どう生きるか?と考えていた10代の頃、2つの道をえがきました。そして20歳で出した結論を、私はいまもずっと続けています。
それは
適応力=順応力=鈍感力を極めていく道
と
それを否定する道で、私は否定する道を選んだのです。
この3つは微妙に違うもので、論文ではわけて、また、これらには経済や文明等が大きく関わり、強さとはなにか?幸福とは進化とは?と流れ、だから私は否定する道を選んだという結論になるのですが、難しくなるどころか、本が一冊ぶんにもなってしまうので、ブログですから、ざっとものすごく簡単にして3つは適応力としてまとめ、感情論のみで書きます。
戦争が当たり前の場所にいると、人間は人の痛みに鈍感になります。
それは当たり前で、あちこちで人が殺されていくことに適応しなくてはいけない中で、誰が心を痛めている、誰が怪我をしたなんて気にしていられませんから。
よく、戦争を知らない子どもたち、残酷なものをみないで育った子供達は、人の痛みがわからないなんて言われることもありますが、
私はこれは全く違うと思っています。
戦争を知らないから、残酷な現実を知らないから、少しの痛みにも敏感で、誰かが傷ついていたり、怪我をしただけでも、心配したり気にかけたり出来るのだと思っています。
ボランティアにいくと、過酷な場所に慣れている大人たちは、そこで苦しむ子供達にも慣れてしまっていますから、眠れないくらいに必死で助けようなんて思いもしませんが、そんな環境で育っていない私達は、胸が張り裂けそうになるくらいの衝撃を受けて、苦しみ、必死で助けようとしますから。
私も子供も、ペットが死んだとき、酷く苦しみました。
これも、平和の世界で生き、動物の死になれていないからで、適応力を鍛え、動物と一線を引く生き方をしていたら、これほど苦しまなかったはずです。
でも、、、
私はペットを愛したことも、愛されたことも後悔していないんです。どんなに苦しむとわかっていても、一つの命を愛する方を選ぶんです。
そして、子供が苦しんでいたとき、子供の痛みに少し鈍感になって私の痛みが少し和らぐより、どんなに苦しくても、この痛みを心から共感することができて良かったと思ったんです。
また、子供の苦しむ姿をみて、このように苦しむことがないように、育ててあげるべきだったのか、、と、たくさん考えましたが、子供がこれから誰かを愛したときに、愛したもののこのような痛みに誰よりも共感できる人生の方を、やはり子供も選ぶだろうと思ったのです。
後に学校で、このことを話した友達が、生まれてからずっと一緒だった20年生きた犬が去年亡くなった話をしてくれて、子供に寄り添ってくれたと聞きました。
そして子供がその友達の痛みを誰よりも理解し、寄り添い、私に、それってかなり辛いと思わない?と涙をうかべて話してくれたとき、こちらの道を選んで良かったと思いました。
きっと私は戦争に行ったら死ぬか壊れてしまう方です。ボランティアのように自分が壊れる前に逃げてしまえる場所だけで生きていけるような人間です。
それでも、今まで触れた、たくさんの人の痛みに気づけて良かった、寄り添えて良かったと思っているんです。後悔してきたことは、いつも、自分が傷ついたり苦しんだことじゃなく、気づけなかったことや救えなかったことだったのですから。
every little thing every precious thingさんは、その3つを受け入れ、極めてきた人に思えます。
では、every little thing every precious thingさんは人の痛みに鈍感で共感しないと言うことなのか?と言うとそうではありません。
every little thing every precious thingさんが感じる痛み、寄り添うということ、それが私とは全く違うものであると思えるということです。
この人はもう一つの道を選び、そこでたくさんの人間関係を築き、私が経験していないそちらを選ぶことの良さをたくさん知っていて、それで得たものをたくさんの人に与えてきたはずなんです。
単純に言うと、強く生きることで幸せになれたから、まわりも強くあってほしい、強くしてあげたいと願う愛し方みたいなものです。
どちらを選んでも、他人のためになるという視点では同じになるように思え、後は、自分自身がどちらにむいているかだけなのではないかと考えます。
私が苦しむことがevery little thing every precious thingにとっては幸せを感じることであるくらい、私達は真逆の世界を生きているように思えます。
そして、これから私にとって毎年苦しくなる日が、←大切な方の命日
every little thing every precious thingとっては最高に幸せな日だとわかり、その日付まで同じだったことを知ったときは、この運命に、術後にだしたような声で、ど〜ん〜だ〜け〜と、思わず、絞り出してしまいました。あ、う〜ら〜め〜しや~みたいな?
でも、every little thing every precious thingさんが、少年時代から、その幸せについて語っていることはとても素晴らしく、誰がその少年のキラキラした情熱の先に選んだ道を否定できるだろうか、、と思いましたし、その先には、誰かに喜ばれたいという気持ちがずっと繋がっています。
築きあげている国が私と全く違うだけで、他人を愛する気持ちも、誰かを幸せにしたい気持ちも、きっと私と同じ大きさなのです。
そして、今年7月から、苦しみのなかにいた私を救ったのも、この3つを極めているような生き様そのものだったのですから。
国がつくられる過程では、この2つの国は悪意なくお互いの国を滅ぼしてしまう可能性があります。
情熱や志しを奪いかねない感情を刺激してしまいますから。
同盟をむすぶのはきっと難しいのでしょう。
ですが、私という国は、崩壊しそうなとき、この国に助けられ、いつかこの国を助けたいとずっと思っているのです。
だから、every little thing every precious thingさんが、例えば全てを失って、誰もいなくなってしまって、本当に絶望のなかにいたとしたら、それに気づき、そのときにずっとそばにいるのが私だったらいいなと思うのです。
それが私の愛し方であり、生き様なのですから。
もちろん、そんなことにならないように、ずっと幸せであることを祈りますが。
この人をみていると、やはりトムとジェリーのメリークリスマスという作品を思い出します。
この作品は音楽から全てが本当に素晴らしいものです。戦争があたりまえの時代にこのような作品がつくられていることが奇跡に思えます。
共通の敵が現れたときだけ同盟を結ぶトムとジェリーですが、最後、
トムからのプレゼントに気づいたときのジェリーの笑顔をみると、本当に何度みてもつられて笑顔になってしまいます。
今年は、本当にevery little thing every precious thingさんに、あらゆる感情が動かされる年でしたので、今年のクリスマスは、この作品を観ながら、それを振り返り、優しい気持ちで来年を迎えたいと思います。
そして来年は、走り○さんが本当は誰かからのプレゼントなのではないか?の真相を絶対に解明したいと思うズグロンでした。
罠だと思って警戒していたら、実はトムからの素敵なプレゼントだったと気づく、、、みたいなハッピーエンドだったらいいな。