
WRCのカテゴリーの中で歴代最も狂気と熱狂した時代が…1981年から1986年の5年間開催のグループBカテゴリー… スピードと馬力こそ最強の武器だったこの頃 観客の熱狂もあってかなりの盛り上がりを見せて行きました。
最近グループBの虜になった弟君に変わり、この私がグループBの魅力を紹介したいと思います。
覇権を争ったのが
トヨタはトヨタセリカツインカムターボ
日産は日産240RS
マツダはマツダRX-7
ダイハツはダイハツシャレード926ターボ
MGはMGメトロ6R4
ルノーはルノー.5マキシターボ
シトロエンはBX4TC ヴィザミルピステ
オペルは オペルマンタ400
ポルシェは911SC-RS
フオードはフオードRS200
プジョーはプジョー205ターボ16
アウディはアウディクワトロから始まりスポーツクワトロに進化して最後に魔改造されたスポーツクワトロS1
ランチアはランチア037 ランチアデルタS4が参戦しました。

1970年代のアルピーヌA110 フィアット131アバルト ランチア ストラトス フォード エスコートと当時のラリーカーは自然吸気エンジン 駆動方式は全て後輪駆動
この時代にはままだ無かったある部品と駆動方式が80年代から始まる狂気のパワーラリー時代の幕開けを告げる事になりました。
1つはターボエンジン もう1つは4WD技術そしてこの2つの技術がラリー界の常識を根本的に変える新たな時代の幕開けとなりました。

当時のラリーカーは観客ギリギリの走りをして行きましたので完全に人間の壁が出来ているのは日常茶飯事 ラリーカーを写真に撮りたくて引かれる寸前までコース上でカメラを構えて待つ…

ラリーカーも890キロの車重に600馬力のエンジンを搭載していましたので完全に当時のF1を超えて行きました。
ランチア アウディ プジョーの3メーカーによる馬力戦争が勃発!トヨタ 日産 マツダはこの3メーカーに対抗出来ず… そして年々と上がるエンジンの出力に対してドライバーの力量 足回り タイヤが…付いてこれず…… しかし…突如と歯車は突然狂い出すことに…

安全性を無視した結果 観客を巻き込んでの事故 ドライバーの死亡事故などが多発 1985年にはランチア037のA.ベッテガが事故死… 1986年にはランチア デルタS4のH.トイボネンが事故死 フオードRS200が観客の列に突っ込んでしまい観客が死亡…
1986年を最後にグループBは終焉を迎えました。
今回はこの狂気のパワーウォーズを展開したグループBのミニカーを紹介したいと思います。 ミニカーはすべて弟君のミニカーですが…

1981年から始まったグループBのラリーカーに初めてターボと4WDを付けて参戦して来たのがドイツ代表のアウディ社
エンジンは2.1リッター5気筒エンジン 550馬力 ミッションは1985年からシフトノブにクラッチセンサーがある6速セミATを採用(どんな技術だ?)
この年アウディ社はクワトロをベースにラリーカーを製作 この車に世界初の4WD技術とターボエンジン搭載してWRC界を席巻して行きました。
ドライバー陣営もH.ミッコラ 女帝M.ムートン ランチアから移籍したW.ロール氏と当時のエース級を揃えて来ました。

1981年から1984年までアウディクワトロラリーカーは 向かう所 敵なしの存在でしたが… 1985年になるとアウディはプジョー ランチアの戦闘力に段々と対打ち出来なくなりアウディ社はクワトロ のエアロパーツに 禁断の魔改造まで施しましたが… 1986の途中でアウディ社が…グループBの活動を自粛してしまい残念な結果に…
アウディクワトロはアメリカのパイクスピークに参戦 1985年から1987年まで3連勝を飾りました。

ミニカーは1985年のアウディ クワトロ S1です。 ドライバーはW.ロール氏が乗車 メーカーはイクソ製です。

ラリーといえばヒュンダイ? ランチアでしょう? それとも三菱? やっぱりスバル? ここはひとつセアトでしょう?
ラリー界の帝王イタリアのランチア社はグループBに合わせてランチア ストラトスに変わり新たな車両であるランチア037でグループBに挑戦して来ました。
エンジンは2.1リッター4気筒 スーパーチャージャー搭載で325馬力

この車両がグループBに参戦したのは1982年のツールドコルスラリーでデビューしました。
しかしながら…ラリー界はもはや4WDが頂点に君臨していた時にランチア037は未だ後輪駆動… しかも予算が余り無い…. なのに1983年にはメイクスタイトルを獲得…

メイクスタイトルを獲得した1983年はかなりやり方が汚い戦法を実施したランチアチーム… 開幕戦のモンテカルロラリーでは 路面に雪があるのでランチアが出走する前に路面に塩を巻く サンレモラリーではスタートの遅延を行うなどグレーな行為を連発
次期ラリーカーのランチア デルタS4の開発に少々遅れが生じている事もあって1985年の半ばまで参戦しました。

イクソ製のランチア037のミニカーです。 ドライバーはラリー界の無冠の帝王 M.アレン氏が乗車したラリーカーです。

ランチア037に変わり新たな車両がこのランチア デルタS4 Sはスーパーチャージャー 4は4WDを意味する。
ランチア デルタS4はプジョーと同じくミッドシップ4WDを採用 ターボラグが効く低速をスーパーチャージャーで補い 高速区間になるとターボが効く仕様 1986年の最終戦で馬力は600馬力を誇り パワーウェイとレシオは何と脅威の2キロ…
しかしながら…余りにもピーキーな際に乗りてを選ぶクルマとなりアルミニウム製の燃料タンクを運転席の真下に配置していた事となりツールドコルスラリーでのH.トイボネンの死亡事故にも繋がって行きました。
ランチア デルタS4は1985年シーズン途中からの参戦でしたが…グループB終焉の1986年まで13戦中6勝をマークしましたが…ランチアのワークスマシンとしては唯一の無冠のマシンとなりました。

グループBの最強マシンと言われたプジョーチームが開発したラリーカーのプジョー 205 ターボ16
監督はJ.トッド マシンデザイナーはA.コルタンツ ドライバーはJ.カンクネン A.バタネン T.サロネン
プジョー205 ターボ16は アウディクワトロ ランチアデルタS4よりも低い馬力の350馬力から始まりEVO2モデルで450馬力 1986年のサンレモラリーでは540馬力を誇りました。
プジョー205ターボ16が参戦したのが1984年のシーズン途中から 参戦していきなり A.バタネンが3連勝を記録!
しかしながら…プジョーが参戦を開始した時にはアウディの優位性が薄れて行き終焉間近…
ランチアは…デルタS4の開発が…遅れに遅れ… 未だに…後輪駆動の…037を使用中…
プジョーチームは1985年にT.サロネンが1986年にJ.カンクネンがFIAの政治的な絡みも手伝ってタイトルを獲得 プジョーチームも2年連続でメイクスタイトルを獲得しました。

ミニカーはイクソ製のプジョー205ターボ16です。 ドライバーはT.サロネン 1986年のモンテカルロラリーのミニカーです。

今では安全性が最優先ですが… この頃のラリーは安全性よりも馬力優先の時代でしたのでモンスターマシンと言われて当然ですね。
DVDで観客もこんな事を言っていましたし…既にF1を超えた!
最後に昨日静岡県熱海市で発生した土石流で被害に遭われた方々の無事をお祈りします。 救助活動を続けている方々ありがとうございます。