パートらしい建築現場が一つあって、數人の労働者が気のなさそうに働いていた。
「どう、お父さん。當時の面影はあるの」
葉子は訊いた。赤くなって、父は泣きだしそうな表情である。
「ずいぶん変った。しかし、面影はあるぞ。まちがいなく馬群だ。あそこに地主の家があった。部隊の司令部のあったとこだ」
あごで父は外をさした。
ブロック塀をめぐらせた灰色の建物があった。農業用品の倉庫らしい。むかしは門のそばに日章旗がひるがえり、當番兵が二六時中立番していたのだという。
小學校はどこだ。父は通訳に訊いた。雑貨屋のまえで運転手はクルマを停める。なかの女に場所を訊いてくる。道路のさきを女は指してこたえていた。クルマはさらに百メートルばかり東へ走った。鋪裝のない、ガタガタ道を走るのは久しぶりだった。
左側に灰色のコンクリート塀がみえた。
門柱と鉄の扉があった。小學校だった。父は昂奮してクルマを停めさせる。ここの校舎で父の隊は寢泊りしたのだ。
父はクルマをおりた。ステッキをつき、左足をひきずって正門へ近づいた。葉子もあとにつづいた。門扉ごしになかをみる。鉄棒とかネットとかゴールポストなどのいっさいない、空地のような校庭だった。古ぼけた灰色の壁の校舎が左手に立っている。土をまぶしたように汚れた、屋根のくずれそうな建物だった。自転車が一台、そばにおいてある。
校庭の塀の內側にそって、篠懸の木々がならんでいた。篠懸だけが大きく育ち、あざやかな緑色の繁みを誇っていた。土曜日の午後だった。生徒は一人もいない。木々にかこまれて學校はしずまりかえっている。
校庭のうしろは小高い丘になっていた。アカシヤが茂っている。そばに赤煉瓦の校舎が新築中だった。建築資材をはこんだトラックの轍のあとが校庭にきざまれている。
正門の扉を父はあけた。通訳と葉子があとにつづいた。左手の校舎を父はみている。
「これだ。まちがいない。これだで」
父はうなずいた。南京突入まえの一週間をすごした校舎だという。
通訳が校舎へ入っていった。紺色の服をきた老人をつれて外へ出てきた。この學校の校長だという。頭の禿げた、顔の丸い、好々爺そのものの老人だった。
「およそ五十年まえ、日本兵が二人、向うの林のなかで殺された。その墓がまだあるかどうかきいてみてください」
父が通訳にたのんだ。通訳は身ぶり手ぶりを加えて、校長に説明しはじめる。
校長は人の好い笑みをうかべている。表情に変化はない。かぶりをふった。なにも知らないらしい。きいたこともないという。
「日本兵が二人、だれかに殺されたことも知らないスか。きいてみてください」
通訳がその言葉をつたえた。校長はやはりなにも知らないという。
「この村に日本軍の部隊が駐屯した。この學校に私たちは泊った。中國人で殺された人もかなりいた。そのこともこの先生は知らんのですかね。訊いてみてください」
反応はおなじである。校長は人の好い笑みをうかべてかぶりをふった。そして、二言三言なにかをつぶやいた。
通訳が話してくれた。日中戦爭後の內戦でこのあたりでも戦闘があった。そのことはわずかにおぼえているという。校長はこの地方で生れ育った人物らしい。
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