
前回の続きから
到着が既に5時を回り、重苦しく覆われた灰色の低く垂れこめた雨雲、護岸に打ちつけている波しぶきと海鳴り・・・
まるで地の果てに来てしまったかのような錯覚にさえ陥ってしまったかのようにも感じる荒涼とした風景でした。
宿は大津波で跡形もなく流されはしたものの、家族は命からがら避難所での生活を強いられ、港近くの復興屋台村で仲間内と仮店舗を経営するなど多くの苦難を乗り越え、震災から2年後に再建されたとのことで小規模ながら手入れの行き届いた感じのする佇まいがポツンと建っていました。
ご主人に2階の部屋に案内され、ネットで
予約した8畳和室ではなくチョッと狭い洋室ツインでしたので、一瞬アレっ?と思いましたが、海側の角部屋だし日頃からベッドなので別段問題がなく黙っていました。
夕食が6時半であることと風呂は先着順の貸切となる旨を案内され、まだ数人しか到着していないので今のうちに入浴された方が良いと勧められたので汗を流すことにする。

・本日の部屋 205号室
僅か6部屋の小規模な民宿だし温泉もないので、少し贅沢な家庭用ユニットバスが2か所あるだけでしたが、時間に追われることなくノンビリと入浴することが出来たのが幸いだった。
入浴後、夕食時間にも少し余裕があったので、
玄関前の軒先にて雨宿りするかのようにチョッと一服(^。^)y-.。o○
相変わらず雨風が強く明日の天気が少々心配になるが、部屋に戻りTVの天気予報では晴れのち曇りとの予報だったのでホッとする。
せっかく
岬の突端に泊まるのだから、せめて大海原の景色を楽しみたいのは正直な気持ちである。
やがてご主人から夕食の支度が整ったとお呼びがかかり、階下の食堂へ出向く。
案内された席は通常のテーブルではなく、僅か4席のカウンターであった。
このことは後に知ったことだが、自分以外全て復興関連にあたる工事関係者だけだったからでした。
そのため料理が異っているので、宿側の配慮があったという寸法だ。
しかしカウンター席には2名分用意されていましたが、目の前の護岸工事を請け負う会社の社長だけが特別扱いだったようで、料理内容は自分と同一でした。

・本日の夕食
食膳には雲丹までも提供されていたものの、まだ漁が解禁になっていないため生簀にあったモノなので痩せているのだとの断りがあったが充分に美味しかった。
漁師の宿だけあって魚関係の料理は格別で、宿泊料以上に得したような感じです。
おかげで隣席の社長さんと宿のご主人を交えて
遅くまで飲んでしまいました(^^ゞ
5月16日(火)晴れのち曇り
昨晩までの雨は上がり青く澄んだ空が朝から眩しい。
少々寝不足ではあったものの、この絶好なチャンスを逃してはならないので朝食の前後の時間を有効利用し、
岩井崎周辺を散策して絶景を眺めることにしました。

・部屋からの景色

・↑の景色のアップ

・朝食
宿の前には三陸復興国立公園の岩井崎、復興途上にあるものの美しい松林と岬突端には奇岩と大海原、そして波が演出する潮吹き岩などを見ることができ、
昨日の荒涼として重苦しかった様相とは一変し、雄大な自然の造形美を暫し時を忘れ眺めることが出来たのだった。

・岩井崎の案内看板(復興工事で立ち入り禁止が多い)

・遊歩道を歩く

・タンポポがひっそりと咲いている

・三陸リアス海岸らしい切り立った岩肌

・復興のシンボル 龍の松 沖に向かって龍が咆哮している様

・岩井崎突端の様子

・石灰岩が波に侵食され独特の奇岩の連続になっている

・気仙沼方向を望む

・名勝 潮吹き岩

・近くの琴平神社の鳥居

・琴平神社の手水舎には津波の跡が・・・

・社殿

・琴平=金刀比羅?
今日のコースも昨日同様に長距離移動なので10時に出発。
昨日不安を感じた道をR45まで引き返す。
宿からのアドバイスで、当初計画していたR45経由で海側の女川回りで石巻に向かうのではなく山側の三陸自動車道(無料区間)で石巻を目指すことにします。
このため被災した風景を見ることなく
淡々とした山道や高速道での移動となります。

・岩井崎の学校の被災状況

・岩井崎までの道は・・・

・R45沿いにある赤牛海岸

・左手トンネルは気仙沼線、しかし線路は流失したまま・・・

・小さな川にかかる気仙沼線の鉄橋も橋脚のみに・・・、左右の築堤も崩れている
やがて山間地から平野部へと入り、登米市を経由し石巻市へと進みます。
高速道の標識には松島の文字が出る頃、ずっとナビ任せで走ってきましたが、どうやら予定していた石巻を通り過ぎているような気がし、地図で確認すると案の定
ICを2つも通り過ぎていました・・・(;^ω^)
成瀬奥松島ICからR45で戻るように石巻港方面に向かいます。
途中航空自衛隊松島基地を近づく頃には津波で被災した様相に変わっていき、予定していた笹かまぼこ等で有名な白謙かまぼこ店の(しらけん)工場へ到着。
気仙沼を出発してから2時間以上が過ぎていました。
また、
工場近くでナビの悪戯で4キロ以上も遠回りさせられてしまいました(;^_^A
まあ、復興途上で脇道の工事通行止め箇所が多いので仕方のないことですが、復興については三陸地区より進んでいるようにも感じられ、真新しい工場が多く建っていた。

・白謙かまぼこ店工場にて

・白謙かまぼこ店工場直売所
工場直売所で笹かまぼこや練り物の製品を沢山購入し、一部は持参のクーラーバックに詰め、大方は自宅へクール宅急便で送ることにします。
これでお土産の心配がなくなりました。(ほっ)
既に12時半を少し回っていましたが、付近で
食事する所が皆無なので諦めて石巻港ICから再び
三陸道をひた走ります。
松島などを見学したかったですが、夕方までに茨城県まで駒を進めなければならないので次の機会に託すことにします(泣)
成瀬奥松島ICからは有料区間となり、
仙台東部道路を経由し常磐道へ入っていきます。
車窓左手は津波被害を受けているような部分が多く、右側風景とは随分と異なっている感じがします。

・常磐道福島地域には線量計が設置されている

・南相馬鹿島SA

・南相馬鹿島SAのメンチカツ丼
石巻を出てから1時間半経ちお腹も空いてきたので南相馬鹿島SAにて昼食タイム。
レストランでメンチカツ丼をオーダーするが、味がイマイチで夕食のことを考えて半分しか食べられなかった(>o<)
再び片側1車線対面通行の常磐道を前後大型トラックに挟まれながら南下したのですが、
途中落下物にヒットするハプニングが・・・
前を走行するトラックの陰から
黒い物体が路面に現れたのでしたΣ(・ω・ノ)ノ!
路肩も狭く後続には大型トラックがいるので、追突防止のため急ブレーキ不可!
右に逃げようともチャッターバーやポールが乱立しているので僅かにしか避けられません。
まさに
絶体絶命です!
オフセット気味に跨ぐことに専念したが、
鈍い衝突音がフロアパネル付近からも伝わってきました。
通過後すぐにルームミラーを確認しましたが衝突したと思われる物体は確認出来ず、直ちに左右の窓を開け異音を確認するが異常なし、その後水温計やMDFの油温計を監視しましたが変化なしのため次のPAまで様子見することにする。
直近のPAに入り、直ちに下回りを点検するが損傷を受けていないようでオイル漏れも認められなかった。
しかし、バンパー下の
Fスポイラーは衝撃によりビスが4本ほど飛んで少しグラグラしていたが本体には割れなどの損傷はなく、走行には大きく支障なさそうで空気抵抗さえ注意していれば問題ないようだ。
おそらく柔らかい物体のようで、最初にぶつかったであろうバンパー下部が衝撃で歪み、スポイラーのビスが飛んだように思われ、塗装面には歪んでから元の状態に復元する際にできたと思われる細かなひび割れがあり、ビス飛び以外は素人目に判別できないくらいキズがない原形を留めていたのには正直言って驚きだった。
走行に
概ね支障がないことを確認出来たので、再び南下開始する。
福島県から茨城県に入った所の中郷SAで最後の休憩と下回り再チェック。
損傷状態にも変化なく、次の高萩ICで常磐道とお別れすることにした。

・中郷SAにて
高萩ICからは道路標識に従いK10からR461で花貫川沿いに登っていく。
交通量も少なく快適にワインディングを楽しみ、R349との交差点からK33と合流する区間は
狭く屈曲した酷道となりヘッドライト点灯で対向車への注意喚起をしながらゆっくりと通過します。

・国道ではなく酷道!
その後、快適な新道となるが雨も降り始め、17時ジャスト今晩泊まる奥久慈大子町にあるログテラス鰐ケ淵に
無事到着したのだった。
宿は国道より少し奥まった所にあり、低く垂れこめた雨雲で煙る山々や濡れて艶々とした樹々に取り囲まれ、自然と同化したかのような
立派なログハウスのペンションであったのだ。

・ログテラス鰐ケ淵 正面
つづく
本日の走行距離 : 371.0km
〃 燃費 : 15.8km/l