人間の感情は合理的判断を曇らせるというお話
今日、仕事帰りに とある漫画本を買ったわけなんですが、、、、
これを買うのにずいぶん無駄な動線を引いてしまったわけです。
まず、自宅と職場との間に、Bという比較的小規模な本屋があります。
よくある、複合商業施設の中にテナントとして入っているタイプの本屋です。
品揃えはそれほど良くはないですが、一般的な雑誌類や、それなりに話題なサブカルチャー的書籍はだいたい置いてありますので、場所の利便性もあってそれなりに利用しております。
特に、購入する書籍があらかじめ決まっている場合は、この本屋に寄って買って帰る事が多いのです。
次に、職場とは自宅をはさんで正反対の方向に、Mという市内では最大規模の本屋があります。
こちらは敷地規模の大きさもあり、色々な書籍をそろえておりますので、特定の本だけが目的ではない場合や(立ち読みを含め、気に入ったら買う本をぶらりと探しにいく等)、少々ニッチなジャンルを買いたい場合などに利用します。自動車関連の学術書などは、ほぼここかamazonかの二択です。
立地としては、一度自宅を通り越さなければ行けない為に、”ついで”という動機では訪れることのない店ですが、営業時間が24時までやっている事もあり(Bは22時)利用頻度はBよりも多いほどです。
さて、この二つの書店の紹介を済ませたところで、今回の僕の失敗というのは、以下のようになります。
このGWに、とあるきっかけで読み始めた漫画本がありました。
その漫画の既刊は14巻まで出ているのですが、僕はこのうちの12巻まで他人から借りて読んでいたのでした。
しかし、借りることが出来たのは12巻までで、13巻と14巻は読めていませんでした。
なかなかに面白いSF作品で、現在雑誌で連載している分までのストーリーを追いたくなった自分は、残りの13と14は買って読もうと決意したわけです。
(今の自分からはコレクター的欲求はほぼ失われ、手元に全巻買い揃えたいという気持ちは希薄な為、こんな風に途中から単行本を買うとか、途中の巻だけ買うなんて事がしばしばあります)
そして、今回は購入対象が明確に決まっている為、時間のロスを最小限に抑えたいと考えた僕は、購入する書店に職場からの帰り道にあるBを選んだのです。
果たして、Bにお目当ての単行本はありました。
しかし、14巻だけでした。
どうしよう、13飛ばして14だけ読んでもなぁ・・・
そう思った僕は、ここで
今回最大の愚かな行動を選択します
よし、M書店に行って13と14を買おう(・∀・)
・・・後から振り返えってみればよく解りますが、この時のこの行動には何の利点も無く、ただ無意味にリスクを背負い込んだ、非合理的な決断であったことが解ります。
さて、話はもう少し続きます。
M書店を目指す場合、途中自宅によっても全体的な行動量はさして変わらぬ為、一度家に帰って先に晩食を済ませてしまう事にしました。
22時に閉まるBとは違って、24字まで営業しているMなら、先に晩食を済ませてから向かっても十二分に時間の猶予はあったからです。
そして、晩御飯のカレーを食べてから居間でTVを見ている母に本屋出かける旨を告げて、一路M書店に向かったのでした。
主だった周辺施設がその営業時間の終了を迎え明りを落とす中、一際輝きを放つその入り口の照明に吸い寄せられた椿象たちのスメルに夏の到来を感じつつ、僕は目当ての単行本が並んでいる書棚に何の迷いも無く辿り着き、そして己の愚かさを思い知ったのです。
14巻が......無い........(´;ω;`)
その後、様々な葛藤と悔恨の末、結局本日中にM書店で13巻を買い、Bで14巻を買って家に帰った僕は、このやり場の無い何かモヤモヤしたものをブログにぶつけ、何故過ちを犯してしまったのかを追求しようとしました。
今回の過ち、文面だけでは伝わりづらいと思いますので、
太陽系を使って説明させて頂きます。
もし無かったら地球がたちまち凍りつく太陽を
職場
実際には水なんてちっともないのに、水を被って反省を促されるという水星を
書店B
なんか奥多摩みたいな通称で親しまれた漫画作品では、勝手に個人の所有物にされた上に、頼んでいないのに守る事を懇願された事がある地球を
自宅
何も悪い事をしていないのにブラックホールにぶつけられるという散々な目にあった上に、映画の評価も散々だった木星を
M書店
以上のように当てはめて見ると、今回自分がいかに無駄な動線を動いてしまったのかがよく解ります。(わかりますよね?)
そしてよくよく考えて見れば、最初に立ち寄った書店Bで14巻だけ買っていれば、こんな無駄な動きをしないで済んだのは当然な上に、
書店Bで14巻を買わないデメリットはあっても、買うデメリットは一切無かったことに気が付きます。.
つまり、これは結果論ですら無いのです。
どのみち13も14も両方買うつもりでいたのです。だから書店Bで14を買っても買わなくてもM書店に行くという行動が変わることはありません。ということは、先に14だけを買っていれば、M書店に行ってもし14があったとしても、13だけ買えばいいわけで、そこには何の損失も無かったはずなのです。
セット購入による割引などがあれば別ですが、こと書籍というジャンルに限って、そのようなものは現状この日本では皆無であることは言うまでもありません。
M書店になら、13も14もあるはずという根拠の無い妄信。
もし、M書店に無かったらという十分可能性のあるリスクを考慮に入れない怠惰。
買うならば2冊まとめて同じ店という、メリットの無い無駄な拘り。
この三つが、無駄な時間と無駄な化石燃料の消費を招きました。
結局、今回の行動論理においては、最初の書店Bで見つけた14巻を、その時点で買うという選択肢こそが正解で、そんな答えは小学生だって解る事で、そこに異論を挟む余地などなかったはずなのに、実際には間違った行動をしてしまったという事実だけが残った。
ここで、今日のところは13だけを買い、14を買うのは明日の仕事帰りにすれば、まだ行動ロスは最小限に抑えられたというのに、愚かにも僕は来た道を戻る悪手をうってしまった。
そんな一連の行動に駆り立てたのが、人間の感情という摩訶不思議なエネルギー源だったわけなんですが。
結局、そんな失敗の原因が「人間の感情」であることはわかっても、では何故人間の感情は間違いを起こすのかという事には、何度考えても論理的な答えは出せそうにありませんでした...
おしまい