土曜日、25日間も頑張ってくれた12代目ヒペリカムが全て焦げ茶色になってしまったので、13代目を探しに行きました。
たくさんの実をつけた、またまた童話の中の木みたいなヒペリカムを見つけられて、月のワックスフラワーの最後の生き残りと一緒にしました。
そんな土曜日に私が一番惹かれてしまったお花、秋明菊(薄れゆく愛、忍耐、多感なとき)
こんなに可愛らしい花なのに、つぼみの一つ一つに思いがあるように、それぞれが違う場所で開こうとしている。
風に揺られて耐えながらも健気に咲く姿も花言葉の由来らしいですが、苦しみに耐え続け一つ一つの感情に答えを出したときに開くのでしょうか。
開く度に薄れていく愛?
この花にとって愛は解放であり不幸ではないのかもしれません。
だって3つ開いてからもこんなに美しい。
愛とはいつだって単純で、自分より大切に思う気持ち。
私もこの蕾くらいたくさんのものを愛してきたけれど、花を全て開かせてしまってもその姿は残るのでしょうか。
いずれにせよ、なんて今の気持ちにぴったりの花なんだろうと思いました。
晴れた日の太陽の下にいるレモンライムソーダちゃん色に、少しだけピンク色が入っているカーネーションも見つけて、お彼岸のダリアがしんなりしてきて外側の花びらを剥かなくてはいけなくなっていたので、1本だけ追加することにしました。
こうやってみんなで写すとカーネーションのなかのピンク色は消えてしまいますが、
ちゃんとあるんですよ、ピンク色に染まるかもしれない心が。
秋明菊は誰とも一緒になりたくないみたいで、小さな花瓶の世界でどの角度からも自分の世界には入らせないようにしながら揺れ動いているみたいです。

でもきっと寂しくないんだね、自分がそれを望んでいるんだから。
私には小さな世界に仲間がいたのですが、みんな私より40歳から50歳も年上だったので、もうすぐ私だけが最後の生き残りになります。
仲間を探しなさいと言われてきたけれど、究極の変わり者の世界でしたから、その仲間探しは簡単ではありませんでした。
実際、彼らと私の間の年代のメンバーが一人もいなくて、私のあとに入った人もいませんでしたから、彼らもまたずっと探せていなかったのです。
そのことの意味をずっと考えていたのですが、
探せなかったのではなくていなかった、その時代に必要だったから生まれて、もう必要じゃなくなったから生まれなくなったと考える方が自然です。
私はきっと間違いか、それを確認、確定させるためだけに生まれたのかも。
そんなおたくクラブみたいなものを守りたい人たちがいましたが、(地下アイドルおたくみたいなやつ?)その世代は何故か私と老人達の間の世代ばかりという不思議(それもまた次々に立派な老人に(-_-;))
みんな地球儀ばかりみてたから「地球儀おたく倶楽部」とつい最近私が勝手に名付けましたが、今は学ぶ者の机の上から地球儀はなくなり、全く違う世界を生きている人々が全く違う世界を望んでいる。
久しぶりに仏壇も地球儀もないホテルに一人で泊まると、現在も過去も未来も客観的に見れるものだな〜と思いながら、私も一緒に連れて行ってほしいくらいに、自分たちが正しいと思う世界を望みながら生きることができていた老人たちがとても羨ましいと思うのです。
いつかクララが目を覚ましても、ドロッセルマイヤーおじさんがいない日が来るんだね。
可哀想なクララ。
Posted at 2025/09/29 06:22:55 | |
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