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デミオドライブのブログ一覧

2020年04月11日 イイね!

2019 冬 長崎旅行 1

2019 冬 長崎旅行 1誕生日のデミどらです。
1年間おっさんに磨きをかけたので、引き続き磨きをかけ続けようと思います。
まぁ、、、磨いて素敵になるなら苦労しないです(爆)

長期休みには、ほぼ毎年北海道旅行に行っています。
北海道には知人Aさんが在住しているのですが、もともとはネットゲームのグループで知り合った方で、今でもお付き合いしています。
ネットゲームの凄いところは、遠く離れたところの人でも簡単に交流ができることですね。
そして同じグループで知り合った知人Bさんからも、以前から熱烈オファーを受けていました。

長崎にも遊びに来てよ!

そう、同じゲーム仲間内に北海道と長崎在住の方がいるんです(笑)
昨年の秋に東京でオフ会をした際にも熱烈オファーを受けまして、その勢いで長崎旅行に行くことになりました。
長崎に行くのは高校の修学旅行以来!

というわけで、長崎旅行記の始まりです。

〇1日目
最後までセラちゃんで行くか迷いましたが、旅行期間に対する移動時間の占める日数がもったいなかったので、LCCで行くことにしました。
ちなみに成田→長崎の搭乗料金は

5,670円也

LCCは本当に安いですね。

あっというまに長崎空港に到着。
初めて来た、長崎空港!
たぶん・・・

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長崎空港は長崎市街から結構距離がありまして、知人が迎えに来てくれました。
車はホンダ・グレイス・ハイブリッドで、10年ぶりくらいにホンダ車に乗りました。
だって、私の周りにはマツダ乗りしかいないんですもん。

今回の長崎旅行の目的の一つに、アニメの聖地巡礼がありました。 ←またか
知人の熱烈オファーですが、細かくはこんな感じでした。

1.是非、長崎にも遊びに来てよ!
2.アニメの聖地巡礼を推していて案内してあげるから、来るまでにそのアニメを全話見てくるように!


ってわけで、行くまでに見終わることができず、飛行機の中でも見て、長崎市街に移動する車の中でも見て、ようやく宿題が完了しました(笑)
こんなに急いでアニメを見たのは生涯初めてです。

作品の名前は「色づく 世界の 明日から」でして、長崎市を舞台とした真面目系のアニメです。
最近のアニメと同じく、実在する場所が多数出てきます。
また、名前のとおり非常に色に拘った美しい描画で、バトルなし、爆笑なし、若干恋愛要素あり、メッセージ性が強い、という内容で、私は好きです。
ネタバレするのは良くないので簡単にいうと、落ち込んでいる人や悩んでいる人にお勧めできる作品です。

長崎市は人口減少に歯止めがかからず、地元の活性化のために四苦八苦しているそうです。
その一つが、アニメによる長崎の魅力アップだそうで、知人は主要メンバーの一人なのでした。
長崎は観光地の中でもトップブランドで、人口で困っているなんて思ってもいませんでした。


〇魔女の森カフェ

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さっそく向かったところは、主人公の自宅となっている「魔女の森カフェ」です。
今回は知人が予約してくれたので、スムーズに入店することができました。
こちらは長崎市街から離れたところにありまして、車がないと行くのは難しいかもしれません。

こちらで昼食をとったのですが、マダムたちの社交場になっていて、なるほどオシャレなお店でした。
そして、高台にあるため見晴らしがよく、景色がとてもいいんです。

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店内は作中とほぼ一緒で、アニメを見たあとですとテンションが上がります。
こちらはアニメとコラボした(であろう)飲み物。

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そして、おしゃれなコース料理をいただいて・・・
いやぁ、会社の昼食ではセブンイレブンのおにぎり2個な生活をしてるので、すごい贅沢をしてる気持ちになります。

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そして、こちらは聖地巡礼用のパネルです。
こういうアニメです、綺麗でしょ?

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こちらは、食事中に気になって仕方がなかったエロチックな絵画です。

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その後、長崎市街に戻ってきて徒歩で散策することに。

名前が素敵な”女神大橋”を渡って~。。。

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長崎市街に到着!!
正直、高校時代に訪れた長崎の記憶がほとんど残っておらず、すべてが初めてな気分でした。
各所を歩くと、とにかく中国人が多い!
長崎港には豪華客船が頻繁に入港して、大勢の中国人が長崎観光をするのだそうです。

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が、あまり買い物をしてくれないんですって。
・・・長崎の文化って多国籍ですが、とりわけ中国文化が強い気がするので、中国人にとっては外国に来た感じが薄いのかも、と思いました。
でも、長崎は中国人に対して非常にフレンドリーですね、関東圏とは中国人との距離感が全然違かったです!


〇大浦大聖堂
売店通りであるグラバー通りを進むと、目の前にドーンと建物が現れました。

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大浦大聖堂です。
中には入りませんでしたが、一気に西洋の雰囲気に変わりました。


〇祈念坂
その大浦大聖堂で人の流れから外れ、細い歩道へ案内されました。
ここまでは”西洋の雰囲気”だったのですが、ここから歩道を登っていくと諏訪神社が現れ”和の雰囲気”に変化します。
さらに登っていくと、ふたたび大浦大聖堂の横を通り過ぎ、またまた”西洋の雰囲気”に変わります。

おもしろい!

で、この坂を祈念坂といいます。
こちらも、アニメの聖地になっています。

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〇大浦展望公園
祈念坂を登りきると、見晴らしの良い公園がありました。

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ここから見ますと、長崎がどんな町かはっきりとわかりました。

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長崎は坂の街

東洋のアマルフィは真鶴らしいですが、個人的には長崎の方がアマルフィらしい気がします。


〇グラバー園
グラバーさんの屋敷があるグラバー園です。

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グラバーさんは、日本で初めて蒸気機関車の試走をさせたり、近代日本の経済発展に非常に貢献してくれた方だそうです。

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敷地内には、聖地となっている旧自由亭というカフェがあり休憩することにしました。
ものすごい雰囲気がある所で、お上品になった気分になりました(笑)

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こちらでは、”色づく 世界の 明日から”のパネル展がやっていたので、42歳のおっさんがオタ活に勤しみました。

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〇出雲近隣公園
グラバー園から車で移動し、出雲近隣公園に来ました。
こちらも高台にあるため、大浦展望公園とは別のアングルで長崎の姿を見ることができます。
非常に景色が良いところで、ついた途端に、

「はぁ~~~~~・・・・・・」

と間抜けな声で、いたく感動してしまいました。
いや、本当にすごい景色なんです。

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・・・実際は、この写真の100倍素敵です。

そして、こちらがアニメの重要な場面に出てきた場所です。

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〇鍋冠山公園
読み方わかりますか?
「なべかんむりやまこうえん」と読みます。

調べたところによると、、、
”世界新三大夜景”というのがあるそうで、モナコ、香港、長崎が認定されたそうです。
全然知りませんでした(汗)

その後に”日本新三大夜景”というものができまして、長崎、札幌、北九州が認定されたそうです。
余談ですが、”日本三大夜景”は函館、神戸、長崎で、”新日本三大夜景”は山梨、奈良、北九州のようです(2019年)

複雑(汗)

長崎の夜景写真で使われる半分くらいは、鍋冠山から撮影されています。
のこり半分くらいは稲佐山からの撮影です。
私が鍋冠山に訪れたときも、高そうなカメラを持った方々が大勢撮影をしていました。
あまりきれいに撮影できませんでしたが、こんな夜景です。

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綺麗ですよね・・・

綺麗でしょ!?(ごり押し!)

このとき、はじめて長崎の全景が分かったのですが、長崎港を中心に山で囲まれた街なのですね。
港の近くの灯りが多いところが市街地で、その辺りは埋め立てられた土地なのだそうです。
昔の人は山の上に住んでいて、だんだん山から下りてきて、平地を埋め立てて、今の長崎の姿が出来上がったのだとか。

昼に通った女神大橋をパシャリ。

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ちなみに、山の斜面にある宅地と、埋立地の市街にある宅地では地価が全然違うのだそうです。
理由は、利便性が違うからだそうですが、その理由はいずれ書きます(覚えてたら・・・)。


〇稲佐山観光ホテル
今回は、知人にお世話になって稲佐山観光ホテルに2泊しました、ありがとう!
港側の部屋に宿泊できたので、窓の外には夜景を見ることができるのですが、これが本当に素晴らしい景色でした。
その写真がこちら。







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きれい・・・

こちらも、肉眼で見たほうが100倍綺麗です。
函館の夜景を見たことがありますが、あちらはボッと光が拡散しているダイナミックな夜景でした。
それに対して、長崎の夜景は港付近から山に向かって光量が減っていき、そして夜空につながるグラデーションになっています。
一言でいうと、そうですね。

繊細で可愛らしい

力強さよりも華やかさがあって、街の灯りと夜空の星に至るまで、すべて合わせたものが長崎の夜景です。
これは、本当に素晴らしかったです。
私の生涯でみた夜景で、一番繊細で可愛らしい、素敵な夜景でした。

この話の流れから、こんな話をするのはアレですが、、、
地元の人の話では、山に光が少ないのは居住者が減少した結果だそうで、そう聞いてしまうと若干寂しい気持ちにもなってしまいますね。

以上で、長崎旅行1日目は終了です。

まる。
Posted at 2020/04/11 16:34:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2020年04月04日 イイね!

2018 夏 母島旅行 4

2018 夏 母島旅行 42018年 夏 母島旅行 4です。

母島旅行ブログの最後になります。

最後は、まだ母島らしい写真をアップしていなかったので、その辺をまとめました。

〇北港
母島に到着してすぐに、こちらにある小屋でお弁当をたべました。
風が強くて、ほとんど写真を撮れませんでした(汗)


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〇東港
こちらでシュノーケリングをしました。
潮の流れが早くて怖かったですが、母島の中では安全に泳げる場所の一つです。
水中では動画ばかり撮っていたのですが、ちらほら魚もいて楽しかったです。

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〇小剣先山
集落内に登山道入口があり、気軽に登れる山です。
一人で登ってきたのですが、登山道は整備されていて、頂上までそれほど時間がかからずに到達できました。
同じくらいの高さの山に囲まれているため、視界が開けて気持ちが良かったです。
とりわけ、空の青がとても綺麗だったのが印象に残っています。

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〇鍾乳洞
母島には鍾乳洞があるんですよ。
すごい小さな鍾乳洞で、入るには母島観光協会に一声かけてから入る必要があります。


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〇ロース記念館
母島の開拓に貢献したドイツ人のロフルスって方が見つけたロース石で作られた記念館です。
母島の歴史を学ぶことができます。
母島は捕鯨が盛んだったようで、それに関する資料が多かったです。

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〇脇浜なぎさ公園
ここでもシュノーケリングをしました。
サンゴの産卵の時期だったらしく、ふわふわしたものが沢山浮いて、あまり視界は良好ではなかったです。
泳いでいたら、ちょうどはは丸が出航する時間になり、海の中から眺めることができました。

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〇鮫々先展望台
夜に星を撮影しに行きました。
が、撮影技術が乏しく、雲も多かったため良い写真が取れませんでした。。。
ちなみに、夜に一人でくとすごく怖いところです(笑)。

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〇御幸之浜
戦前に昭和天皇が戦艦山城に乗船して訪れたところだそうです。
個人的には、ここの景色が一番印象に残っています。

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そして、こちらでもシュノーケリングをしました。


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海がきれいで視界は良好だったのですが、とにかく波が強く速くて岩場に体をぶつけまくりました。
こちらは、、、シュノーケリングの場所ではなく、ダイビングスポットですね。
シュノーケリングはお勧めしません(笑)。
でも、潜るならここは一押しです!!

〇小富士
こちらからは、高いところから母島のきれいな海を見ることができます。

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〇大ヤドカリ
天然記念物の大ヤドカリです。
散策中にみつけて、姿を見せてくれるまでにらめっこ!
ようやく、うっかり出てきてくれました(笑)

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〇釣りをしました
夕食のおかずを確保するために、釣りに行きました。

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私は子供のころに、嫌というほど海釣りに連れていかれてたので、そこそこ釣りの技術があるつもりです。

義父:「投げたらリール巻くだけで釣れるから。」

とアドバイスをされたものの、いやいやそんな簡単に釣れるはずないでしょ、と思い慎重にさびいていたのですが、、、

釣れない。。。

私をよそに、義父は釣果を挙げていました。
意固地になって本州(千葉・伊豆)と同じ感覚で投げ釣りをしていたのですが、途中から諦めて言われた通りにしてみると、、、

釣れた

なんか納得できない!(笑)
けど、投げたらリール巻くだけで釣れるんですから、こんな楽なことはありません。
母島の魚は非常に警戒心がない、、、というか、さびきには警戒するわけ?と思いながら夕食の魚を確保できました。
釣れる時間帯はほんの限られた時間で、それが過ぎるとパッタリつれなくなりましたね。

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ちなみに、この時に初めて魚をさばきました!
このスキルを身に着ければ、地元のスーパーで買った魚を自分でさばいて刺身にできます!!
結構本気で教わって頑張りました(笑)

余談ですが、釣りをしている時に見上げた空がとても綺麗だったのでパシャリ。

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〇しかくまめ
豆・・・なのかなぁ。。。(謎)
母島名物(らしい)のシカクマメを食べたのですが、これがとびっきり美味しいんです!!!
もともとは東南アジアの野菜のようですが、温暖な母島でも栽培されているのですね。
シカクマメの天ぷらは、毎日食べたい美味しさでした!!!

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〇グリーンペペ
母島には光るキノコが自生してます。
是非見たい、ということで夜に連れて行ってもらいました。
写真を撮るのがとっても難しいのですが、ほんのり緑色に光って可愛いですよ。
珍しいものを見せてもらいました!

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〇母島の車
母島にも車が走っています。
ただ、母島は道路がそれほど長くなく(といっても、車がないと縦断は厳しいです)、みんな道具として使っているのだろうと思っていました。
どんな車が走っているのか気になっていたのですが、なんと予想しなかった車がいました。

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母島にベリーサが走っていました!(笑)

いやぁ、ビックリしました。
数多ある車種の中から、なぜベリーサを選んだのか!!!
ちなみに、父島にはアルファロメオが走っていました。
ビックリですね(驚)

〇母島の虹
函館のときと同じく、虹運がありました。
レアなので、パシャリ。

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〇母島島民のお見送り、そして帰りの船から

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お見送りのとき、感極まって涙をこらえてたのは、ここだけの話。

以上で、母島旅行のブログを終わります。

まる!!
Posted at 2020/04/04 18:44:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域
2020年03月31日 イイね!

2018 夏 母島旅行 3

2018 夏 母島旅行 32018年 夏 母島旅行 3です。

今回も徒然なるままに。。。

〇台風と食べ物
母島で台風を迎えたわけですが、なかなか体験できないことですのでその時のことを書きます。

大学時代に九州出身の同級生から「関東の台風はそよ風」って言われたことがありまして、台風接近時の九州・沖縄の中継を見るたびに「確かに・・・」と納得していました。
母島も関東から遠く離れた離島ですから緊張感をもって台風を迎えたのですが、そんな中で体験したことを徒然なるままに書いていきます。
(近年は関東直撃の台風も多く、長崎県の知人が「もう、九州に台風は来ないと思う。」というほど、九州=台風っていうのは過去の話になったのかもしれません)

はは丸欠航の放送から数時間後、義父の家でお世話になる間の食糧を買いに行きました。
島内には日常生活品を販売している店舗が3箇所あり、輪番で営業しているらしいです。
生暖かい風が吹くなか、義父に連れられてお店を訪ねると。。。

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既に買い占められていたようで、食べ物がほとんどありませんでした。
その中でようやく見つけたのが賞味期限切れ。

しかも値引きもしていない(驚)

私の地元では考えられないことで「マジか!」と心の中で何回叫んだことか。
(ところが、この時から2年経ったいまでは、地元でもよく見る光景に・・・)
ですが、ここは母島です。
アスクルが一週間後に届く世界です。
冷静に考えると、母島はこういう場所なんですね。
旅行に出発する際に義父から言われた

おが丸、はは丸は旅客船である前に父島・母島の生活物資を運ぶ重要な使命があるため、よほどのことが無い限り運航する。

という言葉のとおりでした。
おが丸、はは丸は母島にとって生命線なんですね、これが絶たれる=どエライことなんだと身をもって体験しました。
賞味期限が切れたって全然食べられますし、そんなこと言ってられる状況ではないということです。
自分が住んでいるところがどれほど恵まれているか、って考えてしまいました。
まぁ、私は賞味期限が切れてもあまり気にしないので買いましたけどね。

ちなみに、台風とは関係ないですが、母島の自販機はこんな感じです。

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What a アットホーム!(笑)

でも、注目してほしいのはこちら!

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初めて見た(爆)

妻の笑いのツボに入ってしまったようで、つられて私も笑ってしまいました。
でも、人間味を感じませんか?
なんていうんだろうなぁ、、、昭和感があるっていうんでしょうか。
あるいは田舎感があるっていうのか。。。

誉め言葉ですよ?

こういうの、いいですよね♪

なお、幸い食べ物を選ばなければ義父の備蓄で数日は過ごせるとのことなので、ほぼ毎夜ホームベーカリーが全力で稼働することにより難を逃れました。

余談ですが、ホームベーカリーで作ったパンが

美味しい!
毎日食べたい!!!


旅行からかえってから、本気で購入を検討しました(笑)


〇台風と暇つぶし
台風により屋内に拘束されたのは実質1日のみでした。
義父は港にある防潮板(?)を閉鎖しに行ったり忙しく過ごしていたのですが、私たちは何澪することが無く悩んでいると義父から提案が。

義父:小学校の図書館が解放されてるから行ってくれば?

何しろ他にやることが無いため、地元にいる時でさえ全く行かないのに、図書館に行くことにしました。
訪れたのはこちらです。

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小笠原村立母島小学校 中学校です。
受付で図書館を利用したい旨を伝えると入館することができます。
私の地元ではセキュリティ上の理由から学校に入ることはできませんが、母島では私の子供のころと同じように学校に入ることができるんですね。
本当はこれが正しい姿だと思うんですけどね、母島はずっと平和でいてほしいです。

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ここの校舎は少し変わっていて「ロ」の字をしています。
内回りは廊下、外回りは教室になっていて、休み時間は中庭越しに反対側の生徒を目視できます。
個人的には逆の方が授業中の光景が見渡せて良いかな、等と思いながら小学校の雰囲気を楽しんでいました。
屋上を観察すると仕上げに模した太陽光パネルが張ってあり、比較的新しい建物のようでした。
学校って独特の雰囲気があるじゃないですか、特に小学校はザ・便所だったり、Pタイルの廊下だったり、リノリウムの臭いだったり、懐かしい思いが全開でした。
というか、職業病も全開ですね(笑)

ちょっと脱線しますが、母島には「アカガシラカラスバト」という鳥が生息していて天然記念物に指定されています。
カラスなのかハトなのかどっちだよ、って感じですが。
このアカガシラカラスバトは、地元では「あかぽっぽ」と呼ばれていて、滅多に見ることができない珍しい鳥なのだそうです。

校舎の廊下を歩いていると、毛筆の抱負や絵が貼ってあり懐かしい思いでみていると、俳句を貼りだしているクラスがありました。
そこで見つけた、ひときわ輝いていた俳句を一句。

あかぽっぽ どこにいるか わからない

そのまんまだけど!?

もう、妻と二人で大爆笑してしまいました。
これを書いた子供は持っていると思いますし、OK出した先生も懐が深いですね(笑)
私はツボにはまってしまい、一日中思い出し笑いしていました。
きっとこの子は正直者なのでしょうね。

ようやく図書館に到着し読みたい本を探しはじめたものの、ピンとくるものが見つからず、ようやく手に取ったのがこれ。

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ナイチンゲール!

41歳のおっさんが、漫画でナイチンゲールを勉強してみました。
背筋伸ばして真顔でナイチンゲールを読んでいるおっさんを、図書室の管理に山は何を思ってみていたのか?
子供向けですからね、これ(笑)
ナイチンゲールって、旅行に来る前の母島の知識量程度しか知らなかったので、結構真剣に読んでみました。

この歳になってはじめてわかったことは、ナイチンゲールと赤十字は無関係ってことでした。
ナイチンゲールは赤十字の思想を持った人へきっかけを与えた人みたいです。
侮れないです、子供向けのマンガ!

〇カメと遊ぶ
母島と言ったらウミガメです。
脇浜なぎさ公園というところにアオウミガメ人工孵化場があります。

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こちらの砂浜でカメが産卵できるようになっていて、カメの繁殖をしているそうです。
残念ながら、私が滞在中はカメを見ることはできませんでした。

義父:夜ならいるかも。

とのことで、行ってみると・・・

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いたー!!

遠くて小さかったですが、確かに見ることができました!

そして、小笠原母島観光協会がカメと遊ぶイベントを催していたので行ってきました。
カメと言っても、大きさはこんな感じです。

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かわいい!

かわいいの好きなおっさんにはたまらないイベントですよ!
水槽の中で元気に動き回っている小さいのが全部カメの子供です。
この子たちを手に取って触れ合うことができます。

何が可愛いかっていうと、この子たちを水槽からすくい上げるじゃないですか。
すっごいジタバタしていて、これはこれで可愛いんですけど(カメにしてみれば、これから食われると思っているのかもしれません)。

そして、カメのお腹にひと肌が触れるとピタッと動きが止まって・・・。

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寝ます(爆)

ほんと、一瞬ですよ、ピタッ → zzz・・・、みたいな(笑)
理由は、カメのお腹が温かくなって、気持ちよくなってしまうかららしいです。
確かに、目がおっとりしたとおもうと、瞑るんですよね。
これが可愛くて可愛くて、、、
小さい母島らしい小さいイベントですが、アットホームで楽しかったです。

〇気候について
母島と聞くと、エライ暑いイメージがありますよね。
ですが、滞在して分かったことは「東京より全然涼しかった」ということでした。
気温は高いのですが、せいぜい30度ちょっと越え、湿度は高いですが本州ほどではなく、たぶん私が子供のころの地元の気候とほぼ同じでした。
とにかく過ごしやすかったです。
あまりに驚いたので義父に話をしたところ、「そもそも最近の東京の気候がおかしい」とのこと。
ただ、日差しの強さは強烈で、日焼け対策は厳重にやらないと火傷します。
私は長時間散策した時はラッシュガードを着ていました。

今回はここまでです。

まる!
Posted at 2020/03/31 22:45:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記
2020年03月29日 イイね!

2018 夏 母島旅行 2

2018 夏 母島旅行 22018年 夏 母島旅行 2です。

母島に無事(?)に到着したのですが、実はこの旅行はもう一つ懸念することがありました。
それは、帰りの船が欠航しないかということでした。
いまは台風19号の影響を受けていますが、このあとすぐに台風20号がやってくるため、旅程は8月17日(東京発)~23日(東京着)の7日間なので、良く24日(金)からは会社に出社するつもりでした。
欠航したらどうするべ・・・。

・・・まぁ、どうしようも無いです(笑)

出航の可否はギリギリまで検討するでしょうし、気長に待つしかありませんね。

母島に上陸して3日目、義父の家で食事をしていたところ島内放送が流れました。
内容は以下のとおりでした。

・8月21日の”おが丸(東京発)”は欠航だよ(台風20号の影響)
・当然8月22日の”おが丸(父島発)”は欠航だよ(おが丸は一隻しかありません)
・ということなので、8月26日に”おが丸(父島発)の臨時便を出すよ。
・”はは丸(母島発)”も臨時便をだすよ。
・21日便のチケットを持っている人は、臨時便に乗れるから安心してね!


とうことでした。

まじかー!!

”おが丸”が東京を出港する直前まで検討すると思っていたら、こんなに早く欠航を決定するとは。
前回と打って変わって、潔すぎです(笑)。

まぁ、台風のすることなので、離島に来る時点で負わねばならないリスクですし、会社に状況を説明して休みが長くなると伝えることにしました。

私 :「すみません、帰りの船が台風で欠航になってしまい、帰るのが予定より4日遅くなってしまいました。」
上司:「えー、そうなんだ。宿は大丈夫なの?」   ←電話口で周りが爆笑している
私 :「宿代が凄い金額になってしまうので、義父の家にお世話になる予定です。」
上司:「了解しましたー。まぁ、ゆっくりしてきなよー。」   ←引き続き爆笑している
私 :「・・・てか、なんで爆笑してんですか?」
上司:「だって面白いじゃん!(笑)」


おこ(怒)だよ、俺はオコだよ!!

というわけで、7日間旅行から11日間旅行に変更になりました(爆)。

ちなみに、全く同じ時期に沖縄旅行中だった上司がいたのですが、こちらは予定通り帰れそうとのことでした。
・・・そっちも欠航してしまえ(飛行機)。

こんな状況ですので、いつものブログのように日付ごとに書いていると枚数が二けたいってしまい心が折れるので、今回はテーマごとにギュッと絞って書くことにしました。
とうか、もう2年経ちそうなので、なんとかこのブログを終わらせたい。。。というのが本音です。

〇母島の戦跡巡り
まず、今回旅行の主目的である戦跡巡りについて書きます。
母島の戦跡巡りはやり方があります。
先に”父島”の話をしますと、専門のガイドに案内してもらわねばならず、山に勝手に立ち入ってはいけません。
これは、生態系の維持・環境保全のための措置であり、必ず守る必要があります。

母島も方針は変わりないのですが、ガイドをつけなくてよく、好きに見て回っても良いことになっています。
ですが、私は今回の戦跡巡りではきちんとしたガイドに案内してもらいました。
この経験から思ったのですが、母島で戦跡巡りや自然に立ち入る際もガイドにお願いした方が良いと思いました。
というのも、一人じゃわからないルールが沢山あるのです。
母島も生態系の保存に取り組んでおり、自然に立ち入る際は靴底を消毒する必要があり、勝手に散策すると知らないうちにルールを破ってしまいます。
このため、ガイドと一緒に散策すればこのようなことが無いため、ガイドにお願いすることを強くお勧めします。

さて、戦跡を巡った感想を徒然なるままに。。。
ネットで調べると母島の戦闘状況について色々書かれているのですが、正直どれが本当か分かりません。
激戦と書かれていたり、大きな戦闘はなかったと書かれていたり様々です。
ですので、私はガイドから受けた説明を信じることにします。
母島は大きな戦闘はなかったとのことですが、飢えにより多くの兵士が亡くなったようです。
これは現在の母島の食糧事情からも簡単に推測できます。

戦跡は至る所にあり、全部を回ろうとすると車で移動する必要があります。
整備された遊歩道沿いにあったり、道路のわきに残置されていたり、もしかしたらいまだに発見されていない戦跡もあるかもしれません。
今回は写真多めです。

〇砲台
島内の数か所で見ることができます。
遊歩道を少し歩くとみられるのですが、第一印象は「ジブリの世界」でした。
全体がさびていて、ところどころ破損していて、地面にも部品であろう物が散見されて、不思議な景色でした。

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ですが、これは兵器なんですよね。
領土と家族、自分を守るために相手のそれを破壊する兵器です。
そう考えると、非常に恐ろしいものだということを再認識させられます。

素人の私の考えですが、これで船に砲弾を当てるのって相当難しい気がします。
過去の軍人さんが同じことを考えたか分かりませんが、一発外せば場所がばれて複数の砲弾が反撃してくるのです。
その緊張感はすさまじいものだったと思いますし、一発に込める覚悟もすごかったのではないでしょうか。

〇トーチカ
これも各所で見ることができます。
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暗くて長いトンネル(?)を進んだ先に割と広い空間があり、朽ちた大砲が横たわっていました。
鉄筋コンクリート造の天井が各所で剥がれ落ちていて、経年劣化が非常に激しかったです。
私が見る限りは非常に危険な状態ですので(崩れ落ちませんが、落下したコンクリート片で大けがします)、近い将来立ち入り禁止になる気がしました。
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トーチカは外側から容易に発見できるので、待機していた軍人さんの緊張感は砲台のそれより大きかったかもしれません。
トーチカの開口に力尽きたように砲筒を乗せた大砲をみていると、いつそうなったか分かりませんが、戦時から長い時間経過したというか、力尽きたというか・・・役目が終わったように見えました。

〇弾薬庫
島内に入り込んだ遊歩道沿いにありますが、小さな島ですのでどこでも潮風が吹いているためか、鋼鉄製の壁は完全に朽ちていました。
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奥行きもそれほどなく、小規模の割には分厚い壁で仕切られており、万一爆発した際にも隣に誘爆しないようにしているのでしょう。
おそらく、扉は吹っ飛ぶと思いますが。。。

〇こちらも弾薬庫
中に入ると、当時使用していたと思われるものが残置されていました。
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既にたくさんの見学者が入っているので片づけられたものが多いと思いますが、それでも気になるものも残っていました。、
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これは何でしょうね。

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〇海軍事務所跡
道沿いにあり、簡単に見つけることができます。
基礎しか残っていませんが、想像するにそれほど大きな建物ではなかったようです。
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〇原動機付の乗り物
もう、完全にジブリの世界です、ラピュタあたりでしょうか。
置き去りにされて長い時間が経過し、自然の力に飲み込まれようとしています。
たまたま道沿いを見ていたら見つけたもので、母島ではこういう所がほかにもあるようです。
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〇探照灯
防空壕の中にありまして、非常に大きい探照灯でした。
移動させるための電気軌道車(?)らしきものも一緒にありました。
こちらも林の中にあったため、この場所から海を照射できたのか不明です。
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ガイドさんに案内されて色々な場所を見ましたが、生々しく残っている戦跡をみて色々なことを考えてしまいました。
まずは、本州からこんなに離れた島にも日本の軍人さんがいたということです。
歴史の授業でシンガポールやガダルカナル島などの遠方に日本が進軍したと習いましたが、正直全然ピンと来なかったんです。
ですが、東京から船で26時間南下した母島で実際に戦跡を見て、一気に過去の戦争のリアリティが増しました。
一般の日本国民は母島より南下できませんが、この先には硫黄島があります。
硫黄島の玉砕も、ようやく自分の中で”実際に起きたことだった”と、42歳の今頃衝撃を受けました。
いや、もちろん真実なのですが、地球が青いことに感動できるのは宇宙飛行士だけじゃないかと、私も今回はそっち側の立場に立てたから衝撃を受けたんじゃないかと、そう思うのです。

私の勝手な考えですが、今の日本人はこういう歴史というか、自分の祖先が過去にどのような世界を生きて、どのような境遇だったのかをもっと知ったほうが良いと思うんです。
それは、歴史授業のような〇〇〇〇年に何があったとかではなく、要するに二度とやってはならないことなどを歴史から学ぶべきだと思うのです。
最近は、簡単に「国交断絶」や「戦争しても負けない」など口にする人がいますが、意味わかってますか、と。
これを口にする9割の人が戦地に赴く一兵卒で、命令があれば生身を危険にさらして戦う立場なんですよ、と。
自衛隊が戦ってくれるなんて妄想で、人口が少ない小さな島国が、その逆の国と戦うとはそういうことですよ。
どうも、今時のコメントやらを見ていると、自分のことはおいといて、という意見が多すぎて不安になります。
戦時はモラルなんてありません、そういうことも過去や紛争国を見れば学べるはずです。
歴史は繰り返されると言いますが、最近の日本を見ていると確かに繰り返されてきたな、と深刻に感じるのです。

さて、これで母島の戦跡巡りは終了しました。
見終わって思ったことは、見てよかった、ということです。
母島に行くことを相当渋っておりましたが、この戦跡を見られただけでも、この旅行に来た価値がありました。

次回も続く、、、

まる。
Posted at 2020/03/29 22:47:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 日記
2019年10月14日 イイね!

2018 夏 母島旅行 1

2018 夏 母島旅行 1義父:「私が赴任している間に母島においでよ」

そんなことを言われたのが一昨年のことでした。
夏休みは北海道に行くのが定番でしたし、わざわざ暑い土地に旅行に行く気になれず時間が過ぎてしまいました。
そして昨年度が義父の赴任期限だったことから、自分の人生を考えると良い経験になるかなと思うようになり、一念発起して妻に一言

私:「よし、今年は母島に行こう。」

楽しみというよりは、あくまで人生経験を積みに行くという理由で、どちらかというとそれほど行きたいとは思っていませんでした。
旅行期間は2018年8月17日(東京発)~23日(東京着)です。

このブログは、1年間ずっと(量が多いと見積もりサボっていた)書かなかった旅行記の第二弾です。

では、、、

「2018年 夏 母島旅行」の始まりです。

恥ずかしながら、私は母島のことを名前以外は何も知りませんでした。
いや、だって、母島って・・・、あれですよ、父島と母島の母島ですよ。 ←知識が貧相
そんな母島を簡単に紹介します。

住所は「東京都小笠原村母島」です。
母島は東京都なんですよね、まぁ、これは諸事情があり知っていました。

ですが、ビックリしたのが場所です。
一般的な日本地図の配置で説明すると、東京から真下に向かうと見える小さな島があります。
いえ、大島ではなく、、、三宅島でもなく、、、もっと、もぉ~っと下の方です。
あっ、それは父島でそのさらに下です。
見えましたね、そう、それが母島です。
東京から南に約1050キロ離れたところにある島が母島です。
Googleマップで調べてみると、東京駅から北九州駅まで(車移動で12時間半くらい)がこれくらいみたいです。
・・・マジか、今調べたらGoogleアースで母島に降りられるんか!
気になる人は、Googleアースで母島へ行くと、疑似旅行ができます(驚)。

移動方法は船一択で、しかも東京の竹芝客船ターミナルから父島までは「おがさわら丸(通称おが丸)」で24時間移動し、そのあと父島から母島までは「ははじま丸(通称はは丸)」でさらに2時間移動します。
乗り継ぎ時間を考慮しなくても26時間の船旅です。
乗船価格も大人一人片道で27,000円(おが丸)+4,000円(はは丸)=31,000円と高額になり、夫婦の場合の往復料金は4倍の124,000円と目玉が飛び出ます(汗)。

以上。(短っ!)

出航予定日は2018年8月17日を予定していたのですが、なんと台風19号接近しており出航ができるか微妙な状態でした。
台風の進路は母島の南西から東京方面に向かっており、おが丸は台風に向かって航海することになります。
そして、その後には台風20号も既に発生しており、19号と同じ予想進路になっていました。

妻と自宅を出て、炎天下のなか汗だくになりながら竹芝客船ターミナルに到着しました。
今回乗船するおが丸はこちらです。

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この時点で、小笠原海運の発表を見ますと「条件付き出航」となっており、その内容は次のとおりでした(抜粋)。

「本日8/17(金) 午前11:00に東京竹芝を出航するおがさわら丸は定刻通り出航を予定しておりますが、台風19号の影響により「条件付き」での出航となります。
①航行途中で東京竹芝へ引き返す可能性がございます。
(この場合、8/18(土)父島発便は欠航となります)
②小笠原父島へ到着できたとしても、到着時刻が遅延する可能性がございます。」


えぇぇぇ・・・・・(汗)。

こんな状況なので、もう一つ心配なことがありました。

「はは丸が欠航したらどうしよう・・・。」

そうなのです、父島まで行ってもはは丸が欠航した場合は母島まで行けず宿がありません。
おが丸の乗船定員数=宿のキャパシティと思っていまして(実際は多少余裕があるかもしれませんね)、今回の船は満席のため母島に行く予定の人は父島で足止めを食らうと宿で困る可能性がありました。
さらに、そのあと台風20号がきますので旅行中はずっと宿にこもっている可能性もあり、高額な旅費を支払うのにそれはキツイです。

これは旅行をキャンセルしたほうが良いのではないか、、、

この時点で、これから北海道旅行に切り替える案が頭の中に浮上していました(笑)。

相当悩んだのですが、妻から義父に連絡を取ってもらい助言を求めたところ。。。

義父:「確約はできないが、条件付き出航なら大丈夫。はは丸も出航する。」

とのことでした。
この根拠は次のとおりでした。

・おが丸は旅客船である前に父島・母島の生活物資を運ぶ重要な使命があるため、余程のことがない限り運航する。
・小笠原海運はいけると思っているが、念のため保険として「条件付き出航」としている。
・おが丸が父島に到着すれば、母島に物資を届けるために出向時間を早めてでもはは丸は出航する。


年中運航を見ている人が言っているのですから、もう信じるしかありません。
不安をかかえたままおが丸に乗船し、まずは父島に向けて出港しました。

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誰っ!?

しっかし、、、全然台風が来てるなんて考えられませんよ、こんな天気なんですから。

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気合を入れて屋外デッキで昼食のコンビニ飯を食べたのですが、あまりに日差しが強すぎて長居はできませんでした。

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さて、今回の旅行の目的は母島に行くこと=人生経験を積むことなのですが、もう一つ目的がありました。
それは、太平洋戦争の戦跡を見ることです。
母島は大きな戦闘は無かったらしいのですが、当時の砲台がそのまま残置された戦跡が複数あるとのことでした。
本州では手を加えられていない戦跡はなかなか見られないため、この機会に本当の戦跡を見たいと思いました。
過去に母島で何があったのかは詳しく知らなくても良いのですが、過去の日本人がどんな気持ちでその場にいたのかを感じたかったんです。

そう考えると、私にとってはおが丸の航海も別の意味を持ってきました。
過去に軍属艦で母島に向かった兵士(もとは国民)と同じ景色を見られるということです。
海のど真ん中の景色は、時代が変わってもそれほど変わらないですから。
この航海のなかで、その兵士がどんな景色からどんなことを思ったのかを感じ取りたいな、と思いました。
もちろんおが丸は快適装備の旅客船ですので、軍属艦ゆえの大変さは分からないんですけどね。

出航したあとに艦内用の緩い恰好に着替え、持参のサンダルを履いて艦内を探検しました。

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東京湾から離れていくについれ揺れが大ききくなり始めました。
屋外デッキを散策していた時ですが、突然大きな揺れが起きてバランスを崩し、ガッ!、と右足薬指を鉄柵にぶつけて怪我をしてしまいました。。。
おが丸で履くサンダルはつま先があるサンダルをおススメします、結構揺れますよ。

痛みをこらえながら、こんなの軍人さんなら怪我に入らないだろうけど、初めて見る外洋の景色を写真におさめまくりました。
人生で初めて船で外洋に出ましたが、海と空しかない景色は私にとって非日常的な世界でした。
過去に母島に向かった人も、この景色を見たのでしょうか、何を思ったのでしょうか。

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感動して、ワクワクして、、、そして退屈になりました(爆)
だって、海と空しかないんですもん。
うん、もしかしたら過去の人も同じかもしれないですね(笑)。

そして夕暮れです。

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壮大ですよ。

退屈していましたが、本当に感動しました。
なんか、いろいろ思いふけてしまいますよね。

やがて日が暮れて、月明かりが海面を照らしはじめました。
月光ってこんなに明るいんですね、航海ならば立派な照明替わりになりそうです。
あらためて、この景色からは台風が近づいているなんて微塵も感じられないですね。

程なくして台風の影響でしょう、船の揺れがかなり激しくなってきました。
太平洋フェリーの揺れなんて比ではありません。
えっ、台風明けの新日本海フェリーですか?
のー、のー、まったく足元にも及びませんよ。

このころから、船酔いの症状が出始めました。
酔い止め薬(アネロン ニスキャップ)は飲んでいたのですけどね、船の揺れが尋常では無かったです。

やばいなー、やばいなー、と思いながら妻と食堂に行き、注文したカレーを食べようとして、、、食べられませんでした(汗)。

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もう、完全に酔ってしまってダメ。
なんでカレーにしちゃったのかな、ってすごい反省しました。。。

フェリーの旅は何度かしていましたので、自分はそこそこ船旅もいけると思っていたのですが、そんなの幻想でした。。。
酔い止め薬を追加で飲んだのですが、酔った後は効かない分かりませんが、快方に向かうことは全くなく。。。
この後の船旅は生き地獄のようで、隣のベッドのオヤジが騒音(いびき)を出していたことも重なり一睡もできませんでした。
自信を持って言えることは、絶対過去の兵士さんの中にも一人くらい私と同じく船酔いで苦しんだ方がいるだろうと、私はそれを体験したいるのだと!

これが人生経験ですよ! ←強がり1

なんでもね、体験しないと人間ダメなんです!! ←強がり2

耳で聞くだけじゃ身にならないんです!!! ←強がり3


この体験から、酔った時にカレーは食べるな、ということを学びました。 ←初歩知識

いやいや、もう少しタメになることも学びましたよ。
この経験から酔ったときの対処の仕方を学びました。
ここまで酔ってしまうと寝てるしかないのですが、寝方によって全然辛さが違います。
正しい寝方は、船体の船首(or船尾)方向に頭(or足)を、そして仰向けになって横になることです。
天井を見られるポジションですね。
この体勢を維持し続ければ、治りはしませんが、船酔いの症状が大分軽減されますよ。
横を向いて寝ちゃだめですよ、仰向けですからね。
もう、本当にやばいと思ったら最終手段として試してみることをおススメします。
私はこの方法で体調が少し良くなったので、調子に乗って本を読んだら再起不能になりました。。。
くれぐれも、快方に向かっても油断しないように・・・。

一睡もできずにひたすら耐え続けていたら、父島に近づいてきたようで、はは丸に関するアナウンスが流れ始めました。
内容は以下のとおりでした。

・本線は予定より40分早く父島に到着する。
・ははじま丸は運航するが、予定より早く出航する。
・本船は折り返し東京への出港を定刻より1時間早め14時30分とするため、急いで下船してほしい。


とのこと。
要約すると「おが丸もはは丸も台風が来る前にズラかるから急いで!」ということですね。
ちなみに、はは丸はたった今も父島に向かっているらしいです。
なんか、戦時中の撤退作戦みたいな雰囲気でした、見つかったら撃沈される緊張感みたいな・・・。

揺れが落ち着き始めたので、デッキに出て外を見て、、、

「陸だー!!!」

降りたら楽になる、降りたら楽になる、降りたら楽になる、、、

ようやく父島に到着し、陸に降り立ちました。

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これからさらに2時間の船旅が待っていると思うと気が重たくなります。
でも、これからの航海がおが丸の揺れをはるかに上回るものになろうとは、この時は思っていませんでした。。。

父島では義父の同僚の方が待っていてくれて(本当に色々ありがとうございました!)、はは丸が出航するまでの少しの間、案内していただきました。

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〇大神山神社
事前調査をしたところ御朱印が頂けるとのことで、こちらに来ました。
そのまま、父島のメインストリート街が見渡せる丘に案内してもらい、色々と説明を受けながら景色を堪能しました。

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頂いた御朱印はこちらです。

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もう少し高いところまで案内されると、視界が開けてこんな景色が。

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はは丸が入港してきました。

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が、小さくない!?

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この時点で、あの船に乗ったら絶対ヤバイと確信をしました(笑)。
案の定、すごかったです。

早速、はは丸は出港準備中・・・

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はは丸は自由席のため、場所取りのためには早めに順番を取らねばなりません。
みんな荷物だけ順番とりのために置いて体はどこかに行っているみたいで、我々もそれに倣って順番待ちをしました。
はは丸に乗る際のアドバイスは以下のとおりでした。

・乗船したら(船酔いするから)すぐに座敷を確保すること。

既に船酔いしている私にとっては死活問題で、必ず確保しなければなりません!
やがてはは丸の乗船時間になり、お世話になった方にお礼をいって、急いで座敷を確保しました。
アドバイスのとおり座敷は競争率が高く、あっという間に一杯になり、逆に座席はガラガラという、、、みんな船酔い対策のためなんですね。

乗客全員、降参の図

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抵抗は無駄ですからね。。。

そして、はは丸は定刻より早めに父島を出港しました。

出港間際は船体は落ち着いていたのですが、港湾から外洋に出た途端に大きな揺れが始まりました。
仰向けに横になって、ひたすら酔いに耐え続けます、、、これ2時間続くんですよ?(苦笑)

体がね、気分的には船首と船尾が逆に30度くらい上下している感じで、いままで経験したことがない船の揺れを感じます。
そして窓から外を見ると、、、

波の壁しか見えない・・・(驚)

窓の外は波の壁しか見えない

徐々に波の壁が低くなる

海面が遠くまで見える(このとき「スッ・・・」と音が無くなるんです、怖いです!)

船首と船尾の角度が一気に入れ替わり、バシーン!と船底が海面をたたく音が聞こえる

落下感と共に波の壁が高くなる

体が床に押し付けられ、波の壁しか見えなくなる


の繰り返しです。
波の上側とした側ってかなり高低差があるんですよね、気分的には建物の数階層分を上下している感じでした(実際は分かりませんが)。
そして、船って波を越える際に垂直方向で通過しないと転覆するんですよね、その波を狙ってはは丸は巧みに右左と舵をとりながら進んでいくわけです。
え、おが丸の揺れと比べてどうかって?

10倍気持ち悪くなります(爆)

断言しますよ。

はは丸の船員は本物の航海士です。

こんな海が荒れた状況で、しかも客を乗せて運航する船って滅多にないんじゃないですかね。

ちなみに、このブログを書くために気象庁のHPを調べてみたら、この日のこの海域(小笠原村)は

波浪警報

が出ていました(汗)。
生活物資を運ぶってすごい任務なんですね、いつもこんな危険なことをやっているのかと思うと、本当に頭が下がります。

そして、すーっと揺れが引いていき、窓の外を見たら緑が見え、ようやく長い長い船旅が終わりました。

母島に到着です。

長かった、、、本当に長かった、、、
雨は降っていないものの曇天で、海がきれいとか全然わからなく、南国に来た気分が全くない(苦笑)。
そして義父と再会し、15時半頃に本日の宿に到着したのでした。

いやぁ、ホントお疲れさまでした。

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夕食まで時間があったので、義父に軽く島内を案内してもらいました。

カフェはお休みでした。

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えっ、バナナ!?

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そして、お寿司屋さん?で夕食を頂きました。
母島名物(父島にもあるので、小笠原村名物かな?)、島寿司です。

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まず、量が凄い(笑)。
こちら、漬けになっているので味が付いているのですが、寿司好きの私はとても美味しく頂きました。

続いてこちらです、なんだか分かりますか?

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これね、カメの煮つけなんです(驚)。
これも母島と父島の名物らしく、今は本州から色々な肉が届くため大丈夫なんですが、昔は島に肉がないため島民にとって貴重なタンパク源だったそうです。
非常に甘い味付けがされており、ゼラチン質が多い箇所があったり、何も知らなければ素直に美味しく食べられると思います。
私はカメって知っていたので、どうしても途中で何度か食が止まりました(苦笑)。
でも、これは貴重な人生経験ですからね、義父の予想を裏切り間食しましたよ。
こんな狭い島国でも、いろいろな食文化があるのですね。
良い体験ができました。

こちらは、義父おススメの小エビ天です。

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すんごい量!

母島で美味しい夕食を頂いて、本日の観光は終了になりました。

まる。
Posted at 2019/10/14 18:26:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旅行 | 旅行/地域

プロフィール

「@yuzaki さま
こんばんは、昨日はお疲れ様でした。
ああなるつもりは無かったのですが、お見苦しいところをお見せしました😩
水曜どうでしょうのHPでミスターが韓国行く前の送別会についてのうれしーのブログを読んでたら、ミスターと私は似てるなーと。何でも本気なんですよね💧」
何シテル?   05/27 18:19
デミオドライブです。 みんカラはいつも見ているだけだったのですが、この度マツダ車2台目となる”マツダスピード アクセラ”を購入したので、ブログなるものを始めて...

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