ものすごく邪悪な心で生きているこの頃、
少しだけ残ってくれていたブルーノの紫陽花が、5月29日突然こんなに不思議な色になりました。
いつも鉢植えから移した紫陽花は、枯れる前にどんどん色褪せていくだけなのに。
今回も鉢植えから
こんなふうに移された紫陽花、やはり色褪せてきています。
大きな花瓶の方は色褪せて全て枯れてしまい、小さい花瓶の方の3割くらいが残っていたのですが、薄く弱々しくもうそろそろかな、、と思っていた翌日、起きたらこうなっていたのです。
毎年紫陽花を、最後の花びらが枯れるまで大切に手入れして見届けてきましたが、こんなことは初めてのことでした。
これも仏壇からのメッセージなんだろうか?とずっと見つめていると「花の子ルンルン」の七色の花を思い出しました。
こんなふうになるヒントが物語のなかにあるかもしれない!と、七色の花がでてくる最終回から一つ前の49話を観ることにしました。
「花の子ルンルン」は子供の頃にとびとびでテレビで1回ずつ観ただけだし、
購入したDVDもまだパート2までもいってないので、七色の花については、探すために旅に出たというのに七色の花は帰ると確か自宅の庭に咲いていたんだよね?という記憶だけでした。
49話を見て、七色の花が咲いた理由を初めて知りました。
旅先で出会った人たちが、ルンルンがいない自宅に花の種を送ってくれていて、ルンルンのおじいちゃんがその種を愛と真心の印として全て育て、お花畑ができるまでになっていたのです。
そしてその中で「愛と真心の結晶」として咲いたんです。
ルンルンの旅は無駄ではなく、そこで人と触れ合ったからこそ七色の花を咲かせることができたんです。
劇場場「こんにちは桜の国」という作品が収録されていることにも気づいて、、
ルンルンがヨーロッパだけを旅するお話のはずなのに、日本の富士山、大好きな嵐山や吉野、そして桜まででてくる劇場版というものが存在していたなんて!と初めて知ったあまりの素敵な出来事に興奮してしまいました。
私は今までたくさんの人の悲しみを受け取ってきました。
仏壇を作ってからはたくさんのお花を飾り毎日祈ってきました。
あまりにも可哀想な者たちが多すぎて、なんの役にもたたない「感じるだけの自分」がいつも惨めでたまりませんでした。
そんな私にまるでメッセージをくれたように感じて、その前に芍薬が種を残してくれたことも偶然とは思えず、
(お花屋さんにも、切り花の芍薬に種なんて初めて聞いたと言われたんですよ。)
どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。
そして昨日、ネコヤナギが一番上にハート♡をずっとのせたまま、

3ヶ月前の写真(二段目は親指のように大きく育ち自然に落ちて、三段目はこのいびつな形から2番目のハート♡に変化して黄色ちゃんの命日の直後にハートの形のまま落ちた)
この写真では殻がついている4段目に3個目のハート♡をつくり始めました。
私は本当に病んで、ずっとずっと仏壇の前で「人を呪わば穴二つ」という言葉を思いながら覚悟をしてきました。
死の世界があるのなら、今の私に、そしてこれからの私に会いに来るのはきっと悪霊だろうと。
でも、病んでからもずっとずっと、仏壇からのメッセージはいつもあたたかく優しかったんです。
それを感じるたびに何度「ごめんなさい」と言ったことか。
はっきりとした5色になった紫陽花。
今日はまた違う色が見え始めてきて、いつか七色にでもなりそうな勢いです。
ブルーノの命日のお花も
1週間後
10日後
と、
枯れてなくなっていくお花もありますが、水替えで花の配置を変えるたびに、それぞれの花にスポットが当たるように美しく輝き何かを語ろうとしているように感じられますし、
誰かがお花に姿を変えて会いに来てくれるたびに天国から水を持ってくるのでは、、と前に思ったことも信じてしまいます。
やはり供養は成仏へ導き、
成仏の世界は、とても優しい世界が永遠に続いていくのかもしれません。
そして、生きている人間を想う。
ずっと、明らかに生きている誰かの寄り添う心を「どうして」「なぜ」とおもいながら感じていました。
生きて行くほうがとても大変で、たくさんのしがらみや葛藤があるだろうに、誰かが私のために力を使ってくれている。と
それは運命的に私の使命とつながる者なのか、それともそれが生きている人間の本当の美しさなのでしょうか。
Posted at 2025/06/06 00:31:46 | |
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