義父:「私が赴任している間に母島においでよ」
そんなことを言われたのが
一昨年のことでした。
夏休みは北海道に行くのが定番でしたし、わざわざ暑い土地に旅行に行く気になれず時間が過ぎてしまいました。
そして昨年度が義父の赴任期限だったことから、自分の人生を考えると良い経験になるかなと思うようになり、
一念発起して妻に一言。
私:「よし、今年は母島に行こう。」
楽しみというよりは、あくまで
人生経験を積みに行くという理由で、どちらかというとそれほど行きたいとは思っていませんでした。
旅行期間は
2018年8月17日(東京発)~23日(東京着)です。
このブログは、1年間ずっと(量が多いと見積もりサボっていた)書かなかった旅行記の第二弾です。
では、、、
「2018年 夏 母島旅行」の始まりです。
恥ずかしながら、私は母島のことを名前以外は何も知りませんでした。
いや、だって、母島って・・・、あれですよ、父島と母島の母島ですよ。 ←知識が貧相
そんな母島を簡単に紹介します。
住所は
「東京都小笠原村母島」です。
母島は東京都なんですよね、まぁ、これは諸事情があり知っていました。
ですが、ビックリしたのが場所です。
一般的な日本地図の配置で説明すると、東京から真下に向かうと見える小さな島があります。
いえ、大島ではなく、、、三宅島でもなく、、、もっと、もぉ~っと下の方です。
あっ、それは父島でそのさらに下です。
見えましたね、そう、それが
母島です。
東京から南に約1050キロ離れたところにある島が母島です。
Googleマップで調べてみると、東京駅から北九州駅まで(車移動で12時間半くらい)がこれくらいみたいです。
・・・マジか、今調べたらGoogleアースで母島に降りられるんか!
気になる人は、Googleアースで母島へ行くと、疑似旅行ができます(驚)。
移動方法は船一択で、しかも東京の竹芝客船ターミナルから父島までは「おがさわら丸(通称おが丸)」で24時間移動し、そのあと父島から母島までは「ははじま丸(通称はは丸)」でさらに2時間移動します。
乗り継ぎ時間を考慮しなくても26時間の船旅です。
乗船価格も大人一人片道で27,000円(おが丸)+4,000円(はは丸)=31,000円と高額になり、夫婦の場合の往復料金は4倍の
124,000円と目玉が飛び出ます(汗)。
以上。(短っ!)
出航予定日は2018年8月17日を予定していたのですが、なんと
台風19号接近しており出航ができるか微妙な状態でした。
台風の進路は母島の南西から東京方面に向かっており、おが丸は台風に向かって航海することになります。
そして、
その後には台風20号も既に発生しており、19号と同じ予想進路になっていました。
妻と自宅を出て、炎天下のなか汗だくになりながら竹芝客船ターミナルに到着しました。
今回乗船するおが丸はこちらです。
この時点で、小笠原海運の発表を見ますと
「条件付き出航」となっており、その内容は次のとおりでした(抜粋)。
「本日8/17(金) 午前11:00に東京竹芝を出航するおがさわら丸は定刻通り出航を予定しておりますが、台風19号の影響により「条件付き」での出航となります。
①航行途中で東京竹芝へ引き返す可能性がございます。
(この場合、8/18(土)父島発便は欠航となります)
②小笠原父島へ到着できたとしても、到着時刻が遅延する可能性がございます。」
えぇぇぇ・・・・・(汗)。
こんな状況なので、もう一つ心配なことがありました。
「はは丸が欠航したらどうしよう・・・。」
そうなのです、父島まで行ってもはは丸が欠航した場合は母島まで行けず宿がありません。
おが丸の乗船定員数=宿のキャパシティと思っていまして(実際は多少余裕があるかもしれませんね)、今回の船は満席のため母島に行く予定の人は父島で足止めを食らうと宿で困る可能性がありました。
さらに、そのあと台風20号がきますので旅行中はずっと宿にこもっている可能性もあり、高額な旅費を支払うのにそれはキツイです。
これは旅行をキャンセルしたほうが良いのではないか、、、
この時点で、これから北海道旅行に切り替える案が頭の中に浮上していました(笑)。
相当悩んだのですが、妻から義父に連絡を取ってもらい助言を求めたところ。。。
義父:「確約はできないが、条件付き出航なら大丈夫。はは丸も出航する。」
とのことでした。
この根拠は次のとおりでした。
・おが丸は旅客船である前に父島・母島の生活物資を運ぶ重要な使命があるため、余程のことがない限り運航する。
・小笠原海運はいけると思っているが、念のため保険として「条件付き出航」としている。
・おが丸が父島に到着すれば、母島に物資を届けるために出向時間を早めてでもはは丸は出航する。
年中運航を見ている人が言っているのですから、
もう信じるしかありません。
不安をかかえたままおが丸に乗船し、まずは父島に向けて出港しました。
誰っ!?
しっかし、、、全然台風が来てるなんて考えられませんよ、こんな天気なんですから。
気合を入れて
屋外デッキで昼食のコンビニ飯を食べたのですが、あまりに日差しが強すぎて長居はできませんでした。
さて、今回の
旅行の目的は母島に行くこと=人生経験を積むことなのですが、もう一つ目的がありました。
それは、
太平洋戦争の戦跡を見ることです。
母島は大きな戦闘は無かったらしいのですが、当時の砲台がそのまま残置された戦跡が複数あるとのことでした。
本州では手を加えられていない戦跡はなかなか見られないため、この機会に本当の戦跡を見たいと思いました。
過去に母島で何があったのかは詳しく知らなくても良いのですが、過去の日本人がどんな気持ちでその場にいたのかを感じたかったんです。
そう考えると、私にとっては
おが丸の航海も別の意味を持ってきました。
過去に軍属艦で母島に向かった兵士(もとは国民)と同じ景色を見られるということです。
海のど真ん中の景色は、時代が変わってもそれほど変わらないですから。
この航海のなかで、その兵士がどんな景色からどんなことを思ったのかを感じ取りたいな、と思いました。
もちろんおが丸は快適装備の旅客船ですので、軍属艦ゆえの大変さは分からないんですけどね。
出航したあとに艦内用の緩い恰好に着替え、持参のサンダルを履いて
艦内を探検しました。
東京湾から離れていくについれ揺れが大ききくなり始めました。
屋外デッキを散策していた時ですが、突然大きな揺れが起きてバランスを崩し、ガッ!、と右足薬指を鉄柵にぶつけて怪我をしてしまいました。。。
おが丸で履くサンダルは
つま先があるサンダルをおススメします、結構揺れますよ。
痛みをこらえながら、こんなの軍人さんなら怪我に入らないだろうけど、初めて見る外洋の景色を写真におさめまくりました。
人生で初めて船で外洋に出ましたが、海と空しかない景色は私にとって非日常的な世界でした。
過去に母島に向かった人も、この景色を見たのでしょうか、何を思ったのでしょうか。
感動して、ワクワクして、、、
そして退屈になりました(爆)。
だって、海と空しかないんですもん。
うん、もしかしたら過去の人も同じかもしれないですね(笑)。
そして夕暮れです。
壮大ですよ。
退屈していましたが、本当に感動しました。
なんか、いろいろ思いふけてしまいますよね。
やがて日が暮れて、月明かりが海面を照らしはじめました。
月光ってこんなに明るいんですね、航海ならば立派な照明替わりになりそうです。
あらためて、この景色からは台風が近づいているなんて微塵も感じられないですね。
程なくして台風の影響でしょう、船の揺れがかなり激しくなってきました。
太平洋フェリーの揺れなんて比ではありません。
えっ、台風明けの新日本海フェリーですか?
のー、のー、まったく足元にも及びませんよ。
このころから、船酔いの症状が出始めました。
酔い止め薬(アネロン ニスキャップ)は飲んでいたのですけどね、船の揺れが尋常では無かったです。
やばいなー、やばいなー、と思いながら妻と食堂に行き、注文した
カレーを食べようとして、、、食べられませんでした(汗)。
もう、完全に酔ってしまってダメ。
なんでカレーにしちゃったのかな、ってすごい反省しました。。。
フェリーの旅は何度かしていましたので、自分はそこそこ船旅もいけると思っていたのですが、そんなの幻想でした。。。
酔い止め薬を追加で飲んだのですが、酔った後は効かない分かりませんが、快方に向かうことは全くなく。。。
この後の船旅は生き地獄のようで、隣のベッドのオヤジが騒音(いびき)を出していたことも重なり一睡もできませんでした。
自信を持って言えることは、絶対過去の兵士さんの中にも一人くらい私と同じく船酔いで苦しんだ方がいるだろうと、私はそれを体験したいるのだと!
これが人生経験ですよ! ←強がり1
なんでもね、体験しないと人間ダメなんです!! ←強がり2
耳で聞くだけじゃ身にならないんです!!! ←強がり3
この体験から、酔った時にカレーは食べるな、ということを学びました。 ←初歩知識
いやいや、もう少しタメになることも学びましたよ。
この経験から酔ったときの対処の仕方を学びました。
ここまで酔ってしまうと寝てるしかないのですが、寝方によって全然辛さが違います。
正しい寝方は、船体の船首(or船尾)方向に頭(or足)を、そして仰向けになって横になることです。
天井を見られるポジションですね。
この体勢を維持し続ければ、治りはしませんが、船酔いの症状が大分軽減されますよ。
横を向いて寝ちゃだめですよ、仰向けですからね。
もう、本当にやばいと思ったら最終手段として試してみることをおススメします。
私はこの方法で体調が少し良くなったので、調子に乗って本を読んだら再起不能になりました。。。
くれぐれも、快方に向かっても油断しないように・・・。
一睡もできずにひたすら耐え続けていたら、父島に近づいてきたようで、はは丸に関するアナウンスが流れ始めました。
内容は以下のとおりでした。
・本線は予定より40分早く父島に到着する。
・ははじま丸は運航するが、予定より早く出航する。
・本船は折り返し東京への出港を定刻より1時間早め14時30分とするため、急いで下船してほしい。
とのこと。
要約すると「おが丸もはは丸も台風が来る前にズラかるから急いで!」ということですね。
ちなみに、はは丸はたった今も父島に向かっているらしいです。
なんか、戦時中の撤退作戦みたいな雰囲気でした、見つかったら撃沈される緊張感みたいな・・・。
揺れが落ち着き始めたので、デッキに出て外を見て、、、
「陸だー!!!」
降りたら楽になる、降りたら楽になる、降りたら楽になる、、、
ようやく父島に到着し、陸に降り立ちました。
これからさらに2時間の船旅が待っていると思うと気が重たくなります。
でも、これからの航海がおが丸の揺れをはるかに上回るものになろうとは、この時は思っていませんでした。。。
父島では義父の同僚の方が待っていてくれて(本当に色々ありがとうございました!)、はは丸が出航するまでの少しの間、案内していただきました。
〇大神山神社
事前調査をしたところ御朱印が頂けるとのことで、こちらに来ました。
そのまま、父島のメインストリート街が見渡せる丘に案内してもらい、色々と説明を受けながら景色を堪能しました。
頂いた御朱印はこちらです。
もう少し高いところまで案内されると、視界が開けてこんな景色が。
この時点で、あの船に乗ったら絶対ヤバイと確信をしました(笑)。
案の定、すごかったです。
早速、はは丸は出港準備中・・・
はは丸は自由席のため、場所取りのためには早めに順番を取らねばなりません。
みんな荷物だけ順番とりのために置いて体はどこかに行っているみたいで、我々もそれに倣って順番待ちをしました。
はは丸に乗る際のアドバイスは以下のとおりでした。
・乗船したら(船酔いするから)すぐに座敷を確保すること。
既に船酔いしている私にとっては死活問題で、必ず確保しなければなりません!
やがてはは丸の乗船時間になり、お世話になった方にお礼をいって、急いで座敷を確保しました。
アドバイスのとおり座敷は競争率が高く、あっという間に一杯になり、逆に座席はガラガラという、、、みんな船酔い対策のためなんですね。
乗客全員、降参の図
抵抗は無駄ですからね。。。
そして、はは丸は定刻より早めに父島を出港しました。
出港間際は船体は落ち着いていたのですが、港湾から外洋に出た途端に大きな揺れが始まりました。
仰向けに横になって、ひたすら酔いに耐え続けます、、、
これ2時間続くんですよ?(苦笑)
体がね、気分的には船首と船尾が逆に30度くらい上下している感じで、いままで経験したことがない船の揺れを感じます。
そして窓から外を見ると、、、
波の壁しか見えない・・・(驚)
窓の外は波の壁しか見えない
↓
徐々に波の壁が低くなる
↓
海面が遠くまで見える(このとき「スッ・・・」と音が無くなるんです、怖いです!)
↓
船首と船尾の角度が一気に入れ替わり、バシーン!と船底が海面をたたく音が聞こえる
↓
落下感と共に波の壁が高くなる
↓
体が床に押し付けられ、波の壁しか見えなくなる
の繰り返しです。
波の上側とした側ってかなり高低差があるんですよね、気分的には建物の数階層分を上下している感じでした(実際は分かりませんが)。
そして、船って波を越える際に垂直方向で通過しないと転覆するんですよね、その波を狙ってはは丸は巧みに右左と舵をとりながら進んでいくわけです。
え、おが丸の揺れと比べてどうかって?
10倍気持ち悪くなります(爆)
断言しますよ。
はは丸の船員は本物の航海士です。
こんな海が荒れた状況で、しかも客を乗せて運航する船って滅多にないんじゃないですかね。
ちなみに、このブログを書くために気象庁のHPを調べてみたら、この日のこの海域(小笠原村)は
波浪警報
が出ていました(汗)。
生活物資を運ぶってすごい任務なんですね、いつもこんな危険なことをやっているのかと思うと、本当に頭が下がります。
そして、すーっと揺れが引いていき、窓の外を見たら緑が見え、ようやく長い長い船旅が終わりました。
母島に到着です。
長かった、、、本当に長かった、、、
雨は降っていないものの曇天で、海がきれいとか全然わからなく、南国に来た気分が全くない(苦笑)。
そして義父と再会し、15時半頃に本日の宿に到着したのでした。
いやぁ、ホントお疲れさまでした。
夕食まで時間があったので、義父に軽く島内を案内してもらいました。
カフェはお休みでした。
えっ、バナナ!?
そして、お寿司屋さん?で夕食を頂きました。
母島名物(父島にもあるので、小笠原村名物かな?)、
島寿司です。
まず、量が凄い(笑)。
こちら、漬けになっているので味が付いているのですが、寿司好きの私はとても美味しく頂きました。
続いてこちらです、なんだか分かりますか?
これね、
カメの煮つけなんです(驚)。
これも母島と父島の名物らしく、今は本州から色々な肉が届くため大丈夫なんですが、昔は島に肉がないため島民にとって貴重なタンパク源だったそうです。
非常に甘い味付けがされており、ゼラチン質が多い箇所があったり、何も知らなければ素直に美味しく食べられると思います。
私はカメって知っていたので、どうしても途中で何度か食が止まりました(苦笑)。
でも、これは貴重な人生経験ですからね、義父の予想を裏切り間食しましたよ。
こんな狭い島国でも、いろいろな食文化があるのですね。
良い体験ができました。
こちらは、義父おススメの
小エビ天です。
すんごい量!
母島で美味しい夕食を頂いて、本日の観光は終了になりました。
まる。