海外旅行はあまり行った事がありません。
アメリカ2回、中国2回、韓国1回、くらいです。
しかも韓国以外は全部30年〜40年くらい前なので今とはかなり違いがあります。
初めての海外が中国でした。
39年くらい前かな〜。
この時は親戚の方が製薬会社の漢方の買い付け担当のお偉いさんだったので超VIP待遇の二週間の旅行でした。
上海から入国しましたが今の上海のような近代的な高層ビルは一つもありませんでした。
まだインディージョーンズの舞台になったような景色が多かったです。
北京は故宮をバックにパチリ。
先程超VIPの旅行と書きましたがこれから中国のいろいろな場所に行くのですが必ず専用の通訳さんと送迎車と運転手さんが付いてくれました。
当時の通訳さんは外貨獲得のための重要な仕事で年配の女性でしたが彼女のご主人が中国共産党のお偉らい外交官だったと記憶しています。
なので北京の宿泊は 「 北京飯店 」でした。
飯店っと言っても食事をする所ではなくホテルも意味するんですね〜。
しかも北京飯店は北京で勇逸の外国人も利用できる一流ホテルで当時は普通の日本人は宿泊できませんでした。
チェクイン時に日本から来た議員さんがいましたがなんで僕らみたいな一般人が宿泊できるのか?不思議そうな顔して見ていました。

北京の街中。
探せばもっと出て来ると思いますがこんな写真しか残っていませんでした。
下の写真は食堂らしいのですがあまりのボロさに強烈に思い出に残っています。( ちゃんと営業しているみたいでした。 )
孫文の生家。
隣に写っているのが親戚です。
北京駅。
この列車に乗って大陸を横断して当時ソビエトの国境近くのハルビンへ。
ハルビン到着。
ハルビンでは爆破された盧溝橋事件の橋を見たり当時日本で大ヒットしていた森村誠一の小説 「 731 石井部隊 悪魔の飽食 」( 日本軍が中国で行っていた細菌兵器、毒ガス兵器の人体実験 ) のせいか戦争博物館にはこの小説関連の陳列の前には日本の観光客が大勢いました。
日本人の団体付きの通訳さんは遠慮がなくて「 あんた達日本人はこんな酷いことをやっていたんだ〜」なんて大きな声で言っていたのを憶えています。
ハルビンではないかもですが?
ハルビンの写真は少ないのですが・・・・
なんととんでもないことがおこりました。
写真の右に写っている青年。
ハルビンの街中を歩いていたら向こうからツカツカツカっとこちらに来ていきなり私の手を持って「Kさ〜ん!」って叫ぶではないですか。
な、な、なんと同じ大学の探検部の後輩の T君ではないですか!
なんでも探検部の先輩達と3人で中国入りしてそれぞれが単独で旅行して期日を決めて合流する予定で中国旅行している最中でした。
広い中国でこんな事があるんですね〜、信じられません。
その日は夕食をご馳走と一泊して彼は残りの旅に出かけました。
ハルビンではもう一つ強烈な光景も。
まだ当時は軍事機密にかかるので写真は撮れませんでしたが。
ホテルに待機していると「面白い物を見せてあげましょう・・・」っと案内されたのがホテルの地下室。
何も無い部屋には大きな赤い絨毯。
案内人がいきなり絨毯を捲りスイッチを入れると床の一部が ( 2m✖️2mくらいだったと思います。) ゴゴゴ〜って動き扉がスライドして入り口が現れました。
なんでも数年前までソビエトと国境紛争があり中国側はハルビンの地下に迷路のように地下通路を掘っていてソビエトの国境寸前まですでに通じているのでいざという時にはそこから延伸してソビエトに攻め入るための地下通路だそうです。
この時はもう用済みになっていたので今後観光資源にするか検討中ですっと聞きました。
地下通路を案内され出てきたのがデパートの倉庫でした。
まるでスパイ映画の一部のような光景で妙に興奮したのを覚えています。
ハルビンでは冬は➖20°以上になるので外に出る時は大きなポンチョの中にお腹に練炭を抱えて外出するとかどう見てもロシア人みたいなロシア系中国人の美女を多く見かけたりと見る物聞く物が異次元でした。
ハルビンの帰りは大連に寄りました。
これは毛沢東首席の別荘。
これも特別に宿泊できました。
大連の海水浴場。
おそらく大連で撮ったお寺の一部。
中国のお寺の多くは文化大革命で江青女史(毛沢東首席の奥さん) が率いる4人組が学問、宗教の弾圧を図り焼き払われたので再建されたお寺はピカピカ過ぎて有り難みがなかったです。
その後まだ各地を回って再び北京へ。
実は中国へはもう一人年配の方と来ていたのですがその方は北京で針治療を受けに来ていました。
そこで治療をしてくれる北京大学の先生とお話しをしてくれたのですがその先生が見せてくれたのは軽く1m以上はある針!
何でも首の付根から背骨に沿って刺すそうです。
怖いですね〜。
先生曰く「 中国広しとは言えこれが刺せるのは3人だけです。 」って言っていました。
当時の中国は先に書いた文化大革命が数年前に終わったばかりで庶民の服装の自由化も最近だったみたいでした。
なので女性は皆さんスカートを着ていても大股開きで座るもんですから数日間はもう目のやり場に困ってしまいました。
それにとにかくGパンはせがまれましたね〜。
夏の北京はもうスイカ臭いのです。
スイカを切ったのをもう街中で売っていてそれを食べた人はゴミ箱に捨てる習慣がないので至る所にスイカの食べ柄が捨て放題。
北京動物園では小汚いパンダがウヨウヨいました。
これが初めてパンダを見たのですがもうありがたみがなくって。(笑)
この時の中国には2週間いましたがもう食べられる物が無くて日本に早く帰りたかったです。
アメリカには30年前に2回行きました。
最初の10日間は東海岸、2回目の10日間は西海岸とハワイです。
この時のアメリカ旅行も贅沢な旅行をさせてもらいました。
ANAがアメリカ直行便を飛ばし始めて直ぐだったためビジネスクラスもかなり豪華だったようです。
長距離の飛行機もそんなに経験なかったので飛行機の中ってファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスってこんなに待遇が違うんだな〜って思いました。( この時のファーストクラスは座席にスシカウンターが来てその場で握ってくれたみたいです。)
ホテルもニューヨークで当時一流だったウオルドルフ アストリア ホテル からマリオット ホテル に泊まったりっと当時だからできたんでしょうね〜。
マリオットホテルから。
ニューヨークの市街地で。
続いてワシントンに渡りナイアガラの滝へ。
船に乗って滝の直ぐそばにも行ったのですがすごいですね〜これだけの水がドンドン流れているのになくならないいんですね〜。
ナイアガラの滝は迫力満点で満足したのですがアメリカ側からナイアガラに行く途中の道はディュポンなどの化学工場群で景色が悪かったのは残念でした。
一度帰国してその間に2回目の中国に行った後に2回目のアメリカへ。
今回は西海岸からハワイです。
ロスアンジェルスは流石に映画の街。
正面に見えるビルはダイハードの「 ナカトミ ビル 」の舞台になったビルです。
チャイニーズ シアター 前でスティーブ マックイーンの手形を見つけました。
夜にはヘリコプターでサンフランシスコの夜景を楽しんだのですがヘリから下りたらパイロットさんが「 このヘリは トップ ガン の撮影にも参加したんだよ。」って教えてくれました。
ゴールデンゲートブリッジの夜景。
続いてサンフランシスコにも寄ったのですが写真がないな〜。
ハワイの写真も取り敢えずはこれ一枚。
観光等の潜水艦に乗りました。
大型のヨットで沖合で潜水艦と合流するのですがこの日は波が荒くて待つ間に酔って酔って我慢できずにゲロってしまいました。
ハワイのホテルのプールサイドでドリンクを飲んでいたらプールで超ビキニのナイスバディのお姉さんがプールで泳いでいる風のホテルのCMを撮影していました。
休憩の時に何故か彼女プールサイドで見ていた私の横に来てお話しをしてしまいました。「 観光客じゃ〜ないかと思った〜。観光客はそんな話し方しないから。」って言ってくれました。
1度目のアメリカに行った時は「 ハロー」の一言が出るまで3日の朝までかかったというのに1回目と2回目で2週間以上アメリカにいたせいか片言でも意思疎通はできていたみたいですね〜。
でも残念ながら今は全く話せませんよ。(笑)