昔、クアラルンプールでツインタワーを見ながらある人が私に言いました。
天使が多ければ天国
悪魔が多ければ地獄、
同じなら人間が住む地球。
ビルのどちらが天国でどちらが地獄か。
人間が住めるようにバランスを保つ者は善か悪か?
私は答えられなくて、その人も教えてくれなかった。
ただビルを見上げながら、繋がる道をわざと閉じないなら悪魔をどんなに殺しても人類は善悪の戦いを続け、ただ永遠にバランスをとり続けるだけだろうと思っていました。
だからなのか、自宅にあるツインタワービルの置物はいまでも天秤に見える。
それでも、海外に行く度に必ず買っていたそれぞれの国の置物と一緒にピアノの上に並べて、ピアノに優しい曲を演奏させると善が世界中に感染していくように感じることができました。
善悪の動きはウィルスにとても似ているとも思っていたから。
私が通っていた幼稚園は東北にある仏教の幼稚園でした。別に信仰がそうだったわけではなく、家庭の事情で一時的に住まなくてはいけなくなった家の近所にあったからでした。
寺とお墓はいつも生活のなかにあり、園児には数珠が与えられ、まだよく分からないなか毎日お祈りを捧げていました。
綺麗なキラキラした石を拾ったらお墓にのせてあげたり、美しい花で冠を作ったら墓石にかけたり、知らない人のお墓にそんなことをして、今なら悪戯として怒られてしまいそうですが、転んだり迷子になったりと毎日幼稚園児なりに何かあるなかで、いつも自分を守ってくれたのは死者達だと感じていたので、そんなことでも御礼がしたかったんだと思うのです。
3月6日、原っぱで蝶が休んでいるみたいであまりにも素敵だったので豆の花を買って仏壇にかざりました。
花言葉は「必ず来る幸せ」
とても動きがある豆の花ですが、朝起きたらまた自然にハートが作られていました。
悲しい場所に立って、歴史という事実が私を追い込んで破壊しても、そこで死者から苦しみをもらったことは一度もない。
生きている人間の世界の方がよほど憎しみや苦しみでいっぱいで、それをもらってしまう私を癒してくれるのは、いつも苦しみ抜いたはずの死者達だったと気づく。
人生を振り返り、やはり死者は怨みや憎しみのような苦しみのなかにはいない。
ただ、亡くなると生きているときの善行の数や大きさに比例した「生きている人を助ける力」をもらえるのではないかと。
いなくなってしまったと感じるのは、それを使い果たしたときに生まれ変わってしまうからなのかな。
人類がもつ死の恐怖。
その恐怖より勝つ愛。
そして、そんなものを破壊してしまえる、世界にあるたくさんの信仰。
生と死にいつも関わり続ける信仰の謎を丁寧に解いて、みんながずっと待っていてくれた優しい答えを出してみたかったけど、今はツインタワーが天国(善)と地獄(悪)に見えて、
「生」こそが地獄に見えるのだからだめだろう。
愚かな人間はあらゆるものに助けられて何とかやっと生きてきた。
世界中の人が、死に寄り添い、死者達が自分にしてくれたことを忘れずに感謝し続けたなら、善行は証明され死者達は「助ける力」をもっともらえるのかもしれないね。
仏壇のそばに引きこもりの私のそばで、たくさん動きながらも6日もハート♡を見せてくれてる豆の花。
ありがとう。
Posted at 2025/03/13 15:40:27 | |
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