私は昔 軽自動車と聞かれると 税金が安いだけの粗悪なクルマとしか思っていませんでした。
しかしこの軽自動車の歴代には国民車構想という 先の戦争で荒廃した戦後の日本をモータリゼーションで明るく 便利にすると言う夢の自動車計画があった。
この国民車構想とは当時の通商産業省自動車課が1955年5月18日に国産自動車技術を前提とする「国民車育成要綱案」を発表したことに由来する。
国民車の条件は、最高時速100km以上、定員4人、エンジン排気量350~500cc、燃費30km/L以上、販売価格25万円以下である。この条件を満たす自動車を募り、試作車の試験により量産に適した1車種を選定し、財政資金を投入して育成を図るとの構想であった。
そんな軽自動車(国民車)にかけた男たち三人をご紹介致します。
軽自動車の偉人その1(1957年)
スズキ自動車の稲川 誠一氏
クルマはスズライト
スペック紹介
解説
スズライトは、メーカーベースでつくられた本格的な軽自動車のパイオニアであった。小型乗用車と変わらない装備を持ち、これを開発するに当たって参考としたドイツの小型車ロイトが、2ストロークエンジンと前輪駆動方式であったことと、商用車にした場合の荷室確保を考えて、スズライトも他社に先がけてFF方式を採用。このSL型はリアに大きなドアを持った商用ライトバンで、小型ながらも充分なスペースを確保してある。
軽自動車の偉人その2(1958年)
スバル自動車の百瀬 晋六氏
クルマはスバル360 通称 てんとう虫
スペック紹介
解説
もともと航空機メーカーであった中島飛行機の技術が生かされたスバル360は、わが国初期の軽自動車としてもっとも成功した一台であろう。モノコック構造のボディと、トーションバーによるサスペンションは軽自動車とは思えない広い室内スペースを持ち、快適な乗り心地を実現していたのである。発売当初の価格は42.5万円。これをのぞけば国民車構想の条件を満たすものとして、絶大な人気を博したのである。
軽自動車の偉人その3(1961年)
東洋工業(現 マツダ)の山本 健一氏
クルマはR360クーペ
スペック紹介
解説
スズライト、スバルに続いて東洋工業(現マツダ)も軽自動車の市場にR360を登場させた。軽自動車に4サイクルエンジンや本格的なAT(2速)を採用するなど画期的なメカニズムを備え、まるでスポーツカーのようなスタイルを限られた枠のなかでコンパクトにまとめあげたことは大いに注目された。キャロルにバトンタッチする1966年まで生産された。
日本国民にモータリゼーションの夜明けを見せてくれた軽自動車。
今後のさらなる発展に期待する さーぱぱなのです。
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Posted at
2018/02/12 03:50:22