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ロードスターさーぱぱのブログ一覧

2018年03月12日 イイね!

我が家のロードスター スタイル紹介

我が家ではNA型からND型の四世代 9台のロードスター を運用し家族全員で楽しんでいます。

その目的は3つです。

1つ目は 彼女(嫁さん)とロードスター を通して より良いライフスタイルを楽しむ事。

2つ目は 子供達とロードスター と言う共通の趣味を作ることでを より良い絆を持つ事。

3つ目は 私のクルマ好きを満足させるロードスター 研究の一環としてのコレクターリング。

この3点です。

この目的を遂行することを 我が家ではロードスター スタイルと呼んでいます。



今回 このロードスター スタイルについて写真を交えながらご紹介致します。

彼女に楽しいクルマを乗ってもらいたいと言うことで購入した最初の1台はこれ。



カッパーレッドマイカのNC型ロードスター RHTです。

その後 彼女がサーキットを走りたいと言うことで購入したのがこれ。






1 5万円で購入したNA型ロードスター (NA6CE)

その後 筑波の赤い彗星に仕上げるクルマです。

この頃 ロードスター の非力なエンジンと比較するようにと持っていたクルマがこれ。





トヨタ70型3000GTスープラ エアロトップでした。

このクルマは長距離クルーザーとして現在に至る。

そしてここからは子供たちとの絆を育んだ写真です。

(NA NB NC型ロードスター でのツーリング)


(子供たち教習に使ったNA型ロードスター 達)




(彼女とサーキットをランデブー走行をする。)


(子供たち同士の峠バトル模擬訓練シーン)


(子供たちのサーキットデビュー戦)


(子供たちの整備シーン)


(子供たち同士のメカレクチャー)


(子供たちの洗車シーン)


(峠バトル訓練前の整備点検シーン)


(子供たちの走りの進化を満たす NC型へのステップアップ。)


気がつくとロードスター が9台となっていました。







これが我が家のロードスター スタイルをご紹介致しました。





今後共 我が家では ロードスター スタイルを楽しむ事になると思います。

皆さま今後とも 宜しくお願い致します。









































Posted at 2018/03/18 10:19:21 | コメント(0) | トラックバック(0)
2018年03月11日 イイね!

ロードスター の衝突基準

映像紹介
https://youtu.be/UIjhKoISJyM
Posted at 2018/03/11 02:55:40 | コメント(0) | トラックバック(0)
2018年03月10日 イイね!

久々のブログ 日本の航空開発と自動車産業

昭和14年(日本の紀元2600年の年)に世界でも最高水準の旋回性能と航続距離を誇った戦闘機『海軍0式戦闘機』が世に生まれる事になります。

(三菱零式21式艦上戦闘機)


この通称:零戦は三菱が開発し、三菱と中嶋飛行機(現在のスバル自動車)で生産されました。

因みに三菱より中嶋飛行機のほうが生産機数が多いのは、中嶋飛行機が優秀だった証かも知れませんねぇ。

昭和15年には中嶋飛行機から陸軍1式戦闘機『通称:隼』が誕生しました。

その後は2式戦闘機:鍾馗(しょうき)や3式戦闘機:飛燕(ひえん)[日本初の液冷式と直列式エンジンでした。]へと開発が続き、4式戦闘機:疾風(はやて)[2,000PS二重星形エンジン搭載]で高性能の頂点を迎えました。(速さと戦闘能力は高い性能を誇ったこの戦闘機は日本の戦局悪化で工作精度と燃料が松の木油で本来の性能が出せませんでした。その後アメリカ軍のテストでは大絶賛だったようです)

このころから資源の無い日本の敗戦が濃厚になり、5式戦闘機へと生産し、これら生産され飛行機は神風特別攻撃隊に使われました。
(神風特別攻撃隊は、航空機に人間を載せて敵の船に体当たりをさせる作戦で約5,000人もの若い命を犠牲にしました。)

昭和20年、日本は敗戦を迎え三菱財閥や中嶋飛行機がアメリカのGHQの指示により財閥解体をされ、細分化されて三菱は三菱自動車に、中嶋飛行機はスバル自動車になり、今のアイシン精機(主にトヨタのミッションを作る会社で、ロードスターNBのミッションもこのアイシン製です。)も元は東海飛行機でした。

またヨシムラのマフラーで有名な通称:ポップヨシムラさんも戦時中は航空機のマフラーの集合管を設計、制作したのも歴史の1ページですねぇ。

あの忌まわしい、太平洋戦争で約300万人の日本人が亡くなりました。

しかしその時の技術は今日の経済戦争で自動車産業に貢献しているのも事実なのです。

マツダのロータリーの父と言われる山本氏も戦時中、茨城県土浦市内で航空機の開発を手掛けた人ですし、世界のカローラを設計した長谷川氏も航空機の空力羽を作った人でした。

この日本の航空機を開発した人達も戦争中、特攻機の改良開発に従事させられた経験から罪悪感と、その後の航空技術の平和利用により、日本の経済復興に寄与出来たことへの喜びと2つの人生を送ったことは、紛れもない事実だと思うさーぱぱなのです。

(人間魚雷回天)



Posted at 2018/03/10 05:17:09 | コメント(0) | トラックバック(0)
2018年02月12日 イイね!

軽自動車に真剣に取り組んだ偉人紹介

私は昔 軽自動車と聞かれると 税金が安いだけの粗悪なクルマとしか思っていませんでした。

しかしこの軽自動車の歴代には国民車構想という 先の戦争で荒廃した戦後の日本をモータリゼーションで明るく 便利にすると言う夢の自動車計画があった。

この国民車構想とは当時の通商産業省自動車課が1955年5月18日に国産自動車技術を前提とする「国民車育成要綱案」を発表したことに由来する。

国民車の条件は、最高時速100km以上、定員4人、エンジン排気量350~500cc、燃費30km/L以上、販売価格25万円以下である。この条件を満たす自動車を募り、試作車の試験により量産に適した1車種を選定し、財政資金を投入して育成を図るとの構想であった。

そんな軽自動車(国民車)にかけた男たち三人をご紹介致します。

軽自動車の偉人その1(1957年)

スズキ自動車の稲川 誠一氏



クルマはスズライト


スペック紹介


解説
スズライトは、メーカーベースでつくられた本格的な軽自動車のパイオニアであった。小型乗用車と変わらない装備を持ち、これを開発するに当たって参考としたドイツの小型車ロイトが、2ストロークエンジンと前輪駆動方式であったことと、商用車にした場合の荷室確保を考えて、スズライトも他社に先がけてFF方式を採用。このSL型はリアに大きなドアを持った商用ライトバンで、小型ながらも充分なスペースを確保してある。


軽自動車の偉人その2(1958年)

スバル自動車の百瀬 晋六氏


クルマはスバル360 通称 てんとう虫


スペック紹介


解説
もともと航空機メーカーであった中島飛行機の技術が生かされたスバル360は、わが国初期の軽自動車としてもっとも成功した一台であろう。モノコック構造のボディと、トーションバーによるサスペンションは軽自動車とは思えない広い室内スペースを持ち、快適な乗り心地を実現していたのである。発売当初の価格は42.5万円。これをのぞけば国民車構想の条件を満たすものとして、絶大な人気を博したのである。


軽自動車の偉人その3(1961年)

東洋工業(現 マツダ)の山本 健一氏


クルマはR360クーペ


スペック紹介


解説
スズライト、スバルに続いて東洋工業(現マツダ)も軽自動車の市場にR360を登場させた。軽自動車に4サイクルエンジンや本格的なAT(2速)を採用するなど画期的なメカニズムを備え、まるでスポーツカーのようなスタイルを限られた枠のなかでコンパクトにまとめあげたことは大いに注目された。キャロルにバトンタッチする1966年まで生産された。

日本国民にモータリゼーションの夜明けを見せてくれた軽自動車。

今後のさらなる発展に期待する さーぱぱなのです。
Posted at 2018/02/12 03:50:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年02月11日 イイね!

質問コーナー:曲がる、止まる、加速するを軽いクルマと重いクルマが極めるとしたらどうなるか?(曲がる編) 。


前回、日経ビジネスオンラインさんの取材でクルマについて、私の意見を聞かれた中に、「曲がる、止まる、加速するを軽いクルマと重いクルマが極めるとしたらどうなるか?」を聞かれお答えしたことを日記にします。

初めに軽いクルマだから曲がる、重いクルマだから曲がらないと聞かれ、私の考えは少し違うことをお話しました。

(比較:軽量車代表、マツダNC型ロードスターと重量車代表、トヨタ70型スープラ)

NC型ロードスター


70型スープラ


[重い車編]
以前、筑波山の仲間たちと福島県いわき市にある湯の岳の峠遠征に、私はトヨタ70型スープラを投入。

峠の仲間からは「そんな重いクルマが峠で走るの?と言われ、少しカチンと来たこともあり、走りのテストをご披露しようと思い投入しました。

筑波山からいわき市まで山道一般道はトルクフルな加速するスープラは、アッと言う間にリミッター速度に達する。

後ろを寄せつかせない走りに筑波山の仲間たちも「3000㏄ターボは速いね。」と言われたことを鮮明に記憶しています。

そして迎えた「湯の岳」バトル。

そこで先導するトヨタスープラ。



トンネルを抜けて最初の左コーナーにこの時、スープラの限界性能を感じ、ブレーキ、加速、コーナー速度とコースレイアウトを心に刻み、車体と大地を一つにするタクト(指揮棒)をふる私。

峠、二本目で大地と車体のコンタクトバランスを感じ、三本目下りからは全開走行に・・・。

後ろは峠仲間のトヨタアルテッツァ。

湯の岳駐車場から少し行った長めの直線でリミッター速度をやや越えるまで加速(190㎞)、次のコーナー手前でストンピングブレーキで熱を入れ、コーナー侵入。

まだタイヤに余裕があるので、さらに速度領域を上げる。

ここからは荷重変化による0カウンター走法に。

加速&ブレーキング&コーナーワークが絶妙にコンタクトした瞬間、五本目でスピン。

カウンターステアでかわすも、リアタイヤに手応えがないのですかさずにスピン体制に判断。

これまでのカウンターステアから逆にステアを切り直すと、クルマはゆっくりスピン体勢に・・・。

ロードスターよりやや遅めなスピンスピードをコントロールをして車線内に停車。

その後は何事も無かったようにペースダウンをして帰宅しました。

(総論)



重いクルマは曲がらない。これは模範回答ではありません。

正解は重いクルマは曲がりにくいが正解だと思います。

では重いクルマを曲がらせようとするとどうなるか?

車両に求めるものとしては、前後重量バランス、タイヤの太さのチョイスと前後のタイヤの太さを適正化する(異形サイズをチョイスする)、ブレーキの強化の三点です。

またドライバーの技量は、そのクルマと真剣に向き合い、車両限界を知り、限界性能を己が認め、己のドライビングテクニックでねじ伏せた時に、初めて愛馬に変わる瞬間だと私は感じます。

そして、開発者の苦労や思いがひしひしと伝わるクルマこそ、長く愛されるクルマなのかも知れません。

重量の重いクルマを真剣に走らせようとすると、タイヤやブレーキに多額のお金をかけなければなりません。

そう言う意味でもロードスターは軽さからくる経済性
が私は何より好きになった理由だと思います。

そのクルマを長く維持し続ける経済性能。

それは軽さにありということかも知れませんねぇ。
Posted at 2018/02/11 07:05:14 | コメント(0) | トラックバック(0)

プロフィール

「@*はる* 軽ミは不参加だったんですね。来年は参加されることを願っております。😃また機会がありましたら爆走のお供にをさせてくださいね!」
何シテル?   05/27 22:35
はじめまして ロードスターさーぱぱと申します。 以前はサーパパと言う名前でみんカラをやらせて頂いておりましたが 携帯電話の機種変更によりロードスターさーぱぱ...
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