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七転のブログ一覧

2020年01月17日 イイね!

白いシビック

白いシビック1972年(昭和47年)に販売が開始された
HONDA・CIVIC。


最初に出合ったのは、中学2年生の時の担任の先生が乗っていた初期型でした。


1976年(中学1年)
1977年(中学2年)



76年~77年の当時に私が夢中になっていたものは・・・・・


サーキットの狼が1975年(昭和50年)、小学6年生で始まっておりスーパーカーブームが絶頂期。

F1の存在を、中学で友達になった前○君に教えて貰い舞い上がった1976年。
そして、(私にとっての^^)運命のバイブル連載(村上もとか氏)が始まったのは1977年でした。

テレビにカブリ付いた、F1日本グランプリの富士開催も76年&77年でしたね。
先進地区(笑)の友達は既にバイクに乗ってましたネ~(農道というコトでw)
そんな、恐らく人生で一番多感な時期でした。

方程式ひとつ、英単語ひとつ まともに覚えず(笑)ディーノのSPECとかを受け売りのままノートに書く様なウマシカな中学生でした、私。
何も知らない私は「センセェなんでシビックなんかに乗ってるん?」などと聞いてました。



先生:「燃費も良くて、とっても好い車なんだぞ~」
と笑って返してくれました。

とても失礼な質問だったと”思い出すまで”気付かないものですね^^。





72年デヴュー時のCIVICの凄さ、HONDAの努力は、皆様ご周知の通りですね(^-^)
馬力や格好しか追っていなかった若い時代には、自家用車の本質が解っていませんでしたからww。

今ならば、もっとその良さが理解出来そうな気がします。。。。。
















私が就職した1980年代前半は、まだまだペッタンコ(笑)の車が大人気でした。

R30型が未だ新車の頃、1世代前のJAPANの漆黒の4枚車に、ピカピカの弥生ホイールをハの字でベッタベタの先輩が居りました。
マンホールを避けながら走るその車の後部座席で、頭を屋根にぶつけながら乗せてもらった記憶が蘇りますw

そんな会社の寮生活、4つ位年上の先輩が乗っていたいたのが。
こちら。



CIVIC RS.

先輩の車体は、マルーン色に黒色のワタナベを履いていました。
車高もしっかり落としてあり、見た目が”カチっと”した個体でした。
(写真が1枚も無いのが残念です・・・)

当時定番のタコ足と連装のキャブ(タシカ?・・SOLEX)にスポーツマフラーでいい音させてましたね。
一つ上の先輩の車両となった頃、時折運転をさせて貰ってました。
MOMOのジャッキスチュワートの極太ニギリの感触が懐かしいです。
(個人的にはニキラウダ・モデルが好きでした♪ケド)

近場の小さな峠や宇治側沿いのワインディングなど、結構シャープで楽しいクルマでしたねー。

先輩から譲るお話を頂いた時、私は丁度「ジュリアの話」に傾いていたので結局縁がありませんでした(笑)。
この時に、もしCIVICに乗り始めていたら、現在は違った車歴になっていたかもしれませんねー。

現代のTYPE-R や 90年代のV-TECH 車に比べれば、本当に寂しいスペックでしょうが、本当に面白い車でしたね。

上がりは、このままセブンでと思っていますが(笑)、免許返納前にもし機会あれば・・・??^^。


















1982年の春、未だ桜が蕾な頃、私は生まれ育った山陰から大阪へ出て来ました。
電車(地方では列車^^)では無く、父の運転する車でした。
そんなに余裕が無かった事も一つの理由ではありますが、関西の親戚各々への訪問も兼ねておりました。

父は、大型2種免許の仕事をしておりましたが、我が家は昔から常に軽自動車でしたね。



(ミニカ・スキッパーと弟)


35年以上前は、田舎の県には略 高速道路が無かった為、中国自動車道までの下道には結構時間が掛かりました。


それで、父が近場の叔父さんから借りてきた車がこちら。



写真も(^^)借り物ですが、海沿いに在住の叔父の車は”サビっ錆び”でした。
恐らく、素は白色の車であったと思われますが、グレー化した色と茶錆色が混ざった様な(笑)。


田舎を朝早く出発し、ゆっくり長い時間をかけて進む車中。
余計な事は喋らない戦前生まれの寡黙な父と、
同世代意外とは喋る事などない10代の私と。




田舎道を本当に長くゆったりとした空気の車中で、一つだけ覚えているのはAMラジオの雑音と共に流れていた 82年2月発売のサザンの新曲 でした。



あれから約38年。








帰省した折などに親父や親族と共に酒を呑みながら、いつも。。。。

「小さい時に何処かに連れて行って貰った事が無い」
「家族旅行や遊んでもらった記憶が無い」

などと、呑んでは父の前でも平然とホザいておりました。
父はいつも黙って笑っておりました。




【言語道断】 【脚下照顧】






今月初めの風が強かった夜、祭壇横に並べた布団の中で。

揺れる蝋燭の火を見ながら。

「そりゃそーだ・・・・日曜日が休みじゃない仕事だったもの」

家族の為に一生懸命働いてきた父の当たり前に。


どうして気付かなかったのか。







初七日も済ませ、昔とは大きく変わった道路と風景で帰阪しました。

ヴィッツで 引っ張りだしたCD を聴きながら( ´_ゝ`)y-~~。









最後まで読んで頂き誠に恐縮です。
個人的なツマラナイ話に 「みんカラ」を使用してすみません。
父は全く世の中とは かけ離れた人生でしたので、最後ぐらいは と。
車好きな方でしたので・・・ご容赦ください。
結局、私の自己満足なんですけども。(笑)
Posted at 2020/01/17 00:37:20 | コメント(7) | トラックバック(0) | 個人的なお話 | 日記

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