岩稜、美しい草原と森林の乾徳山に登りました
乾徳山の山名は、武田信玄の墓所のある恵林寺の山号となっています
夜明け
乾徳山登山口バス停脇駐車場
案内板があります
明るくなるのを待って行動開始
しばらくは徳和川沿いの林道歩きです
乾徳山前宮神社にお参りをして
駐車場から30分ほどで登山口着
いよいよ、ここからです
朝日を浴びて輝いています
植林された林道跡を横切りながら
つづら折れの急登を詰めていきます
シカに遭遇
距離を保ちながら警戒している様子です
銀晶水
水量が少なく、砂混じりのため、
手を洗うだけにします
落葉の季節は木漏れ日が心地よい
駒止
林の奥に巨岩
大きな石が目立つようになってきました
間を縫ってジグザグに登ります
錦晶水
銀晶水より水量多く、喉を潤していきます
登りが緩やかとなり
国師ヶ原
岩稜を頂いた乾徳山が目の前に現れます
国師ヶ原十字路
恵林寺を開いた夢窓国師が修行したと伝わる乾徳山に地名として残っているそうです
極楽平との表記もあり、名前の通り美しいところです
高原ヒュッテ(避難小屋)を過ぎ、小一時間の急登を登り切ると
この景色が広がります
月見岩
扇平
夏は高山植物のお花畑になるそうです
南アルプス一望
稜線上の別世界
目指す山頂が目の前に大きく迫ります
扇平の端から岩稜を縫う急登です
乾徳山の真骨頂はここからですが、
すでに1000m以上のアップで腿が張ってきています
最初の関門の鎖場
岩壁を横ばいで進みます
抜けると素晴らしい景観
ですが、手前の岩は板状で向こう側がスパッと切れています
高度感抜群で、あまり見ていると足がすくんで動けなくなりそうなので、先に進みます
写真撮る余裕ないところで、
固定ロープや鉄梯子の登下降が数カ所あります
カミナリ岩
私の技術、体力(と度胸)では基本的な3点支持だけでは通過できず、鎖を頼りに登ります
胎内と名付けられた巨岩
鳳岩(おおとりいわ)
20m近くの高さがあろうかという垂直岩壁です
長い鎖がかけられています
鎖に完全に頼り、体を持ち上げる箇所があります
岩の裂目に慎重に足場を確保して、止まらずに、声を出して鼓舞しながら登ります
登り切ると
乾徳山2301m
山頂です
駐車場からの標高差1201m
360°
視界を遮るものはありません
南アルプス
北側
黒金山方面
コーヒーで一服
人気の山で快晴ほぼ無風の好条件
狭い山頂が登山者で溢れてきたので
名残り惜しいですが、下山開始します
鳳岩には迂回路がつけられています
こちらも梯子、鎖場です
突き出した岩に乗り、写真を撮る方がいました
髭剃岩
顔を擦るぐらいに狭い、ということでしょうか?
岩の裂目を抜けると目の前に南アルプス
足元は断崖絶壁です
扇平まで戻り
月見岩の分岐から別ルートへ
道満尾根へ
緩やかな道
この後、急降下します
落葉が道に積もり、石につまづいたり、滑ったりで何度か足を取られます
林道と交差して
大平高原への道を分けます
『徳和』の道標に従い進みます
ここから再び急降下の連続です
道満山と思われる付近は緩やかな道ですが、延々とつづら折れの道を下降します
ふと見上げると
まだ色づいた葉が残っています
何かを焚いている匂い
昼を知らせる時報
徳和の集落が近いことを感じます
徳和峠
ここで登山道は終わりです
月見岩から正味2時間強かかりました
名残りの紅葉が出迎えてくれました
林道を進むとゲートが閉まっています
通り抜ける隙間が見当たらない・・
獣除けでした
登山道沿いでもシカ除けの防護柵や有刺鉄線、樹木食害防止ネットを多数見かけました
保護動物との共存はどの地域でも課題のようです
意図せず、の写真です
里山の風景
県指定文化財
旧坂本家住宅
駐車場のすぐ近くに美しいお寺
出発時には気づきませんでした
吉祥寺
承元年中(1207~1211)に武田信光が石和館の鬼門除けとして、甲斐源氏の祖、新羅三郎義光より相承した毘沙門天を安置するために開創したと伝えられています。
その後、永禄8年(1565)武田信玄により再興され、また延宝7年(1679)にも修復再興されています
(山梨市ホームページ)
ご本尊
ご開帳されていて、直接拝すことができました
徳和峠から15分ほどで駐車場に無事到着です
標高差1201m
行動時間は正味7時間30分
何とか歩ききりました
きつかったですが、充実の山行となりました
山中では行動食だけで空腹です
まずは昼食へ
車で10分ほど
山梨市営温泉施設『花かげの湯』併設の
『お食事処はくさい』さん
奥秩父、奥多摩ツーリングの際に何度か伺っています
花かげの湯は感染症予防対策のため、入場人数制限をしています
ひと風呂浴びてからと思っていましたが、断念して食事にします
ボリュームあるメニューが人気
レギュラーメニューでもかなり大盛です
『激盛』やシェア前提と思われるチャレンジメニューもあります
私はいつも
穴子天丼
山梨県まで伺ってで『海鮮』系?と思われるかもしれませんが、良いのです
穴子30cmはありそうです
丼からはみ出した両端からタレが滴っています
海老2尾 立派なのが聳えたっています
かぼちゃ
さつまいも
れんこん
なす
まいたけ
どの天ぷらも具が厚切りで大きいですが、しっかりと火が通り、上手く揚げられています
それでいて胃もたれするようなことはありません
天ぷらが多くてご飯が足りないパターンですが、完食で満腹です
隣席の女子2人組は食べ切れずにフードパックでお持ち帰り
快く応じていただけるようです
さて、
花かげの湯から10分足らずの
恵林寺です
確かに『乾徳山』恵林禅寺とあります
元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川(かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
その後、武田勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。
(ホームページ抜粋)
四脚門(赤門)
(織田信長による焼き討ち後)徳川家康の再建と伝えられるもので、国の重要文化財。 恵林寺の山号である「乾徳山」の額を門の上に堂々と掲げている。
(ホームページ抜粋)
三門
織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈が掲げられている
(ホームページ抜粋)
中も拝観します
庭園
鎌倉時代に整えられたと伝わるそうです
この先はご覧の通りです
恵林寺から道を挟み、すぐのところへ
『岩波農園』さん
昨年も12月に枯露柿を求めに伺いました
購入できるか伺うと、大丈夫とのことですのでお邪魔します
見事な柿のれんに今年も出会えました
今の時期は一度干しの『あんぽ柿』
(岩波農園さんでは『生枯露柿』と称しています)
二度干しのいわゆる『枯露柿』が出回るのは12月中旬になってからだが、今年は柿が不作で量が少ない上、今出している『あんぽ柿』の売れ方次第で『枯露柿』をどのくらい出せるかは今の時点ではわからないとのことです
あんぽ柿を土産に購入して帰路につきます
山行後の寄り道ですっかり遅くなりました
ランクル走行は260kmです
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました😊
Posted at 2021/11/21 16:10:26 | |
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