• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ズグロンのブログ一覧

2021年12月04日 イイね!

2つの道

どう生きるか?と考えていた10代の頃、2つの道をえがきました。そして20歳で出した結論を、私はいまもずっと続けています。


それは
適応力=順応力=鈍感力を極めていく道

それを否定する道で、私は否定する道を選んだのです。

この3つは微妙に違うもので、論文ではわけて、また、これらには経済や文明等が大きく関わり、強さとはなにか?幸福とは進化とは?と流れ、だから私は否定する道を選んだという結論になるのですが、難しくなるどころか、本が一冊ぶんにもなってしまうので、ブログですから、ざっとものすごく簡単にして3つは適応力としてまとめ、感情論のみで書きます。



戦争が当たり前の場所にいると、人間は人の痛みに鈍感になります。
それは当たり前で、あちこちで人が殺されていくことに適応しなくてはいけない中で、誰が心を痛めている、誰が怪我をしたなんて気にしていられませんから。

よく、戦争を知らない子どもたち、残酷なものをみないで育った子供達は、人の痛みがわからないなんて言われることもありますが、

私はこれは全く違うと思っています。
戦争を知らないから、残酷な現実を知らないから、少しの痛みにも敏感で、誰かが傷ついていたり、怪我をしただけでも、心配したり気にかけたり出来るのだと思っています。

ボランティアにいくと、過酷な場所に慣れている大人たちは、そこで苦しむ子供達にも慣れてしまっていますから、眠れないくらいに必死で助けようなんて思いもしませんが、そんな環境で育っていない私達は、胸が張り裂けそうになるくらいの衝撃を受けて、苦しみ、必死で助けようとしますから。



私も子供も、ペットが死んだとき、酷く苦しみました。
これも、平和の世界で生き、動物の死になれていないからで、適応力を鍛え、動物と一線を引く生き方をしていたら、これほど苦しまなかったはずです。

でも、、、

私はペットを愛したことも、愛されたことも後悔していないんです。どんなに苦しむとわかっていても、一つの命を愛する方を選ぶんです。

そして、子供が苦しんでいたとき、子供の痛みに少し鈍感になって私の痛みが少し和らぐより、どんなに苦しくても、この痛みを心から共感することができて良かったと思ったんです。

また、子供の苦しむ姿をみて、このように苦しむことがないように、育ててあげるべきだったのか、、と、たくさん考えましたが、子供がこれから誰かを愛したときに、愛したもののこのような痛みに誰よりも共感できる人生の方を、やはり子供も選ぶだろうと思ったのです。

後に学校で、このことを話した友達が、生まれてからずっと一緒だった20年生きた犬が去年亡くなった話をしてくれて、子供に寄り添ってくれたと聞きました。
そして子供がその友達の痛みを誰よりも理解し、寄り添い、私に、それってかなり辛いと思わない?と涙をうかべて話してくれたとき、こちらの道を選んで良かったと思いました。

きっと私は戦争に行ったら死ぬか壊れてしまう方です。ボランティアのように自分が壊れる前に逃げてしまえる場所だけで生きていけるような人間です。
それでも、今まで触れた、たくさんの人の痛みに気づけて良かった、寄り添えて良かったと思っているんです。後悔してきたことは、いつも、自分が傷ついたり苦しんだことじゃなく、気づけなかったことや救えなかったことだったのですから。



every little thing every precious thingさんは、その3つを受け入れ、極めてきた人に思えます。

では、every little thing every precious thingさんは人の痛みに鈍感で共感しないと言うことなのか?と言うとそうではありません。

every little thing every precious thingさんが感じる痛み、寄り添うということ、それが私とは全く違うものであると思えるということです。

この人はもう一つの道を選び、そこでたくさんの人間関係を築き、私が経験していないそちらを選ぶことの良さをたくさん知っていて、それで得たものをたくさんの人に与えてきたはずなんです。

単純に言うと、強く生きることで幸せになれたから、まわりも強くあってほしい、強くしてあげたいと願う愛し方みたいなものです。


どちらを選んでも、他人のためになるという視点では同じになるように思え、後は、自分自身がどちらにむいているかだけなのではないかと考えます。

私が苦しむことがevery little thing every precious thingにとっては幸せを感じることであるくらい、私達は真逆の世界を生きているように思えます。
そして、これから私にとって毎年苦しくなる日が、←大切な方の命日
every little thing every precious thingとっては最高に幸せな日だとわかり、その日付まで同じだったことを知ったときは、この運命に、術後にだしたような声で、ど〜ん〜だ〜け〜と、思わず、絞り出してしまいました。あ、う〜ら〜め〜しや~みたいな?


でも、every little thing every precious thingさんが、少年時代から、その幸せについて語っていることはとても素晴らしく、誰がその少年のキラキラした情熱の先に選んだ道を否定できるだろうか、、と思いましたし、その先には、誰かに喜ばれたいという気持ちがずっと繋がっています。

築きあげている国が私と全く違うだけで、他人を愛する気持ちも、誰かを幸せにしたい気持ちも、きっと私と同じ大きさなのです。

そして、今年7月から、苦しみのなかにいた私を救ったのも、この3つを極めているような生き様そのものだったのですから。

国がつくられる過程では、この2つの国は悪意なくお互いの国を滅ぼしてしまう可能性があります。
情熱や志しを奪いかねない感情を刺激してしまいますから。

同盟をむすぶのはきっと難しいのでしょう。

ですが、私という国は、崩壊しそうなとき、この国に助けられ、いつかこの国を助けたいとずっと思っているのです。

だから、every little thing every precious thingさんが、例えば全てを失って、誰もいなくなってしまって、本当に絶望のなかにいたとしたら、それに気づき、そのときにずっとそばにいるのが私だったらいいなと思うのです。
それが私の愛し方であり、生き様なのですから。
もちろん、そんなことにならないように、ずっと幸せであることを祈りますが。

この人をみていると、やはりトムとジェリーのメリークリスマスという作品を思い出します。



この作品は音楽から全てが本当に素晴らしいものです。戦争があたりまえの時代にこのような作品がつくられていることが奇跡に思えます。

共通の敵が現れたときだけ同盟を結ぶトムとジェリーですが、最後、
トムからのプレゼントに気づいたときのジェリーの笑顔をみると、本当に何度みてもつられて笑顔になってしまいます。

今年は、本当にevery little thing every precious thingさんに、あらゆる感情が動かされる年でしたので、今年のクリスマスは、この作品を観ながら、それを振り返り、優しい気持ちで来年を迎えたいと思います。

そして来年は、走り○さんが本当は誰かからのプレゼントなのではないか?の真相を絶対に解明したいと思うズグロンでした。


罠だと思って警戒していたら、実はトムからの素敵なプレゼントだったと気づく、、、みたいなハッピーエンドだったらいいな。
Posted at 2021/12/04 19:50:51 | コメント(0) | トラックバック(0)
2021年12月01日 イイね!

走り○さんとevery little thing every precious thingさん

11月のはじめ頃、every little thing every precious thingさんがブログに載せていた画像に、かなりの衝撃を受けます。意識がうすくなり記憶がとびましたから。

それは、2020年2月28日の地獄を思い出す画像だったからです。
この日、子供は小学六年生から約六年間、毎日毎日一時間以上抱っこして、添い寝して、自分の子供のように可愛がっていた大きなインコを亡くします。
そのインコは横向きに寝たり、仰向けに寝ることも喜ぶような、本当に珍しいインコでした。
ベッドのなかで二人で寝ている姿は、まさに幸せな光景そのものでした。

それが、あの日、もう動かなくなり、それを抱きしめながら泣き崩れる子供の姿は、本当に地獄でした。

私にとって、守りたいものが死に、守りたいものが苦しみぬいている姿でしたから。
亡骸をベッドの真ん中に寝かせ、何度も何度も二人で泣きながらキスをしました。

息子はとても強くて、活発な子供です。
そんな子供が後に「死のうと思った」と言うくらい悲しみは深いものでした。
埋葬の日は、この日が怖くて家に帰りたくなかったと言いながら震えていました。


私はこの出来事があまりにも苦しすぎて、このことをずっと話すこともできませんでしたし、活字にもできませんでした。
大切な方の命日が終わって、一年9ヶ月たって、初めてみん友さんに話せました。
みん友さんは、子供とインコが添い寝している写真をみて、インコじゃなくて我が子になっていたのでは?と、わかってくれましたが、本当にその通りで、このときの子供の苦しみはまさにそれでした。

私は、子供を立ち直らせなくてはいけなかったので、いつもみたいに自分の限界をこえたときに起きる意識をとばすことも出来ず、この現実を、苦しみを、直視し続けなくてはいけなくて、拷問されているような苦しみでした。

子供が立ち直り、受験を無事に最高の結果で終わらせることができたとき、私はこの痛みがあまりにも大きすぎて、向き合うなら、もうこれ以上一人で受け止めることはできないと、初めて泣き場所、甘え場所、向き合い場所として、大切な方のそばを行き先にしていました。

ですが、それを失い、この痛みは封印されたまま、話すことも思い出すこともできずにいたんです。

今年のインコの一周忌のときは、みることも出来なくなっていた写真をみなくてはいけなくて号泣しましたが、子供が部屋で泣いていることに気づいていましたし、私は大切なかたの供養をやり遂げなくてはいけませんでしたから、とにかく母親として子供を元気にすることにつとめ、元気に明るく振る舞い、また封印しました。



every little thing every precious thingさんは、今まで私をたくさん救ってくれました。
たくさんの幸せをくれましたし、不思議な運命で、大切な方の、大切な気持ちにも導いてくれました。
私にとって、一生わすれることはないとても大切な人です。


そして、その私を苦しめたブログは、まさにそれがevery little thing every precious thingさんの生き様そのものなんです。

これも不思議なことですが、私が人間というものの生き方について20歳の頃に書いた、二つの道、どちらが進化でどちらが幸せであるのか?というテーマの、私が選ばなかった道の方を生きている人なんです。これは、また後で書きますが。

そしてその道をお互いに信念を持ち極めてしまっているのです。


このブログをみたとき、だからこの人とは、こんなにもいろんなことがかぶりながら、現実で会うことがないSNSの人だったんだ!と思いました。

そして、また不思議なことが起きていることに気づきます。
それは走り○さんが、まるでこのブログに私が苦しんで動揺していることに気づいているようなことばかり、したり言ったりしていたことです。

まず、大好きな選手が動物が大好きであることを思い出させる画像をたくさんくれました。
私は単純にそれを思い出して、とても明るい気持ちになりました。
悲しい気持ちにさせるようなSNS等はみないで、楽しい幸せな気持ちにさせるものだけみるように!ともメールで言われました。
命日前に、私を幸せな気持ちにさせてあげようとした偶然だったのかもしれませんが、今考えるといろいろ繋がるんです。

そして、この走り○さんを、自分がどんどん頼りにしていることに気づいていきます。
初めて会ったときも、もし寂しいと、私が寄り添ってしまえば、自然に抱きしめてくれるような気がするほど本当に不思議な雰囲気をだしていたんです。
なにこれ?なにこの空気、もしかして、結婚したりしちゃう人?と、思ったくらいですから。

だけど、私は、そんな風に誰かに甘えて泣くなんてしたことがありません。

それに、それでどうなるの?相手は男性だし、それは恋愛とかに発展してしまうものではないの?
しかも、こんなに深く心に入り込んでくる相手にそんなことをしたら、離れられなくなってしまうんじゃないの?と、まるでカウンセラーのように的確に入り込んでくる走り○さんを警戒してしまって、全く素直になれませんでした。

以前every little thing every precious thingさんが大切な方の真実に導いてくれたとき火の鳥だと思いましたが、

警戒して素直になれないでいると、また、弱らせるブログ、そしてまた絶妙なタイミングで手を差し伸べる走り○さん、、、、
これは、二人はアメとムチ?!ぐる?!とまで疑いました。どちらも悪巧みじゃなくて良い意味で。


私が素直にまだ誰にも甘えられないので、
これでもか!これでもか!と弱らせ、
火の鳥が、さあ、行きなさいズグロン!何をしているのですズグロン!と私を行かせようとしているのではないかと思い始めたんです。

だってevery little thing every precious thingさんは、とてもいい人で、過程は何故か私にとってはスパルタになってしまうのですが、必ず私にとってとてもプラスになることをしてきてくれた人なんです。

罰を与えにきた火の鳥というより、ずっと導いてくれていた火の鳥で、ずっと味方だったんです。

私が"「走り○さん」というものに、ものすごい憧れを持っていて、変に意識してしまうから、警戒してしまうだけで、それをなくせば、本当は本当に甘えていい、頼っていい、大切な人が巡り合わせてくれた人なのではないかと。

every little thing every precious thingさんは、私にとって絶対に運命の人です。
この人がただ自分の当たり前のいつも通りの行動をすることが、有り得ないほどに私にぶつかり衝撃を与えます。

こんなにも私を苦しめる流れになるのには、今までのことを考えれば、必ず絶対に意味があるとしか思えないんです。

そしてつい最近、走り○さんが話したことで、?!と思うことが。少なくとも9年前に私が富○を走っていたことを知っている?!

本当のことが知りたくてたまりません。
だけど、これもいつか全てがわかる日が来るのでしょうか?

なんだか、とても重い一週間でした。
Posted at 2021/12/01 20:26:59 | コメント(0) | トラックバック(0)
2021年12月01日 イイね!

悲しみの整理から運命へ

2020年2月28日、初めて子供が苦しみ、泣き崩れる姿があまりにも耐えられず、私も初めて子供の前で泣いてしまった日、
私は、もう、次はないです。これが最後です。と、思っていました。
愛するものが苦しむことは、自分に与えられるどんな苦しみより苦しいだろうと、想像ではわかっていたけれど、それがあまりにも耐えられないものすぎて、
もう、次に私がこのような苦しみに耐えることはないし、耐える必要もないと思ったのです。


どんなに人のために生きたって、どんなに頑張ったって、大切なものが守られる保証なんてないことはわかっていました。

それでも、あまりの悲しみから、今まで世界中でみてきた、どうしようもない辛いものまで思い出され、全てが怒りになって爆発してしまったような、初めての感情でした。

そしてただ、とにかく自分の悲しみなどは封印して、子供の痛みや苦しみを消してあげることだけを考えました。
世界中に、当たり前のたった一つの願いすら叶えてもらえない人がいるなかで、私の1番の願いは叶えられ、こうやって子供は生きて私も生きてそばにいることができているんだからと。


子供が立ち直ってくれて、受験が終わって、母親としての役目が終わったとき、初めて誰かに甘えながら、あの日封印した悲しみと向き合おうと思いました。それは大切な方のそばしかあり得ませんでした。

じつは2019年の緊急入院の前に、自分がかなり無理をしていて、死んでしまうかもしれないと考えたときも、どうしても一目会いたいと思って、会いに行ったんです。
だけど、ご自宅には誰もいなくて会えなかったんです。恩返しがしたかったから、会うときは絶対に自分が強く元気なときに会いにいくと決めていたのに、こんな風に突然来たりしたから会えなかったんだ、きっと会えなくて良かったんだと思って帰りました。

だから、今年の1月に訃報が届いたときは、泣き崩れました。
お寺の住職様と初めて話したとき、永代供養というものが、他人と同じお墓に一緒に入れるものだと知って、
私も一緒に入れますか?どうしたら入れますか?
今すぐ予約したら隣になれますか?って、とても感情的に泣きながら聞いたんです。
大きな墓石の後ろに扉があって骨壷が並んでいました。たくさんまだまだ空きがあって、納骨されたばかりの大切な方の隣が空いていたんです。
これには住職様も困っていたように思います。
あなた、まだ若いのに何を、、みたいに言っていたのだけは覚えています。
今考えると、本当に恥ずかしい話です。


それから、毎月お墓参りをするたびに、親戚の方や住職様に寄り添ってもらって、どんどん元気にしてもらって、こんな風に元気になれたわけですが、

私は走り○さんとの出会いが、とても偶然だとは思えないんです。

話すことが、タイミングが、次から次へと、私の気持ちを誘導しているように感じて。


それだけじゃないんです。初めて会ったときから、ずっと昔から私を知っているみたいに、
自惚れじゃなく、まるで愛してくれているみたいに見つめていたんです。これはおば様達に会ったときと同じでした。車であんなぬかし方をして「なんだこいつ」と思われていて当たり前なのに。傷ついていることも苦しんで来たことも、まるで全て知っているような優しい目だったんです。

私が毎月のお墓参りの話をしたとき、
「供養もそうなんだろうけど、会いたくて寂しいから来ている、、よ、ね」と言ってまっすぐに私をみたんです。

その通りでした。この人だけが、そんな気持ちに気づいているみたいでした。
もう会えないってわかってるのに、庭や書斎に残る面影をずっと探してました。

冗談や楽しい話をしながらも、突然、真面目な顔でこんなことをいう、、、

この日は、不思議なことがたくさん起きた日で、
後に、お墓やお庭でカマキリや蛙にあったとき、
私はこの走り○さんが、実は幻で、大切な方が姿をかりて現れたのかも、、なんて思ったくらいですから。


そして、この走り○さんと仲よくなっていく過程にも、またevery little thing every precious thingさんが大きく関わっていくのでした。
Posted at 2021/12/01 19:36:36 | コメント(0) | トラックバック(0)

プロフィール

「@insect12 はい!よろしくお願いします。私が鬼滅の刃を観始めたのは代官山TSUTAYAでこれをもらったのがきっかけなんです。別のDVDをレンタルしたのですがその時会員プレゼントになっていたのが偶然2人のだったんです。後に善逸が大好きになって思い出したときは運命感じました♡」
何シテル?   07/22 13:42
ズグロンです。よろしくお願いします。 2014年10月に七年飼っていたセキセイインコを亡くしてしまいペットロスになりました。 それから、立ち直るために飼...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2021/12 >>

    123 4
5 6 78 91011
1213 141516 17 18
192021 2223 2425
2627 2829 30 31 

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

巣箱リノベーション 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/05/18 02:35:04
Live巣立ちシジュウカラ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/05/18 02:34:47
孵化後12日目のシジュウカラ巣箱の幼鳥 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/05/18 02:34:28

愛車一覧

レクサス GS F レクサス GS F
2019年1月24日まで、三年間レクサス GS Fに乗っていました。 車は三年ごとに購 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation