こんばんは~
今日の車名にまつわる話は、トヨタパブリカです。
「車名博物館」より。
1955年5月に通産省(現・経済産業省)による国民車構想が発表。トヨタでは1954年から独自に大衆車の企画が始まっていました。1956年にFF(フロントエンジン・フロントドライブ)による空冷水平対向2気筒700ccの試作車をスタートさせ、同じ年の8月に完成しました。その後、FRに駆動方式を変更した試作車を1960年秋の第7回日本自動車ショーに「トヨタUP10型(通称:トヨタ大衆車)」として披露しました。
出展にあたって事前キャンペーンの一環として車名の一般公募を行うことになりました。この時は「大衆車プラス100万円」という、当時としては異例の豪華景品が話題を呼び、10月27日~11月30日までの期間中に108万7656通の応募が集まったそうです。新型車に対する関心の高さとともに、大衆車が一般の関心の的になりつつあることを物語っていました。
そして、連日の整理作業を経て、12月13日に著名人とトヨタ首脳による長時間にわたる選考の結果、投票によってわずか9通の応募だった「パブリカ」の車名に決定されました。最終審査会では、絞られたとはいえ、なお50案があったことから、審査員それぞれの推奨名を対象に意見交換を行いました。その結果、パブリック(公衆)とカー(自動車)との2つの文字を縮めた新造語「パブリカ」が、満場一致で選ばれました。
(中略)
『モーターエイジ』誌、昭和36年1月号には、審査に加わった神谷 正太郎トヨタ自動車販売社長のコメントがこう記されています。『パブリカは日本人にも外国人にも通じるし、新鮮な感じがある。ことに今までは、トヨタとか、トヨペットなどの冠詞をつけているものが多いが、パブリカは、自由な立場から選ばれていて、しかも独立した名称となっていることは、一層素晴らしい』
このようにトヨタ(大型車)、トヨペット(小型車)の冠は付かず、大衆車系列に対する独立したブランドの扱いだった。このクルマにかけるトヨタの意気込みが伝わってきます。なお、1966年秋のカローラ発売に伴って「トヨタパブリカ」となります。
ちなみに、パブリカの型式はUP10型ということは皆さんは知っていますよね?U型エンジン+車系を示すPの組み合わせで公募前から発表されていました。Pはパブリックの頭文字と思われるますが、すでに車名は規定路線だったのでしょうか?
そして、ラテン語ではpublica単体で「公衆の」という意味を持ちます。当時、これを意図して命名していたら驚きですね~
いかがだったでしょうか?ではまた~


Posted at 2017/01/25 20:05:16 | |
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