
ついに!と言うか…やはりと言うかアッパーミドルセダンの象徴とも言えるマークXが終焉を迎えました。
マークXの前身、マークⅡ。そしてその前に遡ればコロナマークⅡ。
今の若い人にコロナ!と言ってもわからないかもしれません。しかし超絶大衆車のカローラの先にはコロナがあり、その先にはクラウンが有りました。
うちの父はごくごく普通のリーマンゆえパブリカからスタート。しかし今でもその車と一緒に自分を撮影した白黒写真を見ると、当時父にとってマイカーを買えた事は人生の中でも最高に嬉しかった瞬間だとわかりました。
その後、パブリカの後継者とも言えるカローラに乗り継ぐ父は、当時車検は新車でも二年起きだったので、二年毎カローラに変えていた記憶が有ります。
おそらくディーラーさんに車検代これだけ掛かるからこれなら下取り出せば新車買えます!的に言われた…と言うか周りがそんな時代な時期も有りました。高度成長の中、どんどん新しく進化していた車時代。
出る車、出る車がカッコよく思えた時代だったと思います。
そしてまた、当時はディーラーと顧客の関係がとても蜜な時代。
今と違ってディーラーの営業マンは一件一件訪問し、足で稼いだ時代。
うちの自宅にも度々訪れ、いつの間にか家族的な付き合いをしていました。
だからうちの場合はトヨタ以外はあり得ない。もちろん今でも一度得た顧客を大切にする姿勢は変わらないにしても昔のような営業スタイルでは有りません。
ある日こんな事が有りました。
私の地元は山口県ですが山口のトヨタディーラーは他、ファミレスも経営しております。(今はわかりませんサンデイサン?だったかな?)
ある日家族でそのファミレスに行った時、母が『あら!何々さん!』と声を掛けた方が、うちの担当のトヨタディーラーの営業マンでした。
彼は同じ経営ゆえか、営業マンからファミレスの店長になっていました。
店長もうちの両親にその節はお世話になりましたと挨拶。彼此数十年前の事ですが未だ記憶に残っている出来事でした。
今でもミッションの軽トラックを乗りこなす父は車は好きだったと思います。
そして車は必ず新車でキャッシュでしたね。二年毎の車変えをやめてからはコツコツ貯めてそのお金で一括で支払い購入。
当時、父はこのコロナを一括で購入。確か150万はしなかったと思いますが、今でも中古車で残っている事に驚きました。
その前にもコロナマークⅡ(まんまる目なライト)は存在。でもこのコロナのスタイルデザインが次のマークⅡ、クレスタ、チェイサーのハイソカーブームの前身の様な気がします。
とにかく車と言えばセダン!
もちろんスポーツカーや様々な車種はありましたが、一般家庭の一般ユーザーにとって家族とドライブに出かける基本はセダン!が世の中のごくごく普通な姿だったと思います。
しかし今となってはアッパーミドルセダンは中途半端な存在になったのかもしれません。
うちの父はその次にマークⅡを購入。そうあのハイソカーブームの中で、もちろんスーパーホワイトでした。
そして20年近く乗る事になります。ついに壊れて数年前にこれまた今の時代の象徴、アクアに乗り換えました。
もう夫婦2人なので小型車で十分。困った事は駐車場で同じ車が多くて大型駐車場だとどれが自分の車かわからなくなるとか?笑
こうした父の車遍歴を見ると、日本の一般家庭の典型的な姿を垣間見る事が出来ると思います。全てその時代、その時代に素直に乗っかる様はある意味圧巻です。
等身大。自分以上の見栄をはる事も有りませんでした。
自分にはマークXは日本人のある意味象徴にも感じます。とても幸せな風景を自分はそのオーナーから垣間見る事ができます。
自分自身、クレスタのオーナーだった時代が一番幸せな時代でした。
幼き子供達を乗せて公園によく行きました。しかしセダンは自転車や三輪車を乗せられず…まもなくワンボックスを買う事になったけど、ワンボックスを乗る頃にはいつの間にか子供達と公園に行く事がなくなりましたね…
ワンボックスは広くて、物も沢山乗せられて良い事だらけ?に思えるけど実はそうでも有りません。
実はセダン、いやそれこそ1000CCクラスのコンパクトカーが最高だったんですね。
車検の時借りた1000CCの狭い車に子供三人を乗せた時はみんな大はしゃぎ。だって顔と顔がみんなすぐ近く。あの時の笑顔は忘れられないしあの時以外であの様な車内での笑顔は有りませんでした。
そして今。
子供も手が離れ、好き勝手な日々が送れて幸せ?かと言うとむしろ寂しさも有ります。
おそらく自分の両親もそうだった様に、あの時あの時代…家族でカローラやコロナに乗って出かけた時代…
あの幸せに勝るものは無かった。
しかしその時は生きる事に一番必死になった時期。生きるか死ぬか…そんな日々を送りながら生き、そして何気ない風景に束の間の幸せを感じた時期…
時代時代に移り変わってきた車に、自分自身の時代背景がそこに有ります。車はまさに自分自身の分身だと思っても過言では有りません。
車は単なる移動手段ではない。そして、ゆえに間違っても暴走させてはならない。
良い思い出だけを握りしめて生きて生きたいのであれば。