• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

f2000のブログ一覧

2017年01月28日 イイね!

車名にまつわる話(いすゞ117クーぺ)

おはようございます。

今日のお話は、いすゞ117クーぺです。

「車名博物館」より。

いすゞは製品を国際レベルに引き上げる為に、イタリアの車体のデザインを手掛けるカロッツェリアの一つで「ギア社」に新型のファミリーセダンのデザインを依頼しました。これが小型車ベレットのメカニズムや生産設備を生かして誕生する1.6㍑セダン「フローリアン」です。このクルマはいすゞ社内の開発コードでは「117」と呼ばれました。
その後、ギア社に移籍したカーデザインの巨匠ジョルジェット・ジウジアーロ氏の提案によって製作された、ファミリーセダンのシャシーをベースとした4人乗りのスポーツクーぺの試作車を、1966年3月のジュネーブショーにギア社のブースで展示することになりました。その名は「いすゞ-117スポルト(Ghia-Isuzu117Sport)」。117という名前が初めて表に出たのはこの時でした。

(中略)

1966年秋に開催された第13回東京モーターショーでは、改良を加えた試作車を「117スポーツ」の名前で参考出品(イタリア語の「スポルト」を英語読みの「スポーツ」に変更している)。同時に本命だったファミリーセダンの試作車も、まだ名前が決まっていなかったこともあり「いすゞ117」という名前で公開されました。
翌年秋(1967年)にも「117スポーツ」としてモーターショーで展示されましたが、1968年10月発表の市販モデルでは「117クーぺ」の車名になりました。この当時、117(イチイチナナ)という数字の記号名をそのまま車名として使うケースは極めて異例でした。当初は固有の名前も検討されたそうですが、『モーターショーで公開され知名度が高まっていたこと、また当時ジェームス・ボンドの007シリーズが人気を集めており117とオーバーラップし語呂も良かったこと』(ドライバー誌 1975年1-20号)などの理由で、開発コードがそのまま車名になりました。映画のタイトルが車名に影響を与えるとは、ちょっと意外なことでした。
ちなみに、皆さんはこのことはご存知でした?

一方で、後半の「スポーツ」については「クーぺ」に改められました。クーぺは、馬車に端を発し、自動車では本来「2人乗りで2ドアの乗用車」を指す名前ですが、4~5人乗りでも、後席から後ろにかけて緩やかに傾斜する形状を持つクルマを「クーぺ」と呼びます。スポーツカーは純粋に走りを楽しむクルマとして居住性や快適性が多少犠牲になる場合もありますが、117クーぺは実用性に配慮した4人乗りクーぺを意図して造り上げました。その為、最終的には、゙スポーツ″の名前は避けたようです。記号名はそのまま使いましたが、コンセプトに関わる部分は見直したのです。

いかがだったでしょうか?最後に、117クーぺの市販モデルと、ジュネーブショーに出品された試作車、ギア-いすゞ117スポルトの画像をお見せしてこのお話は終わります。
朝から失礼しました。
Posted at 2017/01/28 09:18:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2017年01月27日 イイね!

車名にまつわる話(マツダキャロル)

こんばんは~

今日のお話は、マツダキャロルです。

「車名博物館」より。

1961年秋の第8回全日本自動車ショーで、マツダは小型乗用車進出の意志を表明すべく「マツダ700」というモデルを出展。小型車は時期尚早ということで並行開発していた軽乗用車版を「キャロル」の愛称で1962年2月に発売しました。小型車は後年600ccで追加します。
マツダでは軽量で安価かつユニークな軽乗用車「R360クーぺ」を発売しましたが、これと差別化したデラックスなセダン型の軽の新型車を企画しました。開発で重点を置いたのは、軽自動車でありながら小型車に負けない゙ムード″を持つこと。
そのために、外観はリアウインドーを垂直に立てた独特のスタイルとし、英語で絶壁を意味する゙クリフ″カットと呼んで斬新さをアピール。358ccエンジンは水冷4気筒の゙記号性″を大切にし、総アルミ合金ダイキャスト製というクラス初となるメカを採用。これを後部に横置き搭載することで、軽自動車の枠の中で室内スペースの最大化を図りました。
キャロルという名前も、デラックスでムーディな軽自動車であることを強く訴えていました。発表リリースでは車名の由来について『ペットネーム゙キャロル″(CAROL)は、快適で素晴らしい車のある生活、その楽しさを歌って、喜びの歌゙キャロル″と名付けた。(英語carolは祝いの歌、楽しい歌という意味)』と説明しています。クルマのある夢のような生活を謳歌したい…そんな家族に贈る新時代にふさわしい軽ファミリーカーでした。名前に夢を託した素敵な時代だったんですね~


今現在のキャロルは、スズキアルトのOEM車であることは皆さんご存知ですよね~

ではまた~
Posted at 2017/01/27 20:54:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | モブログ
2017年01月26日 イイね!

車名にまつわる話番外編(ベントレーの超絶命名法)

こんばんは~

そろそろネタがなくなりつつあるこの車名にまつわる話ですが、今日は、番外編として、タイトルにもありますが、ベントレーの超絶命名法についてのお話です。

「車名博物館」より。

ベントレー初のSUV・同社第4のモデルとして昨年に発売された「BENTAYGA」。
ベントレーブランドにふさわしい6㍑W12を搭載した世界最高峰のSUVは、超個性的なつづりを持ちます。日本語での表記は「ベンテイガ」と読みます。
大西洋の楽園として多くの観光客で賑わうスペイン領カナリア諸島グランカナリア島。その島にあり、町の至る場所から眺めることができる切り立った岩山「ロケ ベンテイガ(Roque Bentayga)」からインスピレーションを受けた車名です。
そして、ロシアの針葉樹林「タイガ(Taiga)」の意味合いを車名の後半部分に重ね合わせました。南のカナリア諸島から北方の北半球の冷帯にある針葉樹林(英国の北方も含まれる)まで、亜熱帯の岩山から冬の寒さが厳しい地域までどんな道でも走って行くことができるオールラウンダーとしての実力をアピールしたネーミングであります。
最高のラグジュアリーと卓越したパフォーマンスを融合したSUVは、たまたまブランド名の「BENTLEY(ベントレー)」と頭の部分が同じつづり・発音になりました。車名の意味合いとブランド名との絶妙なマッチングを見れば、その意気込みがわかると言えます。

ちなみに、このベンテイガは、全長5141mmもあり、英国で生産されています。
新設計の6リッターW型12気筒ツインターボ(608ps/91.8kgm)を搭載しています。
駆動方式はフルタイム4WDとなっています。
価格は2695万円です。

今日のお話はいかがだったでしょうか?
ではまた~
Posted at 2017/01/26 20:27:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2017年01月25日 イイね!

車名にまつわる話(トヨタパブリカ)

こんばんは~

今日の車名にまつわる話は、トヨタパブリカです。

「車名博物館」より。

1955年5月に通産省(現・経済産業省)による国民車構想が発表。トヨタでは1954年から独自に大衆車の企画が始まっていました。1956年にFF(フロントエンジン・フロントドライブ)による空冷水平対向2気筒700ccの試作車をスタートさせ、同じ年の8月に完成しました。その後、FRに駆動方式を変更した試作車を1960年秋の第7回日本自動車ショーに「トヨタUP10型(通称:トヨタ大衆車)」として披露しました。
出展にあたって事前キャンペーンの一環として車名の一般公募を行うことになりました。この時は「大衆車プラス100万円」という、当時としては異例の豪華景品が話題を呼び、10月27日~11月30日までの期間中に108万7656通の応募が集まったそうです。新型車に対する関心の高さとともに、大衆車が一般の関心の的になりつつあることを物語っていました。
そして、連日の整理作業を経て、12月13日に著名人とトヨタ首脳による長時間にわたる選考の結果、投票によってわずか9通の応募だった「パブリカ」の車名に決定されました。最終審査会では、絞られたとはいえ、なお50案があったことから、審査員それぞれの推奨名を対象に意見交換を行いました。その結果、パブリック(公衆)とカー(自動車)との2つの文字を縮めた新造語「パブリカ」が、満場一致で選ばれました。

(中略)

『モーターエイジ』誌、昭和36年1月号には、審査に加わった神谷 正太郎トヨタ自動車販売社長のコメントがこう記されています。『パブリカは日本人にも外国人にも通じるし、新鮮な感じがある。ことに今までは、トヨタとか、トヨペットなどの冠詞をつけているものが多いが、パブリカは、自由な立場から選ばれていて、しかも独立した名称となっていることは、一層素晴らしい』
このようにトヨタ(大型車)、トヨペット(小型車)の冠は付かず、大衆車系列に対する独立したブランドの扱いだった。このクルマにかけるトヨタの意気込みが伝わってきます。なお、1966年秋のカローラ発売に伴って「トヨタパブリカ」となります。
ちなみに、パブリカの型式はUP10型ということは皆さんは知っていますよね?U型エンジン+車系を示すPの組み合わせで公募前から発表されていました。Pはパブリックの頭文字と思われるますが、すでに車名は規定路線だったのでしょうか?
そして、ラテン語ではpublica単体で「公衆の」という意味を持ちます。当時、これを意図して命名していたら驚きですね~

いかがだったでしょうか?ではまた~
Posted at 2017/01/25 20:05:16 | コメント(3) | トラックバック(0) | モブログ
2017年01月24日 イイね!

車名にまつわる話(ダイハツフェロー)

こんばんは~

毎回お届けしています、この車名にまつわる話ですが、今日のお話は、ダイハツフェローです。

「車名博物館」より。

ミゼット、ハイゼットと軽自動車で次々とヒットを飛ばしてきたダイハツですが、1966年10月にいよいよ軽乗用車に参入しました。その名も「フェロー」。
高速連続走行や居住性、荷室空間といった軽乗用車への課題に対応して開発されました。
実績のある2サイクル2気筒空冷ユニットを水冷化(量産軽乗用車初の水冷2サイクル)して高速化を図り、宝石のカットを思わせる゙プリズムカットスタイル″の造形美、小型車並みの居住性を実現しました。
発売に先立って、1966年8月29日にフェローの車名を公表。ダイハツによると、フェローとは、英語で「気の合う仲間」、「親しいアイツ」、「素敵な野郎」などを意味する言葉だそうです。イタリア語のコンパーノと同意語であるそうです。
親しいグループで、甘いカップルで、お子さまを中心とした幸せなご家族など、日本中の仲良しグループに乗って欲しい゙みんなの仲間″という意味を込めて、マイカー時代を担うみんなの乗用車になるようにと願って命名されたものであります。
デビューに先立ち、事前PRとして運転免許所持者を含む全国50組のペアに1966年11月から半年間新型車を無料貸与する「フェロー・ファン」を募集するなど、前人気をあおり車名の浸透を図りました。
発売直後の広告に『コンパーノやベルリーナで実証した乗用車づくりの技術とアイデアを結集して生まれた<軽乗用車の決定版>です』とあるように、コンパーノの同意語をもってきたのは、ダイハツの意気込みの表れでした。

この車をお持ちだった方、あるいは、乗ったことのある方、いかがだったでしょうか?

ではまた~
Posted at 2017/01/24 20:58:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | モブログ

プロフィール

「『でっちあげ 〜殺人教師と呼ばれた男』主演の綾野剛は、ダークなエンタメ作品にどう向き合ったのか
https://carview.yahoo.co.jp/news/market/20250618-11180441-carview/
何シテル?   06/18 20:31
こんにちは。 f2000と申します。 免許を取ってから、ずっと日産車に乗って来ましたが、軽自動車を挟み、一昨年からファンカーゴに乗っています。 ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

愛車一覧

トヨタ ファンカーゴ トヨタ ファンカーゴ
出向先の方から譲ってもらい、6月30日で丸11年目となりました。 過去に乗った車達より一 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation