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まさだのブログ一覧

2011年09月04日 イイね!

福島を忘れない ~ 東京・埼玉・福島・岩手行き総括その4

先日岩手に行く道すがらお邪魔してきた、福島県いわき市在住の先輩からメールが来ました。以下その要約です。



先日はボランティア方々、会いに来てくれてありがとうございましたm(__)m
学生時代に戻った様で楽しく過ごさせてもらいました(二日酔いにさせてしまった事は勘弁ね)
地元に戻られてもう疲れはとれた?

さてさて震災直後の連絡から始まり、その後に支援の申し出、そして今回のいわき入りとホントに心、揺れました (もちろん良い方ね)

ボランティアを含め、その行動力に脱帽です。

良き友を持てた事にも感謝してます。

改めてありがとう

こちらは「何とも言えない不安感」を抱えてはいますが日々を忙しく過ごしてはいます。こういう状況の全てを受け入れて決して恨まずに前向きに進んで行くよ。
まさだも社会復帰に備えてもうちょい充電して頑張って下さいね。

距離が距離だけにしょっちゅう行き来は出来ないけどまた何かタイミングが合えば会いたいね。

それでは家族の皆様にもよろしくお伝え下さい。




この先輩は大学時代の部活動の先輩で、在学中はずっとお世話になっていました。優しくてすごく人望があり強い人だったのですが、やはり原発事故が福島に及ぼした影響で、相当不安感を持って生活しておられるようでした。

常磐道を通っていわきに近づいていくと、だんだん車が少なくなり、建設関係とか仕事で来ているような車ばかり。市内も表面的には平静でしたが、よく見ると子供の姿を見かけない・・・
でも、そんな中でも一生懸命生活している、先輩をはじめとする福島の人たち・・・
この人達に、昔のようなごく普通の日常を過ごせる日は来るんだろうか、地震に津波に原発に風評被害・・・
その後に行った岩手も大変でしたが、福島は今後何年も尾を引く被害が加わっています。なんで福島ばかりが・・・とも思いました。

そんな中、こういうメールをもらうと、福島に行って先輩に会って来て良かったなと思います。
西日本にいるとどうしても震災のことは他人事・過去のことと考えてしまいがちです。岡山から私が行くことによって、西日本の人間であっても震災のことを・福島のことを忘れていないというメッセージになったかな、多少なりとも東北の人達の気持ちが理解できたのかなと思います。

 さて、私の方は今日で3週間にも及んだ有給休暇が終わり、いよいよ明日から新しい勤務先に出勤です。この3週間のお休みは私の人生の中でも重要な意味を持ち、またほんとにいろんな経験ができた時間だったと思います。この時間を励み、また糧にして明日から頑張っていこうと思います。
Posted at 2011/09/04 18:54:23 | コメント(6) | トラックバック(0) | 震災ボランティアの記録 | 日記
2011年09月03日 イイね!

初めての道 ~ 東京・埼玉・福島・岩手行き総括その3

初めての道 ~ 東京・埼玉・福島・岩手行き総括その3 岡山→埼玉→東京→福島→岩手→岡山3000キロを走ると、今まで一度も走ったことのない道や新しくできた道もいっぱい走りました。




京滋バイパス(大山崎JCT→瀬田東JCT)

高架橋から見る一面の水田がきれい!
京都・奈良の悠久の歴史のある土地柄を感じさせます。

新名神高速(草津JCT→亀山JCT)

ズドーンとまっすぐ&緩やかなカーブ・設計制限速度140キロの広〜い道。
予算の関係で3車線ではなく2車線で開業してますが、3車線にしましょう!そして制限速度140キロで!(笑)

マジな話。新東名・新名神が140キロ制限になったら日本の車造りは変わりますよ。高速性能に優れた、骨太な車が出て来るようになると思うんですが・・・

新名神走ってる時のナビ画面

道なき道を突っ走り、たまに下道とかち合うところでリルートして、また道なき道を…wwwww
ナビ困りまくりでしたwww

伊勢湾岸道(四日市JCT→豊田JCT)

これまたまっすぐで橋が連続する気持ちいい道!
港や遠くに見える街、遊園地と沿線風景も飽きません。

首都高速中央環状線(新宿線)(大橋JCT→熊野町JCT)

これ、革命的な道ですね。3号線から分岐して走ってると「えっ!?もう新宿!?もう池袋!?」って驚きました!
3号線・5号線との合流で混むようですが、それでも早いです。
学生時代からず~~~~~っと山手通り掘り返してたんですが、これだけいい道ができると長々と工事してた甲斐があるというものですね。

あ、でも山手トンネルの暑さには驚きました。電光掲示板にも「渋滞時 山手トンネル内 温度上昇注意」ってwwww
37度とかになって、地上よりも10度ぐらい高かったですよww
それから大橋JCTでグルグルグルグルグルグルグルグル回って、目が回りましたwww
(写真は大橋JCTのグルグルが終わって目が回ったこところwww)

ついでに東京スカイツリー。

初めて見ました。遠くから見てもでけぇ!!!!!

常磐道(三郷JCT→いわき中央IC)

谷和原までは行ったことがあったんですが、その先は初めて。
茨城県南部はフラットで3車線、交通量も多くなく走り易いのですが、北部からはトンネル・アップダウンが多くなり山岳高速の様相。ず~っとフラットなんだと思ってました・・・
写真はいわき中央の手前ですが、この辺りになるとご覧の通り交通量がきわめて少なくなり、土木・建設関係らしきハイエースや2トントラックやライトバンぐらいしか見かけません。
岩手県内の道がどこも乗用車やトラックでごった返しているのと対照的でした。

大船渡三陸道路

全線開通すれば三陸自動車道となりますが、現在は部分開業で並行する国道45号線のバイパスとしての役割を担っています。
三陸沿岸はリアス式海岸で知られますが、写真の通り山も非常に美しい!こんなきれいな所が震災で苦しむなんて・・・

地方の高速道路は税金の無駄遣いと十把一絡げにされますが、三陸沿岸は国道45号線が地震などで通れなくなると、沿線地域が孤立してしまいます。各地の実情に即して、三陸沿岸のような地域は道路整備を早急に進めるべきだと思います。


磐越道(いわきJCT→新潟中央JCT)

写真は会津磐梯山。この道のおかげで道が混む東名や首都圏を通らなくても東北方面と行き来できて、時間が読めます。
郡山JCT→新潟中央JCTは帰りがけに通ったのですが、大阪・京都など西日本各地の警察車両とすれ違いました。日曜日だったので、交代部隊なのかもしれません。遠方までご苦労様です。

北陸道(新潟中央JCT→敦賀IC)

写真は北陸道のハイライト・新潟富山の県鏡の親不知付近。高速が日本海にせり出しています。
北陸方面は金沢まで来たことはあったのですが、その時はひたすら国道8号線だったので、北陸道を通ったのは初めてです。
超大トンネルの連続区間あり・広大な田んぼの真ん中をひたすら走る区間あり・街中ありでバラエティに富んでて楽しいです。
でも冬は大変なんだろうな~・・・

舞鶴若狭道(小浜→吉川JCT)

トンネルの中なので、写真が何だかよくわかりませんねww
小浜ICから乗ったのですが、小浜IC→小浜西IC間はつい先日開通したばかりのようで、ナビはもちろん、グーグルの地図なんかにも載ってませんでした。
小浜付近なんか車が全然いなくて「俺様専用道路」でしたwww

舞鶴若狭道も敦賀まで全通すると中国・九州方面と北陸方面が京阪神を通らずに行き来できるので、便利になりますね。


高速1000円が無くなってしまって、高速を使って遠くへドライブがしにくくなりましたが、新しい便利な道もどんどん開通しています。これからもいろんな所へ行きたいですね。
Posted at 2011/09/03 10:27:40 | コメント(6) | トラックバック(0) | 震災ボランティアの記録 | 日記
2011年09月01日 イイね!

被災地の車事情と町の様子 ~ 東京・埼玉・福島・岩手行き総括その2

被災地の車事情と町の様子 ~ 東京・埼玉・福島・岩手行き総括その2今回の東日本大震災はカーライフにも甚大な影響を及ぼしました。





↓↓釜石市内に打ち捨てられた現行BRレガシィとナンバープレートが付いたままのプリウス

 地震や津波・浸水等で40万台以上とも言われる車が流されたり大きな損傷を受けたそうです。テレビやネットで車が木の葉のように津波に流されていくシーンを目にされた方も多いと思いますが、一般的に自動車保険は特約が付いている場合を除き地震・津波による損害はカバーしていないそうです。決して安い車ではない、購入して間がないであろうレガシィやプリウスがこんな姿になってしまうなんて、私だったらと思うとちょっと耐えられません・・・
 写真は市街地中心部のちょっとした駐車場に10台ほどの被災車両が置かれていたところだったのですが、釜石港の近くや陸前高田市中心部の広場(になってしまった場所)には、一体どのような力が働いたら車がこんな姿になるのかと思うような、ひどい姿になった無数の被災車両が置かれていました。
 また、道端や畑の中、空き地などいたるところに被災車両が放置されていました。それから、これら被災車両にはナンバープレートが付いたままのものが多いです。廃車の手続きまでとても手が回らないのでしょうか…

↓↓釜石市内でボランティア活動の現場

 この写真の手前に転がっている銀色の物体はフロントバンパーですが、これにもナンバープレートが付きっぱなしでした・・・

↓↓津波で被害を受けてそのままになっているガソリンスタンドとラフェスタ

 震災の時、被災地での深刻なガソリン不足が大問題になりましたが、このようにガソリンスタンドが被災しているところも多かったです。これではガソリンがあっても供給は難しいでしょう。
 被災地で被災した車からガソリンを抜き取る輩がいたことが問題になったことがありましたが、3月の東北といえばまだまだ寒い時期です。電気も止まっていて灯油も買えず、暖を取れるのは車しかないという限界状況下で、そういった行動に出ることを非難はできないように思います。(決していいことではありませんが・・・)
 
↓↓上の写真のガソリンスタンドから数十メートル進んだところの光景

 遠くから見て「あ~、もう大きな船が入港するようになったんだな~」と思ってそばに寄ると、このような状況。大きな貨物船が堤防に突っ込んで座礁しています。よく見ると船の上部の損傷も激しい。
 これだけ大きな船を動かすなんて、想像を絶する津波の破壊力・・・

↓↓未だに復旧していない信号機

 釜石市内中心部でも復旧していない信号機はまだありました。特に津波被害の大きかった地域はほとんどの信号が消えていたり、信号機そのものが倒壊したりして無くなっています。大きな交差点は警察官が交通整理をしているのですが、それほど大きくない交差点であれば、写真のように一時停止の標識が設置されています。また、もともと信号がない交差点でも一時停止の標識が倒れたり損傷していて、一時停止しなければいけないことがわからないことがあります。ということは・・・

↓↓ボランティアセンターすぐそばで見かけた交通事故

 市の防災無線で、交通事故が多発しているので気を付けるようにと放送されていました。この写真を撮った時はすぐそばの交差点で事故の調べをしていたのですが、交通事故は多いようです。上述のように信号・標識が機能していなかったり、工事業者やボランティアなど不慣れな県外ドライバーが多く流入しているということも原因のようです。

↓↓首都圏の方ならおなじみ都バス・・・・・・

 ・・・ではなく、被災地に東京都から無償提供された岩手県交通の路線バス。
 北東北のバス会社は国際興業系の企業が多く、基本的に東京都北部や埼玉県を走っている国際興業のバスと同じカラーリングなのですが、それらもナンバープレートが新しいものが多いので、恐らく親会社の国際興業が首都圏で使っていた車両を提供しているものと思われます。(写真の岩手県交通も国際興業グループ)
 その他のバスやタクシーも古いものが走っていました。新しい車両が被災して、古いものを引っ張り出さざるを得なくなっているのかもしれません。

↓↓宿泊した釜石市内の旅館の窓から見た風景。一見大きな被害がないように見えますが・・・


↓↓二階の窓の下付近にある色が変わっているところまでが浸水したところ。


↓↓この付近の建物の大半に、取り壊しを示す×印がスプレーされていました。


↓↓同じアングルで夜撮影したもの。街灯が一つだけ点いてたので、一見明るく見えますが・・・


↓↓街灯の範囲から外れたらこんな感じ。

夕方6時ぐらいになるとカラスの声が聞こえるだけ。この時間は見える範囲の家に一軒も明りが点いておらず、ゴーストタウン状態、道を行く車もほとんどいません。

↓↓陸前高田市街中心部

一緒に活動したボランティアさんから、「陸前高田は一度その姿を見ておいた方がいい」と言われ、陸前高田へ。
あまり写真なんか撮るべきではないのですが、記録のためにこの一枚だけ。写真に見えている建物は県立高田病院。
この付近は重量鉄骨で建てられていたであろう建物以外、ほんとに何もありません。
ナビの画面には「しまむら」や「モスバーガー」「昭和シェル」などと表示されますが、そこには何もありません。あの日までは、確かにそこに日常生活があったはずなのに、この現状とのギャップが恐ろしい・・・

↓↓釜石で活動していた当日の岩手の地方紙(岩手日報)朝刊の記事。

愛知県蒲郡市の金原久雄という無神経な市長が「三陸沿岸には歴史的に大きな津波が来ている記録があるのに、そこに家が建っていること自体がおかしい。」と発言したという記事です。
 結論から言うと、事実としてはこの金原という不見識な蒲郡市長の言うことは間違ってはいません。現実被災地でも、昔の津波被害を知る先人の教えのとおり、高台に家を建てた集落は助かったという話を聞きました。
 が、実際に被災地である三陸沿岸の各都市を目にすると、このような発言はできないでしょう。中学校の地理で習うとおり、三陸海岸は海岸線が入り組んだ「リアス式海岸」ですが、単に海岸線が入り組んでいるだけでなく、平地が極端に少ない地形でもあります。
 自分が平野部の多い蒲郡にいるから、「津波が来るのになんでそんな所に住んでるんだ?移転すればいいのに」と考えているのかも知れませんが、そもそも三陸沿岸に街ごと集団移転できるような場所なんてありません。
 逆に、被害が大きかった陸前高田などはこの地域にしては珍しく平野部が広く、そこに人口が集積していたため、あれだけの被害が出たとも言えます。
 また再び津波が襲ってくるおそれのあるところに街を再建することは、ちょっと待ってと言わざるを得ませんが、具体的な案もないのに思い付きでこういう発言をする金原という軽率な蒲郡市長には、行政を預かる者としての深い考えなどないのでしょう。

↓↓ついでにその前日の岩手日報の記事

東海テレビ・ぴーかんテレビの「セシウムさん」問題の検証番組が、岩手の系列局で放送できないことを報じる記事です。
みん友16nightsさんのブログに詳しいのですが、この検証番組をネットの動画で見ましたが、放送局の人員削減でチェック体制が働かなかったと言わんばかりの言いわけ満載の番組でした。
そういうことじゃなく、何の落ち度もない岩手の人々や産品に対して、報道に携わる人間自身が風評被害を拡大させるような人間性の欠如が問題なんじゃないですかね?
Posted at 2011/09/01 14:07:21 | コメント(7) | トラックバック(0) | 震災ボランティアの記録 | 日記
2011年08月27日 イイね!

震災ボランティア2日目 みんカラ的ボランティアノススメ

本日の活動は、市街地中心部にある廃校になった中学校の泥出し・洗浄・周辺整備を他のボランティアさんと10人で行いました。
「廃校になった学校をなんで?」と思われるかもしれませんが、この廃校は市街地よりもほんの少し坂になった上にあって被害が少なく(それでも1メートル程度は浸水している)、今後市の施設として活用する予定だそうです。

この学校は廃校になってからずいぶん経つようで、もともとの状態があまり良くないのですが、こんな建物でも活用せざるを得ないほど、他の建物に被害を受けているということです。
浸水が大きくなかった分、昨日活動をした店舗より作業ははるかに楽だったのですが、それでも泥が堆積していました。
この作業中にも、流されてきたハンドバッグが見つかり、中に持ち主がわかる物が入っていたため、早速立ち会っていた市の担当者を通じて警察に届け出ました。

おおよそ片付いたら、高圧洗浄機で床・壁・窓・三和土を洗浄していきますが、ボランティアのメンバーの中に高圧洗浄機を使用した経験者が少なかったため、私が洗浄の担当者の大役を仰せつかりました(笑)

学生時代下宿していた整備工場で、車検の車のエンジンやシャーシのスチーム洗浄してたノウハウがこんなところで生きましたwwwwwwwww

まあノウハウといっても、シャーシ洗浄のとき同様、跳ねっ返りを浴びて真っ黒になりましたが…
昔、泥やオイルや漏れたドラシャジョイントグリスを浴びていたのを懐かしく思い出しましたwwwwwww

本日で釜石でのボランティア活動は終了となります。出発直前に予定変更したりドタバタし、結局活動の正味日数は2日とごくわずかなものになってしまいましたが…

今回感じたのは、ボランティアに向き不向きってあんまりなくて、ほんとに誰でもできることだなということです。
誰でもというのは、我々みんカラユーザーでも同じです。
というか、車好きなみんカラユーザーだからできる支援もあります。
車が運転できる・車が出せるというのはボランティアの移動手段確保や、トラックなどでゴミ・瓦礫や資材の運搬で重宝されます。今回我がスイフトをボランティアさんの市内移動の足として使いました。
大人数での移動の場合には、もちろんミニバンのような車が有利ですが、今日の活動場所は駐車場やアクセス道路が狭く、同行したボランティアさんの大きなミニバン(アルファード)だとやや走りにくそうでした。こういう時にスイフトのようなコンパクトカーゆえの有利さもあります。

それから、今日私が行った洗浄作業でいうと、みんカラユーザーの皆さんの中には洗車・メンテナンス用にケルヒャーなどの高圧洗浄機をお使いの方もおられると思いますが、ケルヒャーを使ったことがあれば十分対応できます。

私のような車が好きなことしか能がない人間でも、多少なりとも役に立ったのかなあ、車好きゆえに役立つこともあるなあと感じました。

今夜はまた旅館に泊まり、明日は朝食をとってから帰宅します。明日中に家に着けるかな〜?
Posted at 2011/08/27 20:33:24 | コメント(6) | トラックバック(0) | 震災ボランティアの記録 | 日記
2011年08月26日 イイね!

震災ボランティア1日目 ハッキリ言ってナメてました………

震災ボランティア1日目 ハッキリ言ってナメてました………先程、今日の釜石での震災ボランティアの活動を終えて旅館に入りました。

 今朝は釜石市の西に位置する遠野市を7時前に出発し、8時前に釜石市災害支援ボランティアセンターに着きました。
 8時半にオリエンテーションを行った後ボランティア登録、ボランティアニーズとのマッチングを行います。
(表現が悪いのですが、日雇い労働者の寄せ場みたいな感じ)

 今日ボランティア活動を行う人は、他県の社会福祉協議会が集約した団体ボランティアの方(100人ぐらい?)と、個人ボランティアが30人ぐらいでしょうか。
 マッチングの結果、私は今日初めてボランティア活動を行う人中心のグループで、各地から送られてきた支援物資のお米(30キロ袋入り)を市内各世帯向けに5キロずつ小分けにするという作業を行いました。

他のボランティアさんと二人組になって作っていくのですが、12人ぐらいがかりで3時間で4トンぐらいをさばきました。
なぜかみんな無心に「生産」していて、社協職員の方から「競争じゃないんでゆっくりやっていいですよ」といわれるぐらいでした(笑)

で、米袋づくりは午前中で終了する作業だったので、とりあえず昼食をとってから再度マッチングの結果、午後の作業は個人のお宅(個人商店)の瓦礫撤去です。
画像はその時のもので、そのお宅の横にある広場(というか建物が流された後、たまたま空き地になっている空間)に車を止めているのです。
私のスイフトの周りのワゴン車等はみんなボランティアが乗ってきた社協の車や借り上げのレンタカーです。
最初のマッチングの際に車が運転できるか、自分が乗ってきた車を出せるか聞かれるのですが、基本的に車が足りていないので、移動用の車が出せるのは歓迎されるようです。
スイフトにも私以外のボランティアさんを乗せて、足として使いました。

で、この瓦礫撤去ですが、マジで大変です。
商店らしいのですが、コンビニより少し小さいぐらいの店舗の中はまさにゴミの山!
上の方には商品だったらしきものや木材、壊れた家具などどちらかと言えば軽いものがたまっていて、それを取り除くのはそう大変ではないのですが、スコップで掘り返していくと、下の方にたまっているのはガラスとヘドロ、そしてなんだかわからないかたまりばかり!
処理の際危ないので、ガラスは拾い集めるのですが、ガラスが多過ぎて集めるのが大変なうえに、ベニヤやプラスチックとかボール紙だと思ったものが、泥まみれのガラスなので不用意に触るとケガしそうで恐い!
ちょっとゴミの山に足をかけると、足の下でバキバキいう音が聞こえて、足にガラスが刺さるんじゃないかという気になります。

タイトルの「ナメてた」というのはこの辺のことで、実は事前にセーフティーインソール(鉄板入りの靴中敷き)を持って来て下さいというのは聞いていたのですが、「そうたいしたことないだろう」と思っていました。
実際にはセーフティーインソールがないと、足に大ケガをしかねません。

また最下層のヘドロは、震災から半年近く経過しているのに、水分たっぷりでベチャベチャ!
そして悪臭!磯の匂いがもっと濃縮されたのと人糞の入り混じったような臭いです。

作業そのものは4時前に終了し、瓦礫はまだ少し残っているのですが、相当きれいになりました。

ただ、この片付けた後の店舗で商売ができるのか……というレベルで、所有者の方は今後相当大変だと思います。

本日はこれにて…ですが、けっこう疲れました。これから風呂入ってきます…
Posted at 2011/08/26 17:26:03 | コメント(8) | トラックバック(0) | 震災ボランティアの記録 | 日記

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