
↓ 県道4号線。かつての菅平有料道路。

東御市の滋野でR18から分岐し、上田市真田町横沢でR144に合流。上信越自動車道がなかった頃は、首都圏から菅平高原への近道として機能していた(かもしれなぁ)道路だ。(たぶん県はそのつもりで造ったのだろう。思惑どおりにはいかなかったみたいだが😏)
↓ 今回の主要な舞台。東御市祢津地区。
まず東御市に向かうため、千曲川堤防道路を走る。
↓ 上田市の小牧橋をくぐる。

道路の右手にあるのは北陸新幹線。道路とともに橋の下をくぐっている。
↓ 橋の下を過ぎると上田駅(高架)に向かうため、グングン上る。

↓ 上田駅と反対方向(東京方向)。別の道路の下をトンネルでくぐっている。

↓ さらに東京方向に向かって堤防道路を眺めると……。

↓ 遥かに北陸新幹線千曲川橋梁(上田ハープ橋)👀
北陸新幹線の名物場面を見た後、旧北国街道に進入して東御市方面に進む。
↓ 上田市大屋ではR152が右手へと分岐する。

このままR152は浜松市へと続くのだ。途中、途切れるけど😉
↓ しなの鉄道大屋駅

この辺りの生糸を集積し、横浜港へと送る起点として開設された駅。木造の駅舎は趣がある😃
さて、寄り道はこのくらいにして、4号線を紹介❗️北国街道の海野宿を過ぎたところでR18に乗る。
↓ R18の「菅平口交差点」が4号線の入口。

長野市へは県道35号線経由で、菅平へはR144とR406経由で到達する。
4号線を進み、祢津地区に入ったところで寄り道。是非ブログに載せておきたいものがあるから。
↓ 祢津地区に止まった30くん。

↓ 地区内を東に歩いていくと、この標識に出会う。

目指すは「東町歌舞伎舞台」である。なお、右手矢印の指す「新張(みはり)一番観音」は、だいぶ前にブログにて紹介済み。地蔵峠(湯の丸高原)越えで嬬恋村に向かったときのもの。
↓ 左の道が真っ直ぐ小高い森へと延びる。

↓ 突き当たりに石段

↓ 上り切ると歌舞伎舞台の解説板が立つ。

↓ 先に行くと標柱も立つ。

↓ 歌舞伎舞台前の広場。観客の座る所だ。

↓ そして、これが歌舞伎舞台である❗️

舞台の扉が閉まっているので分かりにくいが、上演時は全開され、その中のステージで歌舞伎が演じられる。
日本各地にこのような農村歌舞伎の舞台が残っているだろうが、ここのものは回し舞台やセリ上がりが完備されている本格的な舞台である❗️
↓ 舞台と観覧席を合わせてパシャ‼️

↓ 裏手に回ってパシャ❗️

↓ なお、舞台は神社の境内に建つ。
↓ 見学後、先ほどの石段を下っていくと素晴らしい景観が見えた😃

↓ 祢津の街並み

祢津には、上田〜小諸を繋ぐ、地元で「祢津街道」と呼ばれる北国街道の脇街道が通っていた。
また、祢津は祢津氏の本拠地でもあった。信濃の名家「滋野氏」の傍流として望月氏、海野氏とともに力を持っていた土豪だ。なお、真田家は海野氏の系列と言われている。
そういえば、真田十勇士の中に「海野六郎」「望月六郎」「祢津甚八」がいるよね🧐
↓ さて、東町の後は西町だ❗️西町に移動した30くん。

↓ 歩いていく途中、火の見梯子(というのかは知らない)があったので、面白いなと思ってパシャ‼️
↓ 西町の神社にやってきた。

↓ 境内にある立派な解説板。

そう❗️西町にも歌舞伎舞台があるのだ‼️
↓ 東町とは違い、こちらの観覧席は平な境内そのもの。

↓ 南側に回り込んでパシャ❗️

↓ 西側(裏手)

かつて、東御市の中学校に勤務していたとき、東町・西町の両舞台とも中を見学させていただいたことを懐かしく思い出す😊
↓ 舞台の裏手からは祢津城山が間近に望める。

↓ ふと足元を見ると、無数の蟻地獄。

子供の頃、神社や寺のお堂の軒下でよくほじくり返したなぁとここでも懐古😊
久しぶりに2つの舞台を見ることができて満足‼️それでは、祢津を後に4号線ドライブを続けよう。
↓ 次回予告。

東御市は烏帽子岳、湯の丸山などの火山の南側に広がる斜面の街である。平な場所はほぼない❗️
4号線から烏帽子岳に向かって斜面を駆け上っていくと「金原ダム」がある。
次回はそこへ‼️
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2020/09/28 20:06:25