
こどもが、小学生になる年の春休みに、我が家はセキセイインコを家族にむかえました。
それから小学6年生まで、子供の弟のように大切に大切に育てていました。国内の移動は全て車にして、日本中いろんなところに一緒に旅をしていました。
車が大好きなインコで、車にのるとご機嫌で、後部席で子供と並ぶケージの中で、いつも歌を歌ったりダンスをしていました。
よくしゃべるインコで、夜想曲第2番のメロディで、私がつくった替え歌を歌っていました。
事故は子供が小学6年生の秋に起きました。
ほとんど即死でした。
その年、子供が突然、もう六年生だというのに中学受験をしたいと言い出しました。普通中学受験する子は、3年生から専門の塾に行っているというのに、中学受験を全く考えてなかった我が家では、塾にすら行かせたことがなく、成績を気にしたこともなかったので戸惑いましたが、悪いことをしたいと言っているわけではないし、どうせ中学になったら勉強はたくさんしないといけないよ!と話していたので、そんなにやりたいならと、やらせることにしました。
それは本当に大変で、通常5年生までに小学校の範囲は終わらせ、六年生では過去問や応用に入ると言うのに、普通よりできていない5科を上位5%に入れなくてはいけないので、専門の個別指導塾の通塾、家庭教師、それ以外は私がつきっきりで勉強をみることになりました。
ももっぴとは、遊ぶ時間がすくなくなり、リビングで私達が教科書をみていると、教科書に乗れば見てもらえると、何度も教科書の上に乗っては、ぴよ!っと、こちらをみて鳴いていました。
たった10分でも勉強をやめて、そんなももっぴと思いっきり遊んであげたらよかったのに「ごめんね、受験が終わったらたくさん遊んであげるからね」と言っては、直ぐにケージにしまっていたのでした。
このことは、私にとって、ずっと忘れることができない後悔になりました。
事故が起きて、白金台の救急病院で、ももっぴがもう助からないと亡骸を返されたとき、ガタガタ震えて、プラチナ通りで号泣しました。
ももっぴの亡骸はとても健気で、何の罪もなく、ただ、寂しかったであろう日々を我慢する選択しかなく、その結果が死であり、全ての世の中の理不尽さそのもので、そういうものを憎み、自分だけはそんな風に生きたりはしない!と誓っていた自分にとって、自分が愛するものにしてしまった現実を受け止めることがどうしても出来ませんでした。
病院につれていくとき、子供は泣き叫び号泣していました。
「大丈夫、いつも、病院が助けてくれたでしょ!」と子供をおいて病院にきていたので、子供は私に、何度も電話をかけてきました。
私は、そこで子供にももっぴが死んでしまったと言うことができず、入院することになったと嘘をつきました。子供の苦しみを受け止める辛さから逃げたのでした。
そこから私の二重生活が始まりました。
子供がいるときは、入院しているももっぴの様子を毎日つくってきかせました。嘘をついていると、ももっぴが本当に生きて病院にいるような気がして、私は嘘をついているときだけ救われていました。
でも子供が寝ると現実を受け止める時間になり、お墓のそばの公園に毎晩通い、朝がくるまでそこにいました。
秋の終わりで、寒くなってくると、お墓で眠っているももっぴがどうなるのか、どうなっているのか、誰も正確に証明することが出来ない死と言うものを考えては、泣いていました。
虹の橋やペットロスの本をたくさん読みましたが、何も救ってはくれなかったし、救われてはいけないと思っていました。
今まで、人の痛みに寄り添ってきたと思っていた自分の無知な傲慢さにも吐き気がしました。こんなにみんな苦しくて辛かったのに、少しもわかってあげていなかった。
しはらくして、私が夜中に公園で泣いていることに偶然遭遇した友達から噂がひろまり、私は公園にいかなくなるのですが、ペットロスであることは、みんなに知られてしまいました。
偶然遭遇した友達は、私が学生の頃から仲良くしている2才年上の男性で、私の方が年下なのに、私をお姉さんみたいにしたってくれていました。彼のお母様には何度も息子をおねがいしますね!と言われたものでした。夜によく呼び出されては恋愛相談に付き合い、叱ったり慰めたりして、本当に弟みたいな友達でした。
私をみつけて、彼は泣きました。
私を抱きしめて「どうして!」と何度もいいながら泣きました。
「枯れ葉ひとつの重さもない命」
子供の頃流行っていた歌の歌詞がいつも頭にありましたが、その頃の私は本当にそんな感じて、あれほど敏感に反応していた全ての機能が、すべて麻痺したように感じなくなり、いつも体のなかにもう魂が半分以上ないように感じていましたが、彼はとてもあたたかく、
抱きしめられながら、彼のお母様に、おば様、こんな風に彼は、しっかり人を抱きしめ、一緒に泣いてあげるような優しい大人になってますよ。と、ただなんかぼんやり思っていました。
自分は誰の手も取らず、誰にも甘えす、頑張ってきたと思っていた。
でも、私は、友達が皆とても優しいことを知っていたし、
絶対に私を裏切らないと信じていました。
そのことが、私のどれだけのささえになっていたか、この頃いつも思い知らされるのでした。
Posted at 2020/03/10 19:03:54 | |
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