2011年03月30日
をしていた自分に気付く。あの時も被害に遭ったが家族の生命は助かり、半壊ながらもその日中に電気は使え、不自由ではあったが生まれ育ったあの家で最後を過ごせた。タイミングというのは誠怖いもので、自宅に届いた地デジ対応TVに初めて映し出されたのは生々しい被災地の映像でした。映画ではない現実の「崩壊」を目にし、あの日ベランダから見た住み慣れた町の変わり果てた姿、それ以上に辛い有り様にただただ呆然と、どう表現すればよいのか分からない想いがこみ上げてくるのでした。
あの頃、私は学生時代のクラブ仲間と毎冬スキーを企画して行っており、その幹事役みたいなことをしていました。当然その時も「今回は中止にしようか」と廻りが気遣ってくれました。私もその方が良いかなと思っていた所、両親が言いました。
「幹事役で今まで準備してきたんやろ?皆も楽しみにしてたんやろ?兄貴は怪我したけど命に別状はないし、気にせんと行ってこい!」
そんな言葉でした。その時の私は「それでいいのかな…」と思いましたが、結局はその言葉に甘えてスキーに行きました。案の定行きの列車はガラ空きの1両貸切状態で、普段なら煩くもないし喜べる所でしたが複雑な心境でした。降りた駅からタクシーで宿へ移動中、運転手さんとの会話で私が被災者であることを知り、さすがに驚いていました。それでも「良く来てくれたね!ありがとう。存分に滑って帰ってね!!」と感謝してもらえました。そしてその運転手さんが口にしたのは「関西のお客さんが皆キャンセルで民宿で潰れている所がある。」というものでした。
その時ハッと気付いたのは両親の言葉でした。もしあの言葉がなければ私はこの場に居る事はなかったでしょう。その事によってまた誰かが被害を被る。両親はそれを伝えたかったのかもしれないと。
今回もあの時のように自粛ムードが広がっているようです。でもその自粛によって更に被害を被る方もいるのだという事を知って欲しいのです。確かに大手を振って楽しむのは被災者の方々にとっては失礼かもしれません。ですが、負のスパイラルのような事は可能な限り避けたいと思うのです。
今回の震災で新しい交流や出会いの中で、残された方々は長い時間が掛かるとは思いますが新しいスタートを踏み出して欲しいと切に願います。そしてこの先、
「この出会いがなければ、今の私は無いのだな・・・。」
と思える日が来るように一歩一歩歩んで戴きたいと思います。他愛も無い一個人の経験談として・・・
被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。
亡くなられた方々へ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
Posted at 2011/03/30 13:45:16 | |
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2011年03月13日
が今日自治会からきました。日時や回収場所等詳細は決まっていませんが、とにかく
水
は届けたいです。
Posted at 2011/03/13 20:58:53 | |
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2011年03月12日
被災経験者として、阪神淡路大震災を上回る規模で非常に心痛む惨状です。特に阪神との決定的な違いは津波被害と原発被害でしょうか。小学生の社会の授業でチリ沖地震での被害を学んだ記憶がありますが、地震発生から津波到達までの時間があまりにも短時間であったのでしょう。
とにかく何か出来ることをします、ほんの僅かな力でしかないですが…。
阪神でもありましたが、被災に乗じて悪いことをする輩が出ないことを祈ります。
Posted at 2011/03/12 20:59:32 | |
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2011年03月10日
があって、経過報告を聞きました。
もう暫くお待ち下さい。<(_ _)>
維持り続行中・・・。
Posted at 2011/03/10 22:25:46 | |
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2011年03月09日

近いですが意外に見ないですね。
Posted at 2011/03/09 22:51:44 | |
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