■昨年まで、アルファロメオMiToを所有していた。理由は名前が私の息子と同じだから…も少しあるが、純粋に試乗した瞬間、全身を電気が走り抜けるように”シビレた”からに他ならない。アルファロメオにとって久々に登場したMiToは口の悪い人に言わせれば”中身はフィアット”だし、確かにそれを感じる部分はあったけれど、私が何よりもシビレたのはハンドリング。メカニズムはフィアットと共通だったけれど、そこには確かに”Taste of the Alfaromeo”と記してあまりあるほどの個性的な味わいがあった。そしてそれが主たる購入動機だった。
■アルファロメオMiToはFFハッチだ。しかしハンドリングの考え方はいわゆる日本のFFのセオリーからすれば、
「ありえない設定」といっていい。いや、正確にいえばスズキのスイフト/スイフトスポーツはそのセオリーを知っているけれど、他の日本ブランドはしらないハンドリングの考え方だ。いやいやもう少し正確にいえば、ニュルで亡くなられたトヨタのトップガンである成瀬さんはこのクルマのハンドリングが非常に興味深かったようだ。
■アルファロメオのテストドライバー氏は、親父もテストドライバーだった。おそらく無意識のうちにアルファロメオのハンドリングというものを刷り込まれたはずだ。MiToに乗ると、すぐに納得が行く。テストドライバー氏はアルファロメオとしては久々のFRだった8Cコンペティツィオーネも手がけたが、これも乗った瞬間からアルファロメオのテイストだった。なぜ? 僕はアルファロメオのFRなんて、75に一回乗った切り。だからアルファロメオ経験の99%はFFモデル。なのになぜ? しかも8Cは、その要素からするとイタリア他ブランドの味でもおかしくないはず。しかしアルファ味。この事実こそが、アルファロメオらしさをハンドリングで表現できる彼らの実力なのである。
■MiToのハンドリングに感激して自分で所有した私は同時に、マツダのロードスターを5台所有した経緯がある。これはもう皆さんに説明するまでないハンドリングの素晴らしさを持っている。私はロードスターをこう評している。
「このクルマより速いスポーツカーはたくさんある。しかし、このクルマより楽しいスポーツカーを僕は知らない」
つまりそれはハンドリングの素晴らしさを暗に語っている。
■ロードスターは「人馬一体」と称されるハンドリングを持つ。FRだからこその人間の感覚に親和性の高いハンドリングがそこにある。そしてこのクルマの誕生は、世界中にオープンスポーツを復活させるムーブメントとなった。その理由のひとつに、人間の感覚に近いハンドリングがあったことは間違いない。これは今回の話においては結構重要なポイントではないかと私は思っている。
■ロードスターもそうだし、MiToを始めとするアルファロメオも、ハンドリングにおいて共通項目がある。端的にいえば、一体感、という表現だろう。しかしそれは実際に何なのか? これは単純にタイヤのグリップや固めたサスで”力づくで”曲がるのとは対極にある、サスペンションを存分に動かし、ボディの動きまでをも使って”クルマなりに”旋回する、ということ。詳しい話は割愛するが、ここがキモなのだ。
■そしてその上でさらにマツダとアルファロメオではハンドリングに違いがあるのだけど、それはまた次の機会に記したい。
■何が言いたいといえば、そもそもの素地として両社の命ともいえるハンドリングが構築できるだけの考え方を持っているのである、マツダのプラットフォームは。そしてこれはいかにマツダの創るものが品質だけでなく感覚や表現の土台として認められているかの証でもある。アルファロメオといえば、フェラーリの生みの親ともいえるブランド。そのブランドがマツダと何かをシェアする、という意義は実際の製品よりも大きいと私は思う。いや仮にアルファはどんな土台を使ってもアルファロメオ味にできるとしても、その土台がマツダであることの意義はかなり大きいはずだ。
■そして同時にいちクルマ好きとして、これほど嬉しいことはない。マツダはもともと期待できるメーカーで、アルファロメオももともと期待できるメーカーである。そんな2メーカー間で新たな化学反応がこれから起こる。その先にあるのはおそらく、我々が笑顔になれる瞬間だ。
■そうした期待を込めて、今回のニュースを受け止めようと思う。もちろんその裏側には様々な事情があるかもしれないし、私がここに記したことなど関係のない話かもしれない。しかしそれでも我々は、期待せずにはいられない。なぜなら、どちらにしても我々の喜びや楽しみや夢や憧れは今回の話によって確実に2倍になったのだから。
Posted at 2012/05/23 22:48:42 | |
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