
今回の東日本大震災はカーライフにも甚大な影響を及ぼしました。
↓↓釜石市内に打ち捨てられた現行BRレガシィとナンバープレートが付いたままのプリウス

地震や津波・浸水等で40万台以上とも言われる車が流されたり大きな損傷を受けたそうです。テレビやネットで車が木の葉のように津波に流されていくシーンを目にされた方も多いと思いますが、一般的に自動車保険は特約が付いている場合を除き地震・津波による損害はカバーしていないそうです。決して安い車ではない、購入して間がないであろうレガシィやプリウスがこんな姿になってしまうなんて、私だったらと思うとちょっと耐えられません・・・
写真は市街地中心部のちょっとした駐車場に10台ほどの被災車両が置かれていたところだったのですが、釜石港の近くや陸前高田市中心部の広場(になってしまった場所)には、一体どのような力が働いたら車がこんな姿になるのかと思うような、ひどい姿になった無数の被災車両が置かれていました。
また、道端や畑の中、空き地などいたるところに被災車両が放置されていました。それから、これら被災車両にはナンバープレートが付いたままのものが多いです。廃車の手続きまでとても手が回らないのでしょうか…
↓↓釜石市内でボランティア活動の現場

この写真の手前に転がっている銀色の物体はフロントバンパーですが、これにもナンバープレートが付きっぱなしでした・・・
↓↓津波で被害を受けてそのままになっているガソリンスタンドとラフェスタ

震災の時、被災地での深刻なガソリン不足が大問題になりましたが、このようにガソリンスタンドが被災しているところも多かったです。これではガソリンがあっても供給は難しいでしょう。
被災地で被災した車からガソリンを抜き取る輩がいたことが問題になったことがありましたが、3月の東北といえばまだまだ寒い時期です。電気も止まっていて灯油も買えず、暖を取れるのは車しかないという限界状況下で、そういった行動に出ることを非難はできないように思います。(決していいことではありませんが・・・)
↓↓上の写真のガソリンスタンドから数十メートル進んだところの光景

遠くから見て「あ~、もう大きな船が入港するようになったんだな~」と思ってそばに寄ると、このような状況。大きな貨物船が堤防に突っ込んで座礁しています。よく見ると船の上部の損傷も激しい。
これだけ大きな船を動かすなんて、想像を絶する津波の破壊力・・・
↓↓未だに復旧していない信号機

釜石市内中心部でも復旧していない信号機はまだありました。特に津波被害の大きかった地域はほとんどの信号が消えていたり、信号機そのものが倒壊したりして無くなっています。大きな交差点は警察官が交通整理をしているのですが、それほど大きくない交差点であれば、写真のように一時停止の標識が設置されています。また、もともと信号がない交差点でも一時停止の標識が倒れたり損傷していて、一時停止しなければいけないことがわからないことがあります。ということは・・・
↓↓ボランティアセンターすぐそばで見かけた交通事故

市の防災無線で、交通事故が多発しているので気を付けるようにと放送されていました。この写真を撮った時はすぐそばの交差点で事故の調べをしていたのですが、交通事故は多いようです。上述のように信号・標識が機能していなかったり、工事業者やボランティアなど不慣れな県外ドライバーが多く流入しているということも原因のようです。
↓↓首都圏の方ならおなじみ都バス・・・・・・

・・・ではなく、被災地に東京都から無償提供された岩手県交通の路線バス。
北東北のバス会社は国際興業系の企業が多く、基本的に東京都北部や埼玉県を走っている国際興業のバスと同じカラーリングなのですが、それらもナンバープレートが新しいものが多いので、恐らく親会社の国際興業が首都圏で使っていた車両を提供しているものと思われます。(写真の岩手県交通も国際興業グループ)
その他のバスやタクシーも古いものが走っていました。新しい車両が被災して、古いものを引っ張り出さざるを得なくなっているのかもしれません。
↓↓宿泊した釜石市内の旅館の窓から見た風景。一見大きな被害がないように見えますが・・・
↓↓二階の窓の下付近にある色が変わっているところまでが浸水したところ。
↓↓この付近の建物の大半に、取り壊しを示す×印がスプレーされていました。
↓↓同じアングルで夜撮影したもの。街灯が一つだけ点いてたので、一見明るく見えますが・・・
↓↓街灯の範囲から外れたらこんな感じ。

夕方6時ぐらいになるとカラスの声が聞こえるだけ。この時間は見える範囲の家に一軒も明りが点いておらず、ゴーストタウン状態、道を行く車もほとんどいません。
↓↓陸前高田市街中心部

一緒に活動したボランティアさんから、「陸前高田は一度その姿を見ておいた方がいい」と言われ、陸前高田へ。
あまり写真なんか撮るべきではないのですが、記録のためにこの一枚だけ。写真に見えている建物は県立高田病院。
この付近は重量鉄骨で建てられていたであろう建物以外、ほんとに何もありません。
ナビの画面には「しまむら」や「モスバーガー」「昭和シェル」などと表示されますが、そこには何もありません。あの日までは、確かにそこに日常生活があったはずなのに、この現状とのギャップが恐ろしい・・・
↓↓釜石で活動していた当日の岩手の地方紙(岩手日報)朝刊の記事。

愛知県蒲郡市の金原久雄という無神経な市長が「三陸沿岸には歴史的に大きな津波が来ている記録があるのに、そこに家が建っていること自体がおかしい。」と発言したという記事です。
結論から言うと、事実としてはこの金原という不見識な蒲郡市長の言うことは間違ってはいません。現実被災地でも、昔の津波被害を知る先人の教えのとおり、高台に家を建てた集落は助かったという話を聞きました。
が、実際に被災地である三陸沿岸の各都市を目にすると、このような発言はできないでしょう。中学校の地理で習うとおり、三陸海岸は海岸線が入り組んだ「リアス式海岸」ですが、単に海岸線が入り組んでいるだけでなく、平地が極端に少ない地形でもあります。
自分が平野部の多い蒲郡にいるから、「津波が来るのになんでそんな所に住んでるんだ?移転すればいいのに」と考えているのかも知れませんが、そもそも三陸沿岸に街ごと集団移転できるような場所なんてありません。
逆に、被害が大きかった陸前高田などはこの地域にしては珍しく平野部が広く、そこに人口が集積していたため、あれだけの被害が出たとも言えます。
また再び津波が襲ってくるおそれのあるところに街を再建することは、ちょっと待ってと言わざるを得ませんが、具体的な案もないのに思い付きでこういう発言をする金原という軽率な蒲郡市長には、行政を預かる者としての深い考えなどないのでしょう。
↓↓ついでにその前日の岩手日報の記事

東海テレビ・ぴーかんテレビの「セシウムさん」問題の検証番組が、岩手の系列局で放送できないことを報じる記事です。
みん友
16nightsさんのブログに詳しいのですが、この検証番組をネットの動画で見ましたが、放送局の人員削減でチェック体制が働かなかったと言わんばかりの言いわけ満載の番組でした。
そういうことじゃなく、何の落ち度もない岩手の人々や産品に対して、報道に携わる人間自身が風評被害を拡大させるような人間性の欠如が問題なんじゃないですかね?