NHKで放送されている「あんぱん」
これを観ることは凄く悩みました。
なぜなら私は「やなせたかし」がずっと幸せな人であったことを望み、亡くなってからはそう思い込むことでバランスを保ってきたからです。
神を信じていた14歳の私が、この世界の悲しみについて考え悩み苦しんでいたときの文章に対して、
「神様はいろいろつくりすぎて、今はちょっと混乱していらっしゃる。」と書いてくれたのが「やなせたかし」でした。
後に私はこの言葉を背負い苦しみ続けることになる。
あまりにも世界が悲しみに溢れていることを知って、私が神を否定するまで。
あの頃の私をみつけて、私の心を考えてくれた唯一ひとりの日本人、そして海外の天使たちにバトンが渡されるきっかけを作ったのも「やなせたかし」でした。
だから「アンパンマン」が1988年にアニメ化されて有名になっていく前から、日本ではない別の小さな私達の世界で「やなせたかし」は特別な人として語られていました。
この縁が、私を想像もできない世界へ導くことになり、私に使命を自覚させることになっていったわけですが、神を否定する結論をだした自分の罪深さを感じながら、逃げて避けて、それでもずっとただ幸せであって欲しいと願ってきた大切な存在なのでした。
2022年9月29日、初めてお墓の前にたち
お墓があんまりにも綺麗で、願った場所で望んだ形で眠っているんだと思ったら、物凄く嬉しくて身内でもないのに安心したように涙がボロボロと。

このように故人の願いを叶えてくれた全てのものに感謝したんです。
だからあの日お墓の前で終わらせた「幸せなやなせたかし」が、悲しんだり苦しみぬく姿なんてみたくもなかったんです。
だって「あんぱん」が先にすすめば、必ず避けては通れないのが戦争だから。
私の祖父は昭和18年7月20日に補充兵として召集されてから、
兵站病院要員として
昭和18年10月21日小倉陸軍病院に転属になり
20年3月11日
レイテ島シラド湾で
腹部砲弾被片創
で衛生兵として戦死しました。
「あんぱん」が放送されてから、ニュースなどにもなるようになって、
「やなせたかし」が高知の連隊ではなく小倉の連隊だったんだ!と知ると、大きな力で導かれる運命を感じずにはいられませんでした。
飢餓経験が生んだのが「アンパンマン」と知ったときは、
私はあんまり悲しい日は、食事のとき、みんなの分!と、体が痛むまで食べることをくり返してしまうけど、何かを生み出すことで苦しみを希望に変え続けられたら、私もいつか救われるだろうかと思いました。
祖父は飢えたまま、一度も満たされることなく、産まれた子供にも会えないまま亡くなってしまいました。
どうせ亡くなるなら苦しみ抜いた分、生きていたことの方が残酷じゃないか!と何度も思いました。
私は、世界中の戦死した人たちが、戦争が終わったら!祖国に帰ったら!と夢に描いていたであろう世界を何度も想像して、少しでもそれを現実の世界につくることで、せめて夢を描いたことだけでも報われるようにしたかったし、
愛するものの平和のために!と命を捧げた人たちのために、その愛するものに平和を与えられる未来をつくりたいとずっと願って生きてきました。
でも、今年それを放棄したんです。
「あんぱん」を観て、そんな願いを思い返され、
私が放棄した年に「あんぱん」がこのタイミングで放送されることも「やなせたかし」が導く運命なのでしょうか。
戦争の話はとても苦しい。
だから全てを直ぐに受け入れることが私には難しい。
それでも、闇を隠せば光もみえなくなるし、悪人をいなかったことにしたら善人もいなかったことになる。
だからどうか真実は消してしまわないでと思っています。
Posted at 2025/06/10 10:26:44 | |
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