アルファロメオ歴20余年の中で、明らかに変化をもたらした大きな影響を与えてくれたのは「ギャラリーアバルト自動車美術館だったことは間違いない。
初訪問は、145に乗り出した頃、嫁と山中湖方面はドライブに行った時の事だった。
当時、富士山周辺には幾つかの自動車博物館があり、河口湖自動車博物館、松田ミュージアム系の3館は既に訪問済みで最後に訪れることになった博物館だった。

この建物がピニンファリーナ設計と知るのは後の話・・・。
入館料2,000円と松田ミュージアム系と同額、でありながらここだけが撮影禁止!
「何だよ、ケチだな〜。」
この事を引きずって、館内の美しい車達が入ってこなかった・・・
しかし、この時はある意味この車が目当てだったのでそれはそれで良かったと満足した覚えがある。

AlfaRomeo155DTM
再訪の時にこの車がなかったので、小坂士郎オーナーに聞いたら
『アルファロメオのショップの何だっけ?クイックトレーディングの寺島だっけ?熱心に売ってくれと頼むんで売っちゃったよ!元々、俺はああ言う車は好きじゃないんでね。」
と豪快な話w
そう、このころは私もレーシングカーのような車が好きで、イジった車の方が好きだった。吸排気系をイジり、エアロパーツを付けるような・・・
再訪したのは145のオーナーズクラブに入会してから、クラブのイベントとして
この頃のこの施設の目玉は世界一美しい車とされた

AlfaRomeo Tipo33.2 Stradale
Tipo33の公道ヴァージョンとして世界で18台のみ作られたうちのシリアルNO.1の車両。設計は当時のベルトーネのセンター長、フランコ・スカリオーネ。
そして、オーナーズクラブを取りまとめていたS氏が小坂オーナー、山口館長と掛け合って実現した企画が以前にも紹介したコチラ↓
火入れ式の模様です。撮影は友達が行い、編集は私がしてYouTubeに投稿し、現在まで32000近くの視聴回数を得ています。
ちなみに私が撮影したVol.1もあります。
そして、この時改めて館内を拝見して、この美術館の凄さに驚くことになるのです。
何故なら世界に1台だけみたいな車がゴロゴロとあるのです。

Fiat Abarth 2000 Scorpion

日本で行われるイベントではフェラーリが借りに頭を下げにくると言うMYTHOS

Abarth OT2000 Coupe

FERRARI 250LM しかもここは世界で唯一ロングノーズとショートノーズの2台がおいてあります。実はその後のクラブの再訪でこの1台の火入れ式を行ってもらいました。が、この時はビデオカメラは持っていかなかったのです。

LANCIA DELTA S4 グループB トイボネン車両
これらの車両は私の記憶に残っているほんと数台だけ・・・。
他にも美しく一生に一度お目にかかれるかどうかと言う車達が所狭しと展示されていました。
火入れ式が一度終了すると、小坂オーナー、山口館長を取り囲んでの歓談タイム。
ここで衝撃の話題が小坂オーナーから発せられます。
実は今、カングーロを再生させている。
その為にスパイダー(モデル名忘れましたが、確か世界で5台くらいの希少車だったと思います。)を売却したのだが、世界中のアルファロメオコレクターから「お前はバカか!何であんな希少な車を手放した?」と非難されている・・・と。
でも、カングーロの事は何も言っていない・・・。
まだ、アルファロメオ歴が長いとは言えなかった私にはカングーロが頭に思い浮かばなかった。

カングーロは1964年、トリノショーでプロトタイプとしてデビュー。中身はTZ1だったらしい。
デザインはジウジアーロとされているが、ベルトーネのセンター長ががスカリオーネからジウジアーロに移り変わる時期でもあり、2人の共作とされているのが定説である。
その後、フランス人ジャーナリストが試験走行中にクラッシュさせ炎上して大破、ベルトーネの工場の裏に放置されていたらしい・・・。
それをドイツ人コレクターが1度買い取ったらしいが、何も手を付けられず、小坂オーナーが買い取ったらしい。
「実はもうほとんど出来ているのだが、フロントガラスの風防が上手くいかない。
3.8mmのレンズを付けた一眼レフカメラで距離○m角度○○度のところから撮った画像が残っていて、風防をイタリアのガラス職人に作らせる度に同じ条件で画像を送らせているが上手くいかない。」
「もう48枚作らせたが納得行くものが出来ない。」
この時、その場に嫌な空気が流れた・・・
私の中に生まれた感情はこうだ・・・
「48枚も作らせてOK出さないなんて、結局金持ちの嫌がらせじゃないか!」
ここまではいかなくても、その場にいたメンバーは同じようなことを思ったからあの空気が生まれたのだと思う。
しかし、次の小坂オーナーの言葉で私は後悔することになります。
「48枚もOK出さないなんて酷い!と思うだろ?でも、風防1枚と言え、似てるものでもOK出したら、それは本物のカングーロじゃなく、偽物になっちゃうんだよ。だから、俺も心を鬼にしてNG出してるんだよ。」
お金がなければ出来ない話だが、何と言う車への情熱!感動しました!
勿論、作らせた枚数だけのお金は払っていると言うお話だった。
そう言えば何で撮影禁止か誰か聞いていたそのお答えがまた素敵だった。
美術感は撮影禁止だろ!?それと、車を撮影するとその車を見るのも大体終わっちゃう・・・。だから、美術館のように車を見て何か感じることの方が大事だと思うんだ。そして、コーヒー飲みながら車談義をする。そう言う場所にしたいんだよね・・・。」
しかし、2回目のクラブ再訪の後、程なくしてギャラリーアバルト自動車美術館は一時閉鎖してしまう。
山口館長の体調が悪くなったとか、マナーの悪い観客に嫌気がさしたとか色々な憶測が出たが、カングーロのお披露目はお預けとなってしまった。
その後、カングーロは完成し、ヨーロッパで最も格式の高いコンクール・デレガンスVilla D'esteで優勝している。

2009年一次的にギャラリーアバルト自動車美術館は開館し、カングーロを目にされた方もいたようだが、私は145のオーナーズクラブを離れていて情報も届かず、カングーロを見る事は出来ていない。
私はこの経験によって「かっこいい車」から「美しい車」の方をより好むようになった。
ノーマル尊重派になったのだ。
今のジュリアも小坂オーナーであれば、あの美術館の片隅にバンパーレスでは置かないだろうと思い、できるだけオリジナルの形で維持していこうと思っている。
色んなところで言われていますが、また一時的にでも開館されないでしょうか?
そして小坂オーナー、山口館長とまたお話したいです。
今なら、あの時よりお二人の話がわかると思うんです。