | コメント(3) | トラックバック(1) | ひま人の博物誌 | 旅行/地域
2014年04月13日 イイね!

iMac購入

iMac購入ちょっとしたワケありでMacに戻りました。
娘の学校で提出するレポートのフォーマットがワードなのでMacは使えず私のノートをまた使うことに・・
今まではプリントアウトした文章でよかったらしいのですが今年度からデータで提出することになったそうで。
さすがに今回は女房にもかなり言われたらしくて新しいノートを買う気でいたらしいのですが、せっかくバイトとか頑張ってそれなりに貯金したのがなくなってしまうのもかわいそうなので少しだけお金だけもらうことに(甘いオトーサンだな、我ながら)。それと気の毒に思ったらしい女房から多少の援助をもらって"
iMac"を買いましたよ。(それでも結構な散財でゴールデンウィークは女房にすがるしかないか)
スタバで「ドヤ顔」なんてする気もないのでMacBook Air、Proはナシ。
で、27インチは場所を選ぶし、眼が疲れるので21インチをチョイス。
後で追加のカスタマイズが出来ないので、メモリーを16GB、HDを1TBのフィジョンドライブに変更。
モニター一体式でやたらと薄いのは結構だが光学ドライブがついていないので外付けで追加。

さすがに最新のモデルは早いなぁ。
電源入れて1分もたたずに使えるようになってしまうんだものな。
それに21インチとは言え結構画面が広いので立ち上げたアプリを並べて見られる。
それとMac標準の”Magic Mouse”は薄すぎて使いづらいのでトラックパットを併用。これだと手首を動かさないで指先だけでみんな出来るので手首が痛くならないで助かる。
自宅で仕事の内職はしないつもりなので遊びのぶんはこれでいいのだけれども、Windowsでないと出来ないこともあるので(・・会社のみんなが一生懸命作ったデータも見てツッコミをいれなければいけないし、スバルのナビゲーションのデータ更新なんてWindowsでないと出来なくて焦った。今のバージョンのMacにはOfficeに相当するアプリが付いてくるのだけれども、あまり互換性はないので仕事には使えないな。プリントアウトしたものならすごく綺麗なんだけど)BootcampでWindows7も入れておきました。USBでイメージ作ったりしないとインストール出来ないのでめんどくさかったが。
Posted at 2014/04/13 20:14:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記 | パソコン/インターネット

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