皆さんは「窓ぎわ族」と聞くと その会社で不要な人間を指す言葉として使われた時代がありました。
そして自動車開発において花形部署と言えば 最多販売台数を売る主力車種を開発することが自動車メーカーでの出世につながります。
今日は、遊園地のゴーカートやバキュームカーを開発していた窓ぎわ族的人達が夢をあきらめなかったお話です。
(日産製ゴーカート)

(遊園地で子供達に運転する楽しさを体感教育していた時代の遺産的ゴーカートです。)
その会社にとって不要とも思われた人達に作れと言われた車両の計画名は「ゼット計画」。
アルファベットの最後の文字、ゼットを意味する。まさに崖っぷちな計画。
遊園地のゴーカートを作ったデザイナーは ある日、優麗なフォルムのクルマをネンドクレイモデルを作る。
ロングノーズ、ショートデッキのそのフォルムは人々を魅力する。
この開発が行われた1960年代は日本がクルマをアメリカに輸出を本格的に開始した頃でもありました。
このころの日本車は悪路走破性能に優れていた反面でアメリカのようにハイウェイで長距離を高速運転をするのには耐久性がなかったのです。
そしてそんな車の質の違いから アメリカの港で日本車たちは埃をかぶり在庫の山となっていました。
そこにアメリカからの養成で、日本車のスポーツカーを開発してアメリカ人をびっくりさせたいと言う提案がありました。
そこでネンドクレイモデルであったスポーツカーデザインが採用された。
開発にはバキュームカーの横斜度25度でも倒れない技術が採用。
エンジンはブルーバードの4気筒エンジンを6気筒にしたL型エンジンの流用。
ブレーキは当時日産で一番 止まると言われたスカイラインのブレーキを採用。
バネはその当時一番重く高級車のローレルのバネを採用。
すべての走りの主要部品が流用品でまかなわれた。
そのスポーツカーの名前は「日産フェアレディZ」です。
問題点は優麗なフロントフォルムには6気筒エンジン搭載は想定外で、身長の高いアメリカ人を乗せるのさえ想定外。
デザイナーと開発者との熾烈な対立が激化した。
デザイナーはクレイモデルにネンドを10㎜ボンネット中央部に盛り、その優麗さを追究した。
くる日もくる日もネンドをこすりは取る作業に、指のマメがつぶれた。
しかしついに完成し、走行実験になると、高速域でのバイブレーション発生。
リアデザインをショートデッキにしたことによる、リアデフが斜めに搭載すると言う当時 日本ならせいぜい70㎞だった時に130㎞時点で発生した。
原因はパワープラントが首降りしてしまうために起きると判明。
デフを左右車輪に対して真っ直ぐにおさめる代わりに燃料タンクの容量を少なくすりと 今度は航続距離が稼げない。
開発者はこの燃料タンクを小さくすることを燃費でカバーしようと、ボディーの強度に関係ない所に穴をあけ(肉抜き)、軽量化することで燃費を向上させたのです。
完成テスト車が完成し、アメリカでテスト中にハイウェイパトロール(日本の白バイ)に止められた。
その警官はスピードオーバーだと言い、またこのクルマは俺の安給料でも買えるのかなぁ~とも聞かれ、テストをするなら郊外のハイウェイでやりなとアドバイスまでしてくれ応援してくれた。
発売当日、アメリカの日産ディーラーには1店舗、2台のフェアレディが配置。
即日に完売。
以後、初代フェアレディZは世界で55万台のセールスをすることとなり今日に至る。
スポーツカーと言うものは、ただ速いだけでは無く、このような泥臭い開発秘話があってこそのものを噛み締めて走るのもまた良いのかなぁ~と思うさーぱぱなのです。
Posted at 2017/12/22 05:57:31 | |
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