2024年07月10日
生まれて初めての幸せ
そんな中で一番最初に出会った一つの家族。
そんな私の目的や決意など全く知らない方たちは、チョロチョロとまとわりついてくる変な私に戸惑い、しっしっと追い払うように、私が離れていくような冷たいことを言っては遠ざけようとしていました。
いつも以上に冷たいことを言われ続けたその日、泣きそうな気持ちを我慢して「それでもずっとそばにいたいんです」と言った私の前で、突然ポロポロと涙を流した方。
いままで私に、手に入らない!手に入れたい!と泣く人はたくさん見てきたけれど、こんな風に泣く人に初めて会ったと思いました。
やっと信頼してもらって自宅に招かれたとき、その頃70代だったおばあ様は、私のために私がその頃好きだったキティちゃんのスリッパを用意してくれていて、桜茶をいれてもてなしてくれました。
それからもう30年以上たちましたが、この方たちは、一度も私から何かを受け取ろうとはしませんでした。その子、孫、親戚、友人、誰一人もです。
それどころか、私を子どものように大切に愛してくれて、ひたすら私に与え続けてきました。
そして私の愛国心を守り続け、日本の車、たくさんの日本製品を私以上に信頼しほめてくれていました。
その方は小さな会社を経営していましたが、出会っで1年くらいたったころ、今までで最高の売り上げ?だったとかで、
「自分(私のこと)みたいに、何か誰かの役にたてないかと思って初めて寄付をしたよ。したことがなくてどこにしたらいいか分からなかったから、とりあえずここにしたんだ」と、その頃よくCMで流れていて、クレジットカード明細に一緒にチラシが入っていた国境なき医師団に寄付をした振込み明細を嬉しそうに誇らしそうに見せてくれた日のことは今でも忘れられません。
私の仕事仲間に比べて、桁違いに小さい会社をなんとか続けて来た方が寄付するには高額でした。
贅沢な暮らしもしていなかったのに、収入が増えたときにまっさきにしようとしたことが、誰かのための何かであることが、号泣するくらい嬉しかったのです。
私は、幼少期からずっと、人間はみんな不幸だと思って生きてきました。
でも、私のどんなものを見ても聞いても、ずっと私に「分不相応なものは要らない」と、はっきりきっぱり言い続けることが出来るこの方たちと出会って、とても大切に愛されて、生まれて初めて人間はちゃんとこんなに幸せになれるんだと思ったんです。
「いつでも何にも縛られず、自由に自分の幸せのために生きて欲しい。いつでも自由に飛びたってほしい。」
私がずっと言われ続けていた言葉です。
たった一回、マンションの抽選販売に付き合い当選したことを、こんなの今まで当たったことがないと私の手柄にし、私から何もうけとらないまま、たったそれだけのことをいつまでもいつまでも感謝してくれる方たち。
私はこの方たちの30年分の誇りをずっと預かっているんです。
去年の3月、韓国の尹錫悦大統領と岸田総理のニュースは本当に嬉しかった。
それからも続く尹錫悦大統領の在日韓国人の被爆者達との面会、誠実な対応と言葉。
私が接触したことがないおばあ様達の少女のような笑顔をテレビでみて、
あー、私がどんなに頑張っても身近なおばあ様をこんな笑顔にしてあげることはできなかった!
と、ただただ本当にありがとうと、
胸が苦しいくらいに感謝しました。
そしてこれに関わる米国の対応にもずっと心から感謝していました。
車の話になりますが、ラリーのヒョンデの活躍を知って、いつか日本の客席に在日の方たちがたくさん来てくれたら素敵だなと夢見てしまいました。だってきっと心から日本と韓国の両方を応援してくれるから。
私、トヨ◯がこの頃ネットでたたかれていたとき、すごく辛かった。
トヨ◯だけじゃなくて、日本の誇れるものが悪く言われたらいつも悲しい。
だから、他の国の人たちが誇りにしている大切なものを、日本人にはどうか悪く言わないでほしいといつも思っています。
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Posted at
2024/07/10 23:54:44
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