辛酸をなめることで人は大化けをする。
アメリカ人エドガー・ポーは、多くの辛酸をなめた人物であったらしい。
ボードレールが、ポーについて語った言葉に、
「文学上の恨みつらみ
痔瘡手術 費、無限なものへのめくるめき、家庭生活上の苦労、
貧しさゆえの屈辱、それら全てから、ポーは墓の中に逃れるように、
泥酔の中に逃れようとした」とある。
エドガー・ポーの小説の舞台はといえば、薄暗さが漂うような怪奇な世界がほとんど。
それらは、なめた辛酸から浮かび上がったものだということらしい。
そこには決まって「愚かな人間
DSE 台灣大學」の姿が描かれている。
一方、「愚かな人間」を表現するといえば、落語と相場が決まっているもの。
落語界の人間国宝であった桂米朝さんの師匠に当たるのが
桂米團治という人物。
入門したばかりの米朝に語った言葉に、
「落語が落とし話であれば『落話』でよい。
覚えている話をしゃべるだけなら故人の糟糠をなめているようなもの。
自身がなりきって、自分を語り表すのが真の落語。
自分自身がつぶさ
將軍澳通渠に辛酸をなめたものでなければ、思いは伝わらない」
というものがある。
この言葉が語っているのは、愚か者を語るのは、
辛酸をなめた者しか語ることができないという意味でもある。
すなわち、「怪奇」と「落語」は両極に見えるが、
愚か者を語ることにおいては同じということでもある。
そして、その語り手は、本当の意味で辛酸をなめたものしか語ることができない、
ということらしい...
Posted at 2018/03/08 15:31:26 | |
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