タイトルは亡くなられた松本零士先生の戦場漫画シリーズから借用しました。
神奈川には、箱根、ヤビツ、宮ケ瀬など山に行けば面白い道があるのですが、今年の冬は特に寒く、どこもエンカルだらけなので、Dトラの慣らし運転をかねて広域農道:小田原ー中井線 通称「やまゆりライン」に行ってきました。
この道を走るのは数年ぶり。穏やかな丘陵地帯でミカン畑の中を走る快適なルートなので、昔はよく自転車で走っていたのですが最近はロドやMT-07ばっかりになり・・あまり行かなくなってしまいました。
今回の目的はもう一つ、お墓参り。
地元のおじさんから、
「戦時中、陸軍の戦闘機がこのへんに墜落してね~。プロペラ型の碑とお墓があるんだよ。」
という話を聞いてから桜の季節には必ず訪問する上原中佐のお墓です。
場所は小田原市沼代 墜落したのは1945年2月17日、四式戦「疾風」で、陸軍飛行第22戦隊の上原中佐戦隊長が搭乗していました。
<22戦隊は四式戦を初めて正式運用した由緒ある航空隊、識別マークは22の文字をアレンジした「菊水」所属は神奈川県の愛川町にあった「中津飛行場」>
2月はじめにインドシナ方面から中津飛行場に戻っていて翌日に次の任務先である平壌(今のピョンヤン)への出発を控えていた第22戦隊に対して軍は迎撃中止を命じていました。
2/16には米艦載機による機銃掃射で多数の民間人死傷者が出ていたこともあったのでしょう、部下をなだめて掩体壕に避難させた上原中佐は、ただ一人米軍機に立ち向かうため出撃したようです。(2/16の米艦載機来襲は273機、2/17は320機だったと言われています。)
記念碑の裏にはもう少し詳しい当時の話が記載されていたのですが、メンテされていなくて読めない状態になっていましたが・・
以前、写真に撮っておいたものがあったのでこちらに貼っておきます。
今のお墓は4月には桜のきれいな、見晴らしのよいところに建てられていますが、昔は墜落地点の山中の鉄塔下(冒頭写真の左上の鉄塔付近)にありましたが、お参りし易いように移設されたようです。
<4月、桜の季節>
四式戦のキャノピーは防弾ガラスではなく有機ガラス(アクリル)で出来ていたことから松本零士先生はこのタイトルを付けたようです。
画像は宮ケ瀬湖の近くにある愛川町郷土資料館に保管されている四式戦のキャノピー(写真撮影禁止なのでネットから借用しました。)
漫画の終わりには、
「アクリルを通して若者がどんな未来を見ていたか誰にもわからない。」
と括られています。
上原中佐がどんな未来を見ていたのかは、わかりませんが、戦争が早く終結し平和な日本になること祈っていたことでしょう。
ウクライナ侵攻からそろそろ1年、戦争が早く終結し、また、平和な世界に戻ることを祈るばかりです。
Ps.
松本零士先生のご冥福をお祈りいたします。
Posted at 2023/02/20 18:25:57 |
バイク | 日記