痛後さんが、「ローテック」のネタ書いちゃったんで、まだ書くつもりなかったクルマ長編のジャンルです~しんどぃorz
何も無かった時代、
人間が早く走ってもせいぜい時速30数キロがいいとこで、しかも走れば走るほど疲れてしょうがない。
それから時を経て、他の動物を利用することを考える。この時に出てくるのが
馬。
結局、馬を乗りこなした人間は
時速60キロ以上の速度で移動することが可能になった。
これでもまだ紀元前の話である。
さて、それから時代は進み、18世紀後半に入って、まだ出たての蒸気機関を軌条無しに動ける乗り物が世に現れた。
全長は7m超で、
人間が歩く速度しか出ない。その上、
まったくといっていいほど曲がらない。これが世界初の自動車であった。
作ったのはフランス人のニコラス・キュニョーで、1769年のことである。
だがどういう訳か、一般の教科書ではベンツやダイムラが最初の自動車として紹介されている。
うーむ、蒸気はどうでもいいってコトなのか…?
こんな遅い蒸気自動車が馬車全盛の時代に市民権を得られる訳が無く、速度規制法案まで制定されてしまった蒸気自動車は消えていくことに。

↑ニコラス・キュニョーの蒸気自動車
代わりに注目されたのが内燃機関と電気である。実際に世に出たのは電気自動車の方が先で、短い距離ながら
まずまずの速度で走るようになった…が、
馬には及ばず
そして
カール・ベンツの引き出物ガソリン三輪自動車が1885年に登場する。時同じくして
ダイムラも四輪車を完成させる。
両者の最高速度は
時速13キロ程度…遅い(笑
因みにベンツのモーターキャリッジは985ccの単気筒でMRだった。

↑カール・ベンツのモーターワーゲン
しかしバカにしていると僅か14年後の1899年には、
「フェニックス・ベンツ」と呼ばれるクルマが
時速80キロに到達。この時点で馬よりも速い乗り物に。
ところが同年、先に登場していた
電気自動車が時速100キロの壁を越えた。
ベルギー人のレースドライバー、カミーユ・ジェナッツィ駆る
「ジャメ・コンタント号」である。
でも結局、短距離しか走れない電気自動車は、距離と同じように短命で終わることに。

↑フェニックス・ベンツ

↑電気自動車「ジャメ・コンタント」(意味は「決して満足しない」)
少し本題から逸れて、日本に初めて現れたクルマの話をすると、戦後までしぶとく活動していたパナールというフランスの自動車メーカーに辿り着く。
1898年に東京に現れた
「パナール&ルヴァッソール」のガソリン車が第一号。
実はこのクルマ、
今日に至るまでのFRの礎を築いたクルマでもある。

↑パナール&ルヴァッソール、日本第一号車は紺色。
本線に戻って、ここまでの歴史で伸びた速度は
時速30数キロ→時速100キロ越え。ここからの伸びようは凄まじいものだった。
1906年、ここで最期の粘りを見せた蒸気自動車が、自動車として初めて時速200キロの壁を越える。
フレッド・マリオット駆るアメリカ製の
スタンレー「ザ・ロケット」である。この時の速度は
時速203キロ。
今から100年以上も前のクルマ、それも蒸気自動車に、市販状態のR35GT-Rは勝てないのだな(苦笑

↑スタンレースチーマー「ザ・ロケット」
速度記録挑戦車両は、20リッター越えという大排気量のエンジンを開発し、とてつもない速度へと移行してしまう。
1910年にはチェーン駆動(!)の
「ブリッツェン・ベンツ」が
時速200キロを突破した。
それから第二次世界大戦前の最期の記録はというと、ジョン・コッブ駆る
「レイルトン・スペシャル」という怪物で、
時速595キロである。(因みにこのマシンは、戦後に自己記録を更新した)

↑ブリッツェン・ベンツ、ホンダよりも古いチェーン駆動車(笑

↑レイルトン・スペシャル、謎の生物の様なデザイン
とまあ、ここから先はご存知の通り、アンディ・グリーン駆る
「スラストSSC」が
音よりも速く走って、自動車とは名ばかりのマシンで速度記録を更新して以来、記録が破られていない。

↑スラストSSC、もぅ…これはホントに自動車なのか?
では、市販車はどうだろうか?
終戦直後、一人勝ちのアメリカは50年代に、今のモーターショーが御遊戯にしか見えないくらい豪華絢爛な「モトラマ」を開催していた。
このモトラマの出品車両の中に、とてつもない速度を掲げるクルマが一台居た。
GMの近未来ガスタービンカー
「ファイヤーバード」シリーズである。

↑GMのファイヤーバード(左からⅠ、Ⅱ、Ⅲ)、これもクルマと呼ぶには(苦笑
このクルマ、今から50年以上も前にガスタービン・自動操縦といった機構を持っていて、見た目もクルマと戦闘機を足して割ったような代物だった。
気になる速度は、
なんと時速350キロ!!公式ではないが、テストコースにて記録したという噂もある。
ただ、華やかに飾るばかりのクルマよりも合理性に人々が目を向け始めると、モトラマもたちまち衰退し、ファイヤーバードもその後にポンティアックから登場した同名モデルによって、今すぐググっても出てこないクルマになってしまった。
一方、ルマン24時間耐久レースの名物ストレート「ユノディエール」にて、速度の測定が開始されたのもこの頃である。
第一回の発表(53年)では、アメリカの
カニンガムC5Rが、
時速およそ250キロを記録した。
まぁ、翌年に登場する
ジャガーDタイプが
時速278キロを記録しているだけに信憑性については疑問だが?
それよりも戦前の自重していないアウトウニオンのレースカーが時速320キロで走っていた記録もあるし、あまりレースカーもあてにならないな…

↑カニンガムC5R、こんな生粋のアメリカンスポーツカーの復活も密かに願っていたり

↑ジャガーDタイプ、写真はワークス最後の55年仕様
それから何年か経って、日本国内のメーカーがゼロヨンや最高速の記録を自慢に掲げる時代になって、
市販スポーツカーも時速200キロの時代がやってきた。
海外を見れば、先ほど書いたルマンに参戦していた
ジャガー、メルセデス・ベンツ、フェラーリが
時速250キロ手前の速度記録を打ち立てていたが。
70年代に入ると、日本にスーパーカー・ブームがやってきた。
この時に憧れの的となった
フェラーリと
ランボルギーニ
「当時のランボルギーニはまだ歴史が浅い気がするが?」という話はまた今度にしておこう
最高速度は
時速300キロと
時速302キロ
前者は
ランボルギーニ・カウンタックLP400、後者は
フェラーリ365BBである。
二つのメーカーが発表した最高速度に、当時のちびっこは熱狂したらしい。
まぁ、個人的にはただの政治的な発言に過ぎないから特に熱狂もしないと思うのだが(冷笑

↑フェラーリ365BB、意外と台数は少ないモデル

↑カウンタックLP400、カウンタック中で最もムダが無い気がする(笑
因みにこの対決は、ランボルギーニが85年に
LP5000クワトロバルボーレを登場させ、
公式に時速300キロを超えた為、ランボの勝ちである。
そんな時速300キロオーバーの世界も90年代に入るとスーパーカーとしては、常識的(?)な領域に突入してしまった。
21世紀に入る直前ではスポーツカーでもこの領域に足を踏み入れるクルマが増えてきた。
今では280psの自主規制から解き放たれたR35GT-Rも(サーキット限定で)時速300キロを越えてくる。
そして早い者では80年代後半から、
時速400キロという速度に挑み始めた…
ここまでが、なが~い前フリ。
本編を書く前に既に疲れてるんですけど…www
【追記】
写真探した…(激疲
もうゴールしt(ry
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Posted at
2008/05/13 21:59:34