
今年の三連休も北陸へ
新横浜駅7時51分発
ひかり633号
新大阪駅行き
N700Sです
コンセントはどこ?
富士川からの富士山
岐阜羽島駅で時間調整がはいり、米原駅には約5分遅れで到着
走って在来線ホームに向かいます
接続する『しらさぎ3号』には待ってもらう形となりました
無事に乗り込んで一息つくと
30分足らずで敦賀駅着
駅到着前のアナウンスなく、焦りました
敦賀からはレンタカーです
今回の旅の相棒はカローラアクシオ
まずは道の駅『若狭おばま』へ
焼きさばやへしこさば、梅など特産品がところ狭しと並べられていて楽しい
昼食は
すし政本店さん
昼過ぎでしたが、まだ大丈夫とご主人からおっしゃっていただきました
よかった・・
下調べはなしだったので、
お勧めを伺って、お願いします
小鯛すゝ゛め寿司
程よく酢で締めた身と昆布の握りです
一人前は8貫のところ3貫でやっていただきました
焼きさばちらし寿司
酢飯に都度焼き上げる錦糸卵、薬味、そして焼きさばのほぐし身が惜しげもなく盛られています
上から甘辛いタレが回しかけられていて、一口目から旨い
名物の焼きさばもこういう食べ方があるのかと新鮮でした
羽賀寺
『鳳凰が舞い降り、羽を落としていった事を伝え聞いた、奈良時代の女帝 元正天皇(44代)が、僧行基に、寺の建立を命じ、716(霊亀二)年、創建されたと伝わる。』(公式ページより引用)
参道を案内の方からお話を伺いながら進みます
檜皮葺の資材を得るために皮を剥いだ檜は赤い木肌が痛々しい
檜皮(ひわだ)の森の案内図
檜皮葺の資材を安定的に確保するために文化庁が指定しているとのことです
ご案内いただいた方に勧められて、鐘を三度撞かせていただきました
本堂
先にご紹介した縁起と合わせて、ご本尊と他の仏像について、本堂内で詳しく解説していただきました
以下がその概要です
『ご本尊十一面観音菩薩像は、僧 行基が、元正天皇をモデルとして造られたとされ。長年秘仏であった為か、鮮やかな色彩が残されており、見る角度によって表情が変わり、語りかける様な仏様です。』(公式ページより引用)
その後内陣から仏像を間近に拝見し、後陣にも入らせていただきました。
ご朱印を納経帳にいただいて
次に向かいます
妙楽寺
養老3年(719)僧行基が本尊を彫り、延暦16年(797)空海が諸国を廻っていたときに本尊を拝して堂舎を建立したと伝えられています。
(小浜市ホームページより引用)
受付にはどなたもいらっしゃらず、呼び鈴を鳴らしても、住居の玄関先でお声かけをしても反応がないので、お留守のようです
ならば、とそのまま参道を進みます
仁王門
本堂
ご本尊は千手観音菩薩立像です
堂内にCDデッキが置かれていて、案内を聞くことができるようになっていました
以下がその概要です
『養老3年(719)僧行基が本尊を彫り、延暦16年(797)空海が諸国を廻っていたときに本尊を拝して堂舎を建立したと伝えられています。寺領は明通寺より常満保地蔵丸名を寄進されています。
本堂は鎌倉時代初期に建立されたもので、厨子には永仁4年(1296)と銘があり、若狭における最古の建造物です。桁行5間(11.51m)・梁行5間(10.61m)寄棟造桧皮葺で、和様天井は化粧屋根裏内外陣境に菱間と格子戸を入れて区画されています。外観はゆるやかな屋根の流れは豪華な王朝建築にみえます。
本尊の千手観音菩薩立像は、平安中期の作で、桧材の一木造、頭上には菩薩の顔が3面あり、その他に菩薩面・憤怒面・狗牙上出面・大笑相面21面をいただいています。実際に千本の手が整然と美しく配されており、長く秘仏であったため、今も黄金色に輝いています。』(小浜市ホームページより引用)
内陣からじっくりと拝見します
色彩は千年近く経ていることが信じられないほどに見事ですが、全ての仏像の撮影は控えていますので、写真ではお伝えできないのが残念です
入口まで戻り、もう一度お声かけしてみるとお帰りになっていたようです
ご朱印をいただくことができました
次は
若狭彦神社
若狭国一の宮です
『若狭彦神社は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(二社)に分かれていますが当神社は上社にして奈良時代の霊亀元年(715年)の鎮座であります。海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊【ひこほほでみのみこと】を若狭彦神とたたえておまつりしてあります。
ここより北1.5kmの遠敷【おにゅう】の里に下社があります。当神社より六年の後養老五年の鎮座にして豊玉姫命【とよたまひめのみこと】を若狭姫神とたたえておまつりしてあります。
両社を併せて上下宮【じょうげぐう】とも若狭一の宮とも総称しますが平安時代の延喜式にも名神大社として記載された若狭の国きっての格式の高い古社であります。』
(福井県公式観光サイトより引用)
訪れる人もなく、静かな参道を進みます
楼門(随神門)
神門で参拝します
神職は上社には常駐されていません
続いて
若狭姫神社に向かいます
『若狭姫神社は神社の記録によると、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。
祭神は、豊玉姫命(とよたまひめみこと:乙姫)です。海上安全、海幸大漁の守護神として信仰されています。』(福井県公式観光サイトより抜粋引用)
楼門(随神門)
神門から参拝します
若狭姫神社も人出は少なく、静かな参拝でした
社務所でご朱印をいただいて
本日最後の目的地に向かいます
明通寺
『大同元年(806)征夷大将軍・坂上田村麻呂創建。「文化財の宝庫」と称されるこの若狭地方において、国宝指定の本堂・三重塔をはじめ、重文の仏像など数多くの寺宝を擁する古刹です。』
(公式ページより引用)
国宝
三重塔と本堂
本堂
ご本尊は薬師如来像です
本堂内をお寺の方にご案内いただき、内陣から仏像を間近に拝見しました。
また、後陣にも入らせていただきました。
公式ページ『略縁起』にこの時に伺ったお話の概要がありましたので、抜粋してご紹介します
『延暦のむかし、この山中に一大棡樹(ゆずり木)あり、その下に世人に異なる不思議な老居士が住んでいた。たまたま坂上田村麻呂公、ある夜、霊夢を感じ老居士の命ずるままに天下泰平、諸人安穏のため、大同元年(806)このところに堂塔を創建し、居士また棡の木をきって、薬師如来、降三世明王、深沙大将の3体を彫って安置したと伝う。
※蝦夷征討に功のあった征夷大将軍・坂上田村麻呂が若狭国明通寺の開創に願ったことは、それは戦勝祈願ではなく、長年戦ってきた蝦夷たちの浮かばれない魂を弔う」ためとされています。』
蝦夷とはすなわち、その土地在住の有力者であり、自らの土地を守るために戦った人々の霊を弔うための寺の創建であっても、時の権力者からはその考えは容れられなかったとも言われているというお話しもありました
薬師如来像も桧の一木造りということです
また、堂内左手に保存されている『寄進札』の説明もいただきました
『明通寺に銭や米等を寄進したことを板に記して本堂内の梁等に打ち付けて掲示したもの。両親の菩提を弔う等,寄進の願意が記されている。時代によって形状に変遷があり,長方形の板に墨書したものだけでなく,駒形のものや黒地に朱字で書いたもの等がある。中世・近世における,地域の信仰の一形態を示すものとして貴重である。2018年度重要文化財指定。』
(Wikipediaより引用)
本堂に上がる前にお願いしていたご朱印をいただいた後、客殿の仏像を拝してから
敦賀駅近くに戻ります
地魚料理まるさん屋
1階は鮮魚店のようです
階段で2階に上がると
地元の方で賑わっています
注文はタブレット端末からというのが、今どきな感じですが、入荷のないものは画面上で最初からわかるので、良いのかもしれません
瓶ビール
お通しの大根とこんにゃく
結局
店員さんに入荷状況やお勧めを聞いてから、タッチパネルで注文します
刺身盛り合わせ(上)
かんぱち
鯛
トロ
甘えび
しまあじ
あじ
さわら
アンカン(ウスバハギ)
ひらまさ
お魚しんじょう
仕入れ状況で内容と各魚の『数』が変わるそうです
上と並の違いは量の違いだけというのも良いですね
手づくり豆腐
白えびの唐揚げ
若狭ふぐの唐揚げ
へしこ焼き
私は好みですが・・
笹漬けの三点盛り
さば
金目鯛
れんこ鯛
と、ここまでいっぺんに出てきました
日本酒は
一本義
伝心 雪 純米吟醸
いかげそ、わたときのこの朴葉焼き
(メニュー名忘れました)
どれも納得の内容です
食事だけでも丼物や定食が充実しているので、使いやすいお店だと思います
ここで軽くごはんものをいただいてもよかったのですが、
屋台のラーメン屋さんに惹かれて行ってみることにします
池田屋ごんちゃん
繁盛しています
店頭に置かれたテーブル椅子席は満席で、たまたま空いたテント内の席に案内されます
メニューは普通と大盛のみ
大盛をお願いします
大盛
鶏ガラ豚骨のあっさりしたスープ、醤油に中太多加水の麺を合わせています
酒の後にはちょうど良い
ただ、大盛はやり過ぎました
満腹で旅の1日目を終えました
お付き合いいただき、ありがとうございました😊
2日目に続きます