※長文注意。今回のブログはいつにも増して個人的な考えをもとに書いていますので、少し読んで興味が持てない方はスルーいただければと思います。
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昨日のブログの続きの感覚で書きたいと思います。
ここ数年 国内歌手のCDの音作りの傾向は、S/N比が小さくダイナミックレンジの狭い再生機器(ノートPCや汎用携帯プレイヤーなど)でも平均的に迫力ある音楽が再生できる目的で、録音時本来のダイナミックレンジを圧縮しつつ 全体の音圧レベルを上げる処理が施されているようだと、
昨日のブログに書きました。
その後色々調べてみるとやはり同じ思いを抱く人は以前から相当数いるようで、ネットを検索するとあちらこちらでソース波形などの検証データも含めた記事を見つけることができます。
『リミッター』『コンプレッサー』などをキーワードにしてもヒットしますが、私が驚いたのはそういった処理によって生み出されたソース波形が全く強弱がなく常に頭打ちしている形から『海苔波形』(笑)と揶揄する言葉が何年も前から存在していたということです。
(海苔波形で検索して波形を見ればすぐに納得できます。)
私はこのような海苔波形CDが蔓延する現状をカーオーディオを趣味とする者として反射的に嘆かわしい風潮だと思いかける一方で、市場絶対主義の観点から見ればやむを得ないのだということも同時に考えます。
国内市場の大多数の顧客はハイエンドオーディオ機器では聴いていない現実の前では、ハイエンドオーディオ機器で聴いて高音質だと感じる音作りよりも、汎用機器で聴いて迫力が伝わる音作りに振ったほうが多数派の顧客にもメリットがあると同時に売上も伸びるのでしょうから。
私が思うに多数派の人が『不満のない』レベルの品質で落ち着いているのが今の音楽CD業界、というか今の国内市場の構図なのだと思っています。
決して多数派の人が『満足できる』レベルで落ち着いているわけではないところがミソです。
例えば車を見てみます。
私はクーペ好きなのでクーペに絞って話をしますが、1990年前後にはバブル景気の大波の余波で巻き起こったクーペブームにも乗って、国内メーカも小型車から大型車まで様々なラインナップのクーペを揃えていたものです。
ところがバブルも崩壊し自由に使えるお金が一般家庭から減少していく過程で、車は趣味・嗜好・デート用(笑)として選ぶものではなく、実用性で選ぶものという風潮が蔓延していきました。
その結果、国内メーカのクーペのラインナップは驚くほどの勢いで消えていくこととなり、私が車の買い替えを検討していた2007年あたりでは片手の指も必要ないほどのクーペのラインナップ数に・・・
その結果クーペを求める私の目は必然的に国内から海外へ向くことになり、言うならば当時の国内メーカのおかげで今の愛車Audi TTに出会うことができたわけです。
ということで、素敵な車に出会わせてくれて国内メーカさんありがとう!と言いたい気持ちでいっぱいなのですが、いやいや、果たしてそれでいいのでしょうか?国内メーカさん!ということです。
(話が大きくなってきましたね・・・汗。でもせっかくですので続けます。)
ハイエンドオーディオ機器で本当に良い音質のソースを聴いた時の感動を伴う満足感や、自分の趣味・嗜好に沿った感性で選んだ車を ただ走らせることを目的に運転した時に得られる えもいわれぬ満足感は、先に述べた海苔波形CDや実用性のみで選んだ車からは決して味わえないものだと感じています。
誤解のないように書いておきますが、汎用プレイヤーで楽しむ音楽や、実用性重視で選ばれる車を私は決して否定しているわけではありません。
誰でも気軽に楽しめるのが音楽本来の魅力ですし、実用性のある車であれば大人数で色んな場所へ荷物もたくさん積んで遊びに行くこともできますしね。
車を運転することが目的ではなく車を使って何をするか、どこへ行くかが大切という考えも十分理解できるものです。
さて、
ブログタイトルに書いた『懐の深さ』ですが、これは海外に目を向けると見えてきます。
ヨーロッパの自動車メーカのラインナップを見ると、バブル崩壊後の国内メーカと違ってクーペというカテゴリが伝統としてしっかりと確立されていることに気付かされます。
ヨーロッパでは恐らく車を実用性だけでなく、趣味・嗜好の視点で選ぶ人が多そうなことも要因だとは思うのですが、それでもやはり使い勝手の劣る2ドア車の販売台数は4ドア車より確実に少ないと思うんです。
にも関わらずヨーロッパの自動車メーカの本国ラインナップからクーペが決して消えないのは、きっとクーペを愛する人達がいつの時代にも存在していることを、作り手自身がとても良く理解しているからだろうと私は思っています。
音楽CDも同じで、海外のCDにも海苔波形処理が施されたものも存在するのですが、その一方で昔ながらの音作り(音圧よりも音の抑揚や余韻を重視した音作り)にこだわったCDも少なからず存在しています。むしろその比率のほうが高いかもしれません。
車も音楽CDも、市場の求める分布の中心ではないかもしれない人達をも満足させることを意識した製品が、市場の風潮に淘汰されることなく存在し続けることができるあたりがヨーロッパ市場とその地域の人々の『懐の深さ』だと私は思うのです。
話を日本国内に戻しますが、日本にも当然高音質のCDやクーペスタイルの車を欲する人達は確実に存在していますし、それらの製品は少ないとは言えあるところにはあります。
ですがそれらは市場の分布の中心から見た時に、しっかりとした地位を確立できているとはとても言い難い状況です。
仮に車市場における分布の中心の人達(=実用性重視の車を求める人達)が、ちょっと趣味車に走ってみようかなと思った時に、今の国内メーカのラインナップでは残念ながら非常に選びにくいんです。
下手をするとそんな趣味車のカテゴリが存在することすら気付けない人もいるのではないかと心配になってしまうほどで、それはとても不幸なことのように思えます。
ヨーロッパメーカではその気になれば選択肢はかなりあって迷うほどです。
市場の多数派が求める分布の中心に位置する車のラインナップを大量に揃えること自体に異論はありません。
ただヨーロッパメーカではその分布の中心の山から連続する裾野部分に趣味で選べる車が存在しているイメージなのに対し、国内メーカでは分布の裾野部分には存在しておらず、たとえあってもそれは分布の裾野から更に離れたところにポツンポツンという形でしか存在していないイメージです。
分布が中心~裾野にかけて連続してつながっていれば、分布の中心(=実用性重視車)→分布の裾野(=趣味車)への乗り換えのハードルは必然的に低くなりますが、分布から完全に離れたところへ行くにはハードルが高すぎ(場合によっては離れすぎていて見えない、気付けない)、よほど特別なきっかけや転機でもない限り乗り換えようと思う動機すら得られないと思うんです。
ちなみに分布から離れている飛び地へも軽々行けてしまう人がオタクなのかもしれません(笑)
先ほどの懐が深い、懐が浅いの話でいうと、日本のオタク文化は懐が深すぎ!(笑)
そう考えると日本人はブームに流されやすい国民性である一方で、実は何かに興味をもった時に注ぐ情熱やこだわり、そして変態度(笑)という点では世界的にみても稀有な国民性だと思います。
何よりそんなオタク文化を育て上げて許容している風土を考えれば、オタク以外の人たちも実は深い懐を持っていると考えるのが自然かもしれません。
国内にはオーディオや車のオタクだけでなく それらのオタク予備軍が相当数いるはずで、そんな予備軍はまだオタクのように分布の中心から離れた高いハードルは飛び越えられないけれど、分布の中心に繋がっているような低いハードルであれば飛び越えることができるポテンシャルを秘めていると思っています。
昨今のミラーレス一眼を持ち歩く女子たち=写ガールブームは、まさにそんなオタク予備軍が秘めるポテンシャルを作り手側が見事に引き出した一例ではないかと思います。
音楽CDや車の作り手がそういったオタク予備軍層にも目を向けることで新しいブームの可能性も見えてくるかもしれませんし、音楽CD業界や車業界にとどまらない国内市場の本当の意味での多様性、懐の深さへと繋がっていくように思えてなりません。