
#14 ジャックスアコード 服部 尚貴

ignition model 0097
JACCS ACCORD (#14) JTCC 1996
シビックから代替わりしたムーンクラフトも引き続き服部がドライブ
言わずと知れた96年最速マシン
シーズンを通して安定して速かった

前年速かったエクシヴ以上の大きな車体で、ワイドトレッドを活かしたコーナリングマシンに仕上がっている

美祢を休んで、次の仙台から登場した2Xはドライバーを含めた重量物を車体中心に集める事で旋回性を向上
《JTCC1996年の服部尚貴の戦績》
サーキット 天気 結果 ウェイト
第1戦 富士 雲り 優勝
第2戦 富士 曇り 優勝 +30kg
第3戦 菅生 晴れ 優勝
第4戦 菅生 晴れ 4位 +30kg
第5戦 鈴鹿 晴れ 2位
第6戦 鈴鹿 晴れ 優勝 +20kg
第7戦 美祢 雲り 規定違反で未出走
第8戦 美祢 晴れ 規定違反で未出走
第9戦 仙台 晴れ 4位
第10戦 仙台 晴れ 2位
第11戦 十勝 晴れ 優勝
第12戦 十勝 晴れ 2位 +30kg
第13戦 インターTEC 雲り 3位(失格)
第14戦 インターTEC 雲り 優勝 +10kg(失格)
違反騒動を除くと全て4位以上で終始安定
なんと云うかアコードにウェイトハンデは関係無いな
最終戦のウィナーにも関わらずニスモからのクレームが通り無限とともに失格の判定を受けた
ニスモとしては「心苦しさはあるが、競技である以上明確な違反に間違いないのだから抗議しただけ」と言う。そりゃ莫大な金が掛かっているのだから重箱の隅つつかれるわな
ムーンと無限は失格は不服としてJAF審査会へ提訴するも棄却、更に中央審査委員会へ再控訴したが再び棄却された事で、翌97年開幕戦の前日4月4日になってチームチャンピオンはトムスに決定、ドライバーチャンピオンはポイント差のおかげで服部が覆されずに最終結審した
ミニカーはその失格となってしまったウェイトハンデ+10kgの最終第14戦仕様を再現して発売
#15 PIAA ACCORD VTEC 黒澤 琢弥

ignition model 0099
PIAA ACCORD VTEC (#15) JTCC 1996
中嶋企画もアコード3チームの1つとして参戦
残念ながら優勝は1回のみで服部、中子に比べ目立つ事はなかった
最終戦でもこれら2台には失格裁定が下ったのに黒澤には何もお咎め無し
何故かというと本戦を走ってないから

黒澤のマシンは当時流行りのアイライン付き
どことなく気だるくセクスィーな目をしている
《JTCC1996年の黒澤琢弥の戦績》
サーキット 天気 結果 ウェイト
第1戦 富士 雲り 3位
第2戦 富士 曇り 4位 +10kg
第3戦 菅生 晴れ 10位
第4戦 菅生 晴れ 7位
第5戦 鈴鹿 晴れ 5位
第6戦 鈴鹿 晴れ 2位
第7戦 美祢 雲り 規定違反で未出走
第8戦 美祢 晴れ 規定違反で未出走
第9戦 仙台 晴れ リタイア
第10戦 仙台 晴れ 優勝
第11戦 十勝 晴れ 3位
第12戦 十勝 晴れ 3位 +10kg
第13戦 インターTEC 雲り 本戦未出走
第14戦 インターTEC 雲り 本戦未出走
最終戦は予選のみで本戦を走ることが出来なかった
アコード3台はサスペンションに規定違反があるとして美祢で出場を止め車両の改修をする
しかし実は次の仙台に現れたのは開発コード2Xの全く別の車
改修され幾分かは遅くなると読んでいた他チームを他所に2レース目に黒澤が優勝している
#16 Castrol 無限 ACCORD 中子 修

ignition model 0098
Castrol MUGEN ACCORD (#16) JTCC 1996
無限が走らせたアコード
前年のシビックと色使いが似た部分もあるがベースが黒になっただけでとても落ち着いて見える

これはドライバーポジションが中央に寄った仙台以降の2X

96年ホンダチーム勢揃いの図
実は無限のカラーリングがデビュー戦のみ少し違っている
《JTCC1996年の中子修の戦績》
サーキット 天気 結果 ウェイト
第1戦 富士 雲り 2位
第2戦 富士 曇り 2位 +20kg
第3戦 菅生 晴れ 2位
第4戦 菅生 晴れ 3位 +20kg
第5戦 鈴鹿 晴れ 優勝
第6戦 鈴鹿 晴れ 4位 +30kg
第7戦 美祢 雲り 規定違反で未出走
第8戦 美祢 晴れ 規定違反で未出走
第9戦 仙台 晴れ 2位
第10戦 仙台 晴れ 3位 +20kg
第11戦 十勝 晴れ 2位
第12戦 十勝 晴れ 優勝 +20kg
第13戦 インターTEC 雲り 優勝(失格)
第14戦 インターTEC 雲り 2位 +30kg (失格)
アコードでも服部に次ぐ成績だった中子さん
でも失格を除けば最低順位は4位と服部同様に充分な出来
ブリジストンを使う無限はレース終盤まで安定した性能を発揮したが、服部が使うミシュランの特徴、長持ちしない代わりの一発の速さを利用してとりあえず前に出て後半温存するムーンクラフトの戦略に負けた訳だ
そして何と言ってもチャンピオンが掛かった最終第14戦のフォーメーションラップで、ポール中子のエンジンが掛からないという神様のイタズラ
押し掛けしての最後尾スタートとなってしまったのだが、まさかの20台近くを抜いて先頭を走る服部まで追いついてしまった
残念ながら例え服部を抜きトップになったとしても肝心の服部が下位に転落しないかぎり中子のチャンピオンは無かったのだけど、あれはもう中子の意地
しかも中子は1レース目の優勝で最大ウェイトハンデを積んでこの走りをした訳。これじゃニスモじゃなくても文句言いたくなるよね
「何だよコレ?こんなにごぼう抜きされたんじゃ、まるでオレたちグループAやJGTCの下位クラスじゃないか!」ってね
そりゃそうだ、一切無理せず余裕のドライブをしてもトップに君臨するジャックスと、本気出して抜きまくるカストロールの両アコード見るとドーピングでもしてるように見えるし
多分この走りがあったからこそ周りの反感を買いオフィシャルも「ちょっと速すぎだな」って失格騒ぎにまで発展したんだと思う
そんなこんなのイザコザは1年後に大きな事件をおこすんだけど、あながち無関係では無いよね
#33 Castrol 無限 ACCORD 道上 龍

EBBRO 45136
1/43 #33 Castrol MUGEN ACCORD JTCC 1996
後に中子に変わり無限のエースとなる道上
龍と書いて「りょう(本名)」と読み、通称「ドラゴ」と呼ばれるイケメン野郎
この96年はテストドライバーとしてホンダレース車の開発に尽力、インターTECにのみ33号車で出場した
ミニカーは中子の16号車と左側のマーキングに違いがあるんだけど正しいのかな?
この33号車はACCORDの文字の後ろにHマークがある

上 エブロ33号車
下 ignition16号車(エブロの16号車も同じ)
なにぶん予選しか走ってないもんで実車写真が少ない
エブロは先に中子の16号車を出してて、わざわざ作り分けてんだからこれで合ってるんだよね。きっと・・・
レーシングオンの画像を改めて確認

車体右側はミニカーのままで正しい

サイドのオレンジラインがゼッケン後ろまで出てない所が違うけど
その点 ignition は抜かりない

左の画像。ボケてるのは元写真からです
ていうかHマークが前じゃん?16号車と全く同じ?
エブロさん、どういう事すかこれ?
何故後発商品が間違ってるのよ
2台いたの?んなアホな
うーん、謎が謎を呼ぶ不思議
インターTECの予選だけで本戦ではマシントラブルで走る事は出来ず
ま、実戦テストを兼ねてた訳だしデータ取りが目的だったのでしょう。たぶん・・・
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2018/08/10 07:08:44