
1/13、御田八幡神社⛩️の坂を確認した後、飯倉交差点を越えて麻布台にやってきました。
大規模再開発が行われている麻布台ヒルズ。ここが気になっていたからです。

↑ 今回訪ねたエリア。オレンジ色で囲ったところが「我善坊谷」で麻布台ヒルズの再開発地区と一致します。
まずは台地の端にある「雁木坂」から見てみました。

うん、ここは以前と変わりない姿を見せてくれています😃
良かった‼️
次は、この坂を上り、台地の上へ。坂上を右に折れ、三年坂の坂上を目指します。
坂そのものは、かつての様相を呈していました(一部改変)が、その坂上から見る風景は一変していました😮💨
我善坊谷と呼ばれた谷地とその先に望めた六本木のビル群。江戸時代からの土地利用の名残がそのまま見られた、あの風景がなくなってしまったのです。

↑ 10年ほど前に撮影した、以前の我善坊谷🤗三年坂坂上より。

↑ 同じ箇所で見た、今回の風景😔
「何じゃ、こりゃ⁉️」と思わず声が漏れてしまいましたが、「嗚呼、やはりな」という思いも同時に感じていました。
となると心配なのが、この谷にあった坂たちの運命です。「わずかな気配でもいいから残っていてくれないかな。」と思いつつ、麻布台ヒルズの中へ三年坂を下りました。
建物内からの情景を見たり、坂があった場所の記憶を辿ってそこに行ってみたり……。
結果、3つの坂が跡形もなくなっていました。以下の景色は、もう見ることができません😭

↑ 我善坊谷からアークヒルズ方面へと上っていた「我善坊谷坂」(麻布台1丁目、六本木1丁目)坂下の風景。

↑ 「我善坊谷坂」坂上で見られた風景。

↑ 我善坊谷の真ん中を下っていた「落合坂」(麻布台1丁目)。これは坂上にあった標柱。

↑ 「落合坂」の下方から坂上方向を望んだ風景。

↑ 我善坊谷の谷頭付近にあった「行合坂」(六本木1丁目、六本木3丁目、麻布台1丁目)。谷頭の窪みを下って上る。右手は、首都高都心環状線の高架。

↑ 北側(南北線「六本木一丁目駅」方向)にあった標柱。
「行合坂」の痕跡を求めて、何度も同じ場所を行ったり来たりした私は、警備員さんたちから見るとたいそう怪しく見えたことでしょう😔
麻布台ヒルズが谷を埋めて建設すると聞いたとき、「たぶんもうなくなるんだろうな。」とは思っていましたが、実際に目の当たりにすると喪失感は大変なものです😩
そういえば、六本木ヒルズを造ったときも、森ビルは「玄磧坂」という江戸情緒溢れる坂を埋めて潰していましたねぇ。そして、情緒も何もない「さくら坂」と「けやき坂」を造った。
今回も、森ビルは同様のことをしました😠
再開発を喜ぶ人は多いんでしょうが、私みたいな人間もまた、結構いるんではないかと思います。
一度消えた江戸を感じさせる街中の風景は、二度と戻らない(日本橋以外)んですよね。(誰も戻そうとしないから。)
なお、今、麻布台ヒルズに行っても楽しみはありません。多くの店舗は、この春以降開店だそうです。さらにまだ建設中の高層ビルもあって、工事車両の出入りや工事の喧騒も多く、落ち着きません。
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2024/01/21 20:10:25