おはようございます」
「おはよう」
「お世辞じゃありません」
思いつめたような声に聞こえた。まさか本気というこ ともないだろうが、妙な雰囲気たので、話題になってきを変えた。
「この前は、どこまで話したっけ?」
「え?」
「ぼくがこの病院に来ることになった経緯」
「ああ。イン・タムさんが、イン・タムさんになったところまでです」
「そうか、ネーミングライツを売ったところまでだね。じゃあ続きを話そうか」
「そうですね」
「つまらないかな、こんな話」
「いいえ、そんなことありません、ぜひ聞かせてください
「インキン・タムシにインキンバスター様、インキン・タムシにインキンバスター様」
銀行の窓口で、制服を着た女性銀行員がぼくを呼んでいた。
最低三回は大声で言ってもらわねばならない。
「インキン・タムシにインキンバスター様」
頃合を見てぼくは車椅子を前に出し、「すいませーん。どんなインキンやタムシも一発で治す、インキン・タムシにインキンバスターは、ぼくでーす」と大声で応《こた》える。
人前で名前を呼ばれるためなら、用もないのにどんな店にも入った。
「変わったお名前ね」
後ろから声をかけられたのは、銀行を出て信号待ちをしているときだった。
スーツ姿の背の高い女が、口元に微笑を浮かべ、ぼくを見ていた。
ぼくは女を無視し、視線を前に戻した。
女は真横にやってきて、「突然ごめんなさい。こういうものです」と名刺を出した。
ぼくは名刺を一瞥《いちべつ》しただけで受け取らなかった。信号が青に変わると、何も言わずに車椅子を動かした。
女は車椅子の後をついてくる。
「ちょっと待って」
スピードを上げ女を振り切ろうとした。
「話を聞いて」
女も足を速め、離れようとしない。
それでも無視していると、女は車椅子の前に飛び出し、ゴールキーパーのように両手を広げた。
「話を聞いて、青島裕二さん」
結局、ぼくは半ば強引に、近くの喫茶店に引きずり込まれた。
窓際の席で、女はあらためて名刺を出した。
「『フジヤマ・パートナーズ』マネージャー 如月|睦美《むつみ》」
「『フジヤマ・パートナーズ』ってご存じ?」
聞いたこともなかった。
「われわれの仕事を簡単に言うとね、困った状況に追い込まれている人が、社会復帰するのを助けてるのよ」
「ボランティア団体ですか」
「まあ似たようなものね」
「どうして僕の昔の名前を」
「病院でよくお見かけしたので、興味を持って調べてみたの。インキン・タムシにインキンバスターという変な名前の男には、いったいどんな過去があるのか」
如月はぼくの経歴をそらんじていた。
「下の手地区出身。OK大学を首席で卒業、そして『三友かえでKSJなかよし安心銀行』に就職。新宿支店法人営業部の若手エースと期待されていたが、インサイダー取引で関連会社に飛ばされ、その後風説の流布で──」
「俺はやってない」テーブルを叩《たた》いた。
店内が静まり返り、周囲の客の視線が、ぼくたちに集まった。
しかし如月という女は、すこしも動揺していない、口元に笑みすら浮かべている。
その妙に落ち着き払った態度も、癪《しやく》に障った。
「帰る」
の岸本という男が、授業中に弁當を食う。これもかなり勉強する學生だった。授業中に食う弁當というものは、教師の話を注意して聞いていないと、食べられないものなのである。つまり、教師が、生徒に背を向けて黒板に何かを書いている間に口に入れるのだから、前後のつながりから判斷して、
どれくらいの時間後ろ向いていそうか、わかっていないと、そのタイミングが 摑《つか》めない。
時々、岸本は、授業の波に合わせて、急いでかっこむ。
「そんなに早く食うと、消化によくないがなあ」
しんとした教室に太郎の獨《ひと》り言《ごと》がよく通った。あれは失敗だった。山本太郎はこの頃獨り言を言う癖がついてしまった。
授業をよく聞いていると言っても、倫《りん》理《り》社會の時間に、幾何《きか》の問題を解いたこともあった。その時も、思わず「わかった!」と呟《つぶや》いたのが聞えてしまった。
「うまくないよな、ボク、この頃、よく教師に睨《にら》まれるもんね」
太郎は帰ると、夕食の時に、思い出して父に言った。
「お前にあまり言っていいことではないが」
山本正二郎《やまもとしょうじろう》は前置きをして言った。
「お父さんの高校時代に、タヌフンという教師がいた」
「タヌキのフンドシだね」
「そいつが、漢文の教師で、目をぎゅっとつぶって講義をする癖がある。何しろ漢文だからね。大ていの詩なんかは、本を見なくても、暗唱してるんだ。僕はタヌフンのすぐ機の下に坐っていた。あまり無念無想なものだから僕は試してみたくなってだな、機の上に躍《おど》り上って、ドジョウすくいを踴《おど》ってみた。その間、タヌフンは、堂々と講義し続けて気がつかなかった」
「皆も笑わなかったの?」
「聲をたてないのさ」
「そのタヌフンての、立派だね」
「それは淒《すご》いもんだ。昔《むかし》は、そのほかにも、おっとりした先生がいたね。お父さんの友達《ともだち》のあの東《あずま》の小父《おじ》さん」
「ああ、大阪で食堂やってる人ね」
「あの小父さんは、いつも、ぽけんと空ばかり見てるんだ」
「僕みたいだ。空見て聞いてるんだよ。そういうのは」
「チビ下駄《げた》という國語の教師がいた。あんまり東が空ばかり見てるもんで訊《き》くんだ。
『東君、ノートをとっておられますか?』
すると東が答えるんだ。
『はあ、書きよりますウ』」
「何だか下らないけど、うっすらとおかしいね」
「関西の味だろう。よくだしとうまみのでた、うどんみたいな味さ」
太郎はこういう話をした後、決って、胸の奧《おく》のどこかが、ちょっと痛くなるような気がすることがある。この感じは、ひとにはなかなか説明しにくい。明るい話をした後に限って、胸がふさがる思いになる。強《し》いて言えば、未來には、ろくなことがないような気がするのである。それが青春なのだと言われれば反《はん》駁《ばく》のしようはない。自分の人生だけ、自分の青春だけ特別なのだ、と思うことは、太郎の誇《ほこ》りが逆に許さない。
そんな時、太郎は時々、五月さんの父のことを考えた。五體満足でも、將來が不安なのだから、五月さんのお父さんは、やはりどんなに生きることに不安を持つだろう。
太郎は、或《あ》る日、五月さんの家に見舞いの電話をかけた。
「どうですか、お父さんはその後」
「今、ちょっとアレですから、又《また》あとで手の空いた時にかけます」
電話がお父さんの枕許《まくらもと》にあるので、言いたいことも言えないのだろう。十五分ほどすると、電話が鳴って、公衆電話らしい音と五月さんの聲が聞えて來た。
「この間は、本當にありがとうございました。お父さん、とても喜んでたのよ」
「そう!」
「ニセ劄犯人の話なんか、一生懸命《いしょうけんめい》きいてくれたのは、山本君だけですって」
「ボクね、それだけの印刷技術もってるのに、ニセ劄なんか刷ってるの、勿體《もったい》ないと思ったんだ」
「あの日は、もう死にたいなんて言わなかったし、とても元気だったの。だけど、二、三日すると、もうだめね。祖父江さんの來てくれた日なんか、なおよくないの」
「あのね、一日くらい、日曜日にどこかへ行きませんか? 日曜なら、弟さんがいるでしょう」
「そうね、行きたいわ」
「三浦半島へ行きましょう、僕、あの辺、わりと詳《くわ》しいんです。近々、計畫書を持って行きますから」
「計畫書?」
「だって女の子が外出する時、親はひどく心配するものなんでしょ。だから僕、途中《とちゅう》で何度か連絡《れんらく》できるようなスケジュール作りますから」
「こんなところで、ポからみなさんで、あたしを馴《な》らすつもりで一生懸命になってくれれば、それで『有牛麥子のジャジャ馬ならし』が出來上るってわけよ。そうじゃない……? さ、みんな、もっとドシドシ、好い意見を出してちょうだい。あたしだって折角自腹を切って、こんなに禦馳走して、何も聞かしてもらえないんじゃ、つまンないわ」
何も聞からえなしても、つまンないわ」
いんじゃ
と言い出すしまつだ。
そう言われると、眼の前の料理もブランデー・グラスに注がれる酒も、アイディア料の前払いであると念を押されたようで、飲むたびに、食うたびに、胃の腑《ふ》は義務感のために重く垂れ下り、有牛嬢の顔も美しさよりも、権力者の威厳によって光りかがやくかに見えて、遠藤も吉行も私も、そろって一層無口になってしまった。一人、気を吐いたのは近藤で、
「よゥ、有牛さんよ、またコップが空になってるんだよゥ」
と、しきりにブランデーのお代りを所望したりして、奇妙なハッスルぶりを発揮していた。——こうなることを遠藤はかねて警戒して近藤の出現を怖れていたのだが、すでに食卓をとりまく雰囲気は期待したロマンチックなものとは、はなはだしくカケちがっている以上、いまさら近藤の挙動にハラハラしたり、神経をとがらせたりする気にもなれぬのか、くたびれはてた修學旅行の生徒のような顔で、すこぶる無感動にナプキンの端をまるめたり、のばしたりしていた。
出だしから、こんなにツマズキやら、手違いやらのつづいた會食もめずらしいが、その責任を一人でしょいこんだかたちの遠藤は、數日來、緊張に緊張をかさねた心のハリが、いまやダラリとのびきってしまったとしてもムリはない。……しかし會食は、脫線をくりかえしてはいても、まだ決定的な転覆事故を起したわけではなかった。第一、近藤をふくめてわれわれ四人、決してそんなに酔っぱらったりはしていなかったのである。近藤が有牛嬢に酒のお代りを望んだのも、むしろサーヴィス精神からで、彼は彼なりに、かたくなに沈みがちな空気を何とか柔らげて、浮き立たせようとしていたにちがいない。
美術學校出身の近藤は酔うといっとき、絵畫、彫刻について論じはじめるならわしがあるが、いまもいくらかアルコールがまわりはじめたのか、有牛嬢の顔を絵の先生が石膏《せつこう》のモデルでもながめるような目つきで見つめたかと思うと、
「有牛さん、あんたの顔は額に特長があるね。額のところがインドぞうに似ているね」
と言った。そういえば、なるほど彼女の頭髪の生《は》え際《ぎわ》から鼻筋へかけての線が、そういう感じがしないものでもない。しかし、それにしても近藤は大膽なことを言ったものだ。いくら何でも有牛嬢も気を悪くするのではないかと心配したが、意外にも彼女は平靜な顔つきで、
「あら、あたしインドぞうに似ているなんて言われたのは初めてだわ。どちらかっていうと、あたしはギリシャぞうに似ているって言われているのよ」
とこたえた。こんどはビックリするのは近藤の番だった。
「え、ギリシャ象? ギリシャにも象がいるのかねえ、有牛さん、そりゃアフリカ象のまちがいじゃないのかい」
「アフリカぞうですって? あたしの顔が
膝《ひざ》がふれ合うほど間近に座った。
「事は帝のご葬儀に関わることじゃ。これまでいろいろとわだかまりもあったが、互いに腹蔵《ふくぞう》
「その件でございますれば、新造の関所から上がる関銭を當てることとし、すでに徴収にかかっておりまする」
「それは存じておるが、左大臣との話ではまだ詰めきれておらぬ所があるようじゃ。それゆえこうして內蔵頭《くらのかみ》を伴っておる」
なく語り
合い、一日も早禮が行えるようにしたい」
「詰めきれておらぬと申されますと」
長慶が急に険しい目をして、三尺ほど後ずさった。
「大葬の禮の費用八百貫をいつまでに納めるか、新造の関所はいつ取り払うのか。この二點だ」
前嗣は手にした笏《しやく》で、あおぐように胸をたたいた。
「內蔵頭の申すところによれば、以前內蔵寮で関銭の徴収をしていた時には、日に四千人が七口の関を利用しておったという。とすれば、新造の関所からは日に四十貫の収入があろう。ひと月には千二百貫の関銭が集まるということになる」
「左大臣さまは、我らにすべてを任すと申されました。今さらさような言いがかりをつけられては心外でござる」
「言いがかりではない。左大臣に手落ちがあったゆえ、改めてくれるように頼んでおるのだ」
「すでに朝議で決まったことだと聞き及んでおりますが」
「帝のご裁許《さいきよ》を得ねば、朝議で決した事も無効となる。帝がご不在の今、裁許の権利はこの私にある。今からでも左大臣の命令を取り消すことは出來るのだ」
「お望みなら、そうなされるがよろしゅうござる」
長慶は少しも動じなかった。
「我らは近々丹波攻めにかかるゆえ、実のところ関所の警固にまで手を取られるのは重荷でござる。大葬の禮の費用も、他の者に申し付けていただきたい」
「私はそのようなことを望んでいるのではない。先の二點について約束を取りつけておきたいだけだ」
「それでは、新たに條件を加えるということになりまするな」
「武家の物言いだとそうなるか」
「なりまする。ゆえにこちらも、それに見合うだけの條件を出させていただく」
「申せ」
「將軍義輝公を廃し、阿波公方さまに將軍|宣下《せんげ》を行っていただきたい」
長慶の父元長は、足利義晴の弟義維を擁して 「堺《さかい》幕府」と呼ばれる政権を打ち立てた。
ところが細川晴元の裏切りによって堺幕府は崩壊し、元長は討死にし、義維は阿波に逼塞《ひつそく》する身となっただけに、義維を將軍として擁立することが三好家の悲願となっていた。
「確かに將軍宣下をするのは朝廷だが、それは武家からの申請があった場合に限る。そちが義維を將軍にしたくば、義輝を説いて譲位させるか、討ち果たして將軍たる內実を整える外はない」
「ならば、當方には少しも利がないようでござるな」
「大葬の禮の警固を三好家に申し付ける。さすれば、そちの威勢を天下に示すことが出來るではないか」
費用を出させて警固もしろとはひどく蟲のいい話のようだが、大葬の禮の警固をするとは、都の支配者であることを朝廷が認めたということだ。長慶の食指が動かぬはずがない。
前嗣はそうにらみ、この條件を切り劄として會見にのぞんだのだった。
「それは阿波公方さまの、將軍としての內実を整えることにつながりましょうや」
「そろそろ義維には、見切りをつけた
パートらしい建築現場が一つあって、數人の労働者が気のなさそうに働いていた。
「どう、お父さん。當時の面影はあるの」
葉子は訊いた。赤くなって、父は泣きだしそうな表情である。
「ずいぶん変った。しかし、面影はあるぞ。まちがいなく馬群だ。あそこに地主の家があった。部隊の司令部のあったとこだ」
あごで父は外をさした。
ブロック塀をめぐらせた灰色の建物があった。農業用品の倉庫らしい。むかしは門のそばに日章旗がひるがえり、當番兵が二六時中立番していたのだという。
小學校はどこだ。父は通訳に訊いた。雑貨屋のまえで運転手はクルマを停める。なかの女に場所を訊いてくる。道路のさきを女は指してこたえていた。クルマはさらに百メートルばかり東へ走った。鋪裝のない、ガタガタ道を走るのは久しぶりだった。
左側に灰色のコンクリート塀がみえた。
門柱と鉄の扉があった。小學校だった。父は昂奮してクルマを停めさせる。ここの校舎で父の隊は寢泊りしたのだ。
父はクルマをおりた。ステッキをつき、左足をひきずって正門へ近づいた。葉子もあとにつづいた。門扉ごしになかをみる。鉄棒とかネットとかゴールポストなどのいっさいない、空地のような校庭だった。古ぼけた灰色の壁の校舎が左手に立っている。土をまぶしたように汚れた、屋根のくずれそうな建物だった。自転車が一台、そばにおいてある。
校庭の塀の內側にそって、篠懸の木々がならんでいた。篠懸だけが大きく育ち、あざやかな緑色の繁みを誇っていた。土曜日の午後だった。生徒は一人もいない。木々にかこまれて學校はしずまりかえっている。
校庭のうしろは小高い丘になっていた。アカシヤが茂っている。そばに赤煉瓦の校舎が新築中だった。建築資材をはこんだトラックの轍のあとが校庭にきざまれている。
正門の扉を父はあけた。通訳と葉子があとにつづいた。左手の校舎を父はみている。
「これだ。まちがいない。これだで」
父はうなずいた。南京突入まえの一週間をすごした校舎だという。
通訳が校舎へ入っていった。紺色の服をきた老人をつれて外へ出てきた。この學校の校長だという。頭の禿げた、顔の丸い、好々爺そのものの老人だった。
「およそ五十年まえ、日本兵が二人、向うの林のなかで殺された。その墓がまだあるかどうかきいてみてください」
父が通訳にたのんだ。通訳は身ぶり手ぶりを加えて、校長に説明しはじめる。
校長は人の好い笑みをうかべている。表情に変化はない。かぶりをふった。なにも知らないらしい。きいたこともないという。
「日本兵が二人、だれかに殺されたことも知らないスか。きいてみてください」
通訳がその言葉をつたえた。校長はやはりなにも知らないという。
「この村に日本軍の部隊が駐屯した。この學校に私たちは泊った。中國人で殺された人もかなりいた。そのこともこの先生は知らんのですかね。訊いてみてください」
反応はおなじである。校長は人の好い笑みをうかべてかぶりをふった。そして、二言三言なにかをつぶやいた。
通訳が話してくれた。日中戦爭後の內戦でこのあたりでも戦闘があった。そのことはわずかにおぼえているという。校長はこの地方で生れ育った人物らしい。