
以下は、雑誌オートワークス(現在は廃刊)に掲載された記事のコピペです。
文中のローリーは本名なのでそこだけ変更しています。
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TIME TUNNEL (Trash of street) by Inop
●今月のタイムトンネルは、ロータリーに魅了され、
今は無き東名レースや有明ゼロヨンを本気で走り込んでいたローリーさんを紹介します。
ロータリーフリークなら知ってる人も多い「シャンテロータリー」のオーナーだった事もあるローリーさんの
話は非常に興味深く、現役で走っている人達にも通じる部分を感じる事が出来ました。
「ロータリーに魅せられて本物のマシンを求めた!!」
マツダシャンテ・・・35歳以上の読者にとっては懐かしい響きかも知れないが、
若い読者にはなじみの無い車名だろう。
このシャンテという軽自動車のエンジンを捨て去り、ロータリーをスワップしたマシンが、
東名レース時代の雨さんのマシン、と言えばそのイメージを理解してもらえるだろうか。
3回目となるTIME TUNNELに今回登場願ったローリー氏は、
東名で見たシャンテに衝撃を受け、
以後ロータリーに魅了され続けているロータリーフリークである。
東名レース全盛時は、まだ「走りのスポット」を紹介する雑誌など存在せず、
風の噂を頼りに自分の足で徘徊し、その噂の真偽を確かめるしか方法は無かった為、
「本物」と遭遇するチャンスは極めて低かった。
「東名に本物がいるらしい」という噂を確かめる為に、当時の愛車であったハコスカで海老名に向かった
ローリー氏は、地元や今まで経験したどんなステージよりも過激な「本物」に出会う事となる。
六本木を流しているポルシェとは明らかに異質のサウンドを奏でるポルシェ軍団、
不良なら誰でも憧れる戦闘的スタイルを持つパンテーラ軍団に混ざり、
その場には似つかわしくない軽自動車がいる事にローリー氏は興味を持った。
ひと足早く本線に出たローリー氏のハコスカに「本物たち」が狂ったような速度で迫り、
飛び石を浴びせながら抜いていく。
それよりもローリー氏がショックを受けたのは、その「本物たち」に食らいつき、
右に左にプッシユする先ほどの軽自動車の加速力だった。
翌日からローリー氏はありとあらゆる情報網を駆使し、その軽自動車の事を知ろうとした。
その結果、その軽自動車はRE雨宮のマシンでロータリーエンジンがスワップされた化け物である事を知る。
それをきっかけにローリー氏は少しでも雨さんのシャンテに近づこうと、ハコスカを売り
X508ファミリア(最後のFRファミリア)を購入し、ロータリーをスワップする。
ローリー氏はそのX508のステージをゼロヨンに見いだし、新木場、有明、13号地、森林公園のステージで
RSヤマモト、ビルドファクトリー、マウント等のL型軍団としのぎを削った。
当時は公認車検など存在せず、エンジンスワップしたX508は言わば次の車検までの「2年間スペシャル」
であったが、ローリー氏がそうであったように、警察の目を逃れ「勝つ」為だけに過激なチューンを施す
アウトローが多かった。
警察に目をつけられたらその時点でアウトなので、極力目立たないような外観に仕上げ、
「走りのステージ」以外では出来る限りおとなしく走った。
それは言わば「自己防衛手段」だった、とローリー氏は言う。
当時の改造車乗りはみんな「警察の怖さ」を知っていたからこそ目立つ事を嫌っていたわけで、
その当時から走り続けているローリー氏にとって、最近の「ボンネットオープン族」や
街中でブローオフの音をまき散らして走る「走り屋」という人たちの行動は理解に苦しむようだ。
マナー云々の議論に関してもローリー氏はいたって無関心だ。
東名レースの頃は「誰が一番先に川崎料金所にゴールするか」というルールしか無かったからだ。
ローリー氏は「誤解を恐れずに言わせて貰えば」という前置きをして「走り屋やマナーなんて
言葉は雑誌屋が考えた言葉であって、誰が一番速いかを競っていた東名時代には
「走り屋」なんて言葉は無かったから自分は走り屋やってます、なんて言った事ないし、
競争をしている最中にパッシングされたら、ハザードなんてたいてる暇があったら全神経を
どのラインに行くかという事に集中していた」とふりかえる。
その後、ローリー氏は「2年間スペシャル」のX508を売り、次のマシンにSA22Cを選び、
13Bペリを搭載する。その背景には開通したての湾岸で見たSCOOTの13Bペリ搭載の
SA22Cの影があったようだ。
しかし「人と同じのはイヤ」を信条とするローリー氏には、湾岸に増殖しつつあったSA22Cに
見切りをつけ、新たなるマシンとしてRX-3ワゴンを選ぶ。
RX-3、それもワゴン、というマシン選択にもローリー氏のこだわりが感じられるが、
そのマシン作りもショップの定番チューンを避け、やれるところはすべて自分で手を入れ、
「自分だけの1台」に仕上げる事に徹した。
それが「改造」の楽しさであると考えるローリー氏にとって、昨今の「ステップ1ではどこぞの
○○というパーツを付けて300馬力・・・」というようなメニュー化されたショップチューンに
楽しさはあるのか、はなはだ疑問のようだ。
「自分だけの1台」に仕上げ、そこそこ自分でも満足する走りをしてくれたRX-3ワゴンでは
あったが、いつも頭の片隅には自分を暴走族への世界へと引き込んだ「シャンテ」の事があった。
ローリー氏は情報網を張り巡らしてシャンテの情報を収集していた。
そこに、なんと「ローリー氏の友達がシャンテを手に入れた」という情報が入ってきた。
「このチャンスを逃すわけにいかない」と考えたローリー氏は友人を拝み倒し、
ついに永年の夢をかなえる事に成功する。
12AをK26 2470Rで過給するそのマシンの加速は今まで乗ったマシンの魅力が半減してしまう
程のものだった。
軽いボディは4速に入れておけば、どこからでもロケットのように加速し、200km/hまでなら
どんな車を相手にしても負けない実力を持つこのマシンでローリー氏はポルシェイーターとして
の快感を覚えていった。
しかし加速感は一種の麻薬であり、しだいにその加速に満足できなくなってきた頃、横羽線で
カーボンロックによりエンジンブロー。これを機にエンジンのポテンシャルアップを計る。
それまでは自分でやれる所は何でも自分でやらなければ気がすまなかったローリー氏も、
本業の忙しさからそれが不可能になり、マシン作りを以前から信頼していたアクティブの井上氏
に託す事になる。
井上氏はローリー氏の意向を理解したうえで、素晴らしいマシンに仕上げてくれた。
しかし、結婚、年齢、そして周りの目・・・
と「スペシャルすぎるマシン」を維持する事が難しい状況がローリー氏を徐々に取り囲む。
ついにローリー氏は「夢」であったマシンとの別れを決意する。
現在、ローリー氏はライトチューンのカレラ2を所有し、首都高5号線や湾岸を走っている。
自分の出せる絶対的なスピードが遅くなっている事から自身を「現役」とは言えない、
とローリー氏は言うが「この車にはヤラれる!」と思ってパスした若いオーナーが乗る、
「いかにもそれ風」マシンが自分を追ってこない事に寂しさを感じているようだ。
現在の技術やパーツが自分が現役の頃にあれば・・・というもどかしさもあるのだろう。
最後にローリー氏は「程度のいいSA22Cに13Bペリを載せて、モーテックで回してみたいなぁ」
と笑っていた。
「タイムトンネル」 オートワークス 1999/10月 掲載