昨日のブログコメントへの返信がコメント欄に書くには長くなり過ぎたので、改めて投稿することにしました。
まさかあのYTCを知っているとは、さすがこの道のベテランな事だけはありますね。
今ではヨコハマでYTCって言えば、もちろんヨコハマ・タイヤ・コンサルタントの事なんですけど、COOL じじぃさんのおっしゃるYTCってのは、あのYTCのことですよね?
歴史の闇に葬られた、もう一つのYTC。
そう、それは
”ヨコハマ ツーリング クラブ”
の事です。
ちなみに、YFCもYTCもどちらもヨコハマホイールが事の発端になったのは一緒です。
違うのは、YFCがA3Aを共同購入するためにユーザー同士が作った消費者組合を起源とするのに比べ、YTCはその名の通り、ヨコハマのホイールとタイヤを履いた車同士で集団ツーリングに行くことを目的にしており、その起源はヨコハマ社内の同好会です。
元々は、社内の有志による交流会だったのですが、いつしか規模が大きくなりオフィシャルファンミーティングの主催を行うようにもなりました。
その盛況なツーリングの模様は、当時の横浜ゴム社長の目にもとまり、テレビCMまで企画制作されたほどです。
そこでCMソングが作られることになったんですが、この時遊び心満載で作られた曲が、あの知る人ぞ知る幻の迷曲
『そこまでは行こう』
だったのです。今の若い社員も、噂くらいなら聞いた事あるかもしれませんね。
あの当時、この曲を聴いた事がある人なら、誰でも気が付いていたはずですけど、誰がどう聞いても、これは小林亜星の『どこまでも行こう』のパロディ曲でした。
なんでそんなバレバレなパクリをしたのかというと、あの当時ADVANという今までには無かったスポーツタイヤブランドという概念と製品を創りゃ、その1年後に似たような概念のP○TENZAを造り出し、高級コンフォートタイヤブランドASPECを作ったら、やっぱり1年後にはREGN○をぬけぬけと出してきて、横浜が開墾した新しい市場をその資本力の強さとマーケティングの上手さで掻っ攫っていく某競合他社に対する当て付けだったというのが、後の元社員の暴露本(*1)で明かされています。
(ちなみに、ベテランのヨコハマ社員でホンダ ストリームに同情的な人が多いのは、上記のような歴史的経緯がある為です)
そして、このパロディ曲『そこまでは行こう』は社内で大反響を呼び、某競合他社からの反発を危惧する一部社員の声もあったものの、やはり日頃からの鬱憤がたまっていた社員が多勢を占めていたことから、「喧嘩上等」との威勢良い掛け声から「九州の猿真似足袋屋なぞ恐るるに足らず 足袋だけに!」との何だかよく解らない駄洒落まで、社内は全面対決ムードでボルテージは最高潮に達していました。
しかし、ここでこの企画の内容が『どこまでも行こう』の作詞作曲を手がけた小林亜星の耳に入った事で風向きが変わります。
小林亜星の著作曲を管理する有限会社金井音楽出版より、弁護士を通してYTCに警告文が届いたのは、丁度 社内の会議室で『そこまでは行こう』の歌手を選考している真っ最中でした。
当時新進気鋭の新人歌手だった稲垣潤一か、既に往年の人気GS ザ・サベージでn人気と実績のあった寺尾聰の二名に絞った決選投票を行っていた最中だったものの、急遽投票は中止。会議の名目も歌手の選考から一転、訴訟対応となり会議は明け方まで紛糾しました。
(なお、この日関東地方一帯では夜半過ぎまで雨模様が続いており、後にヨコハマのCMソングとして大ヒット曲となった稲垣潤一の『ドラマティック・レイン』は、実はこの時の会議の様子を歌ったものではないか? との説があります。それによれば歌詞の一節「雨の音さえ隠せぬ罪」とは著作権侵害のことを指しているのだとか*2)
サーキットやマーケットで競合他社と喧嘩する事には何の躊躇いもなかった武闘派社員達も、まさか法廷で音楽業界相手に喧嘩する事になるとは予想だにしていなかったのです。
ADVANで磨いたハイグリップタイヤの技術も、ASPECで培ったパターンノイズを抑える技術も、弁護士が持つ六法全書の分厚い壁の前では無力でした・・・
結局、YTC主導で企画立案されたテレビCM企画は凍結、そのテーマソングと共に闇に葬られ、陽の目を見る事はありませんでした。
この企画の白紙撤回によって、会社は百億の損失を出したと言われています。
それによって、この年の賞与がタイヤによる現物支給で行われるとの通達が経営陣より発表された為、一部工場で抗議する社員による大規模ストライキが発生。
(この時、作業の手を止めた工員達が、一斉に「(働かなくても)ええじゃないか」と叫びながら場内を練り歩いた為、この地方に伝わる歴史上の出来事になぞられて 『浜ゴムええじゃないか騒動』と呼ばれている)
そして、一連の騒動の責任を取り、当時YTCの総代を勤めていた越 完治氏が引責辞任をして会社を去り、YTCは解散されることになったのです。
(ちなみに、退社した越氏はその後、アザラシを担で歩く声のでかい青年がいるという地元で、実家の八百屋を継いでいます)
後に、小林亜星と服部克久との間で盗作騒動
(俗に言う『記念樹事件』)が勃発したとき、世間では「ぱっとさいでりあ~」でひょうきんなイメージのあった小林亜星の著作権に対する非常に厳しい姿勢を見て、小林亜星への認識を改めた人が多かったといわれていますが、実はそれよりも前に密かに起きていた元祖・盗作騒動を知る元YTCメンバーは、皆口を揃えて「いつかこうなると思ってた」と呟いたとか。
-参考資料-
*1 明美書房刊 『越、会社辞めるってよ』 越 完治著
*2 東都スポーツ新聞社刊 『噂の真相 ~これが隠された真実だ~』
ちなみに、
信じる
信じないは
自己責任で。(´・ω・`)
Posted at 2015/07/22 03:03:35 | |
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