
杖突峠から高遠まで長〜い下りが続く。

30くんで快適に飛ばしていたら、緩やかな右カーブにオーバースピードで進入。左のリアが腰砕け気味になったのは、スタッドレスタイヤのウォールが弱いためだとしておこう。
さて、高遠城趾である。

ここからは中央アルプスの北半分がよく見える。やはり山々は、谷を挟んだ反対側の高所から眺めるのが一番だ。
↓ 本丸からの中央アルプス

↓ 真ん中が木曽駒ヶ岳(2956m)

↓ 駐車場の30くんと中央アルプス

城趾に行こう。ここは長野県一の桜🌸の名所だが、まだ3/21では早過ぎた。これから行くといいかも。今年は桜まつり中止だそうだが、桜はいつもどおり咲く❗️はず。

↓ 北ゲートから入る。

↓ 本丸へ

↓ 織田軍と武田軍の激戦地だということも知っておきたい。

↓ 花のない桜もいいもんだ。(負け惜しみ)

↓ 曲輪の間の空堀。深いよ!

桜はまだだったが、多くの家族連れが散策していた。老夫婦も連れ立って来ている。いいね👍
とまあ、一般人はこれで満足できるだろうが、近世史が大好物の私としては、もう一カ所行くべき所がある。そこは城の南ゲートを出て、急な坂・階段を下りたところにある。
↓ 坂上からの眺望

↓ 坂下から見上げる。
そうして到着するのが↓

↑ 「なるほど❗️」この画像を見て、そう思った貴方はご立派。知識と良識ある日本人と認定‼️
なんだか分からない人は、下の写真を拡大して解説を読もう!

↓ パンフレットの解説も付加。

↓ 屋敷の間取り

↓ 玄関

↓ 屋敷の外観
さて、絵島屋敷に行くには歴史博物館のチケットが必要だ。なぜなら、屋敷が博物館の敷地にあるから。

せっかくなので、帰りがけに展示見学。
↓ 再度パンフレットを見てね。左端に歴代城主の紹介あり。

江戸時代のほとんどの期間、高遠城主は内藤氏。江戸の内藤家下屋敷といえば、そう!現在の新宿御苑。そもそも新宿の地名由来は、甲州街道の内藤新宿(甲州街道に新しい宿場を設けるにあたり、内藤家下屋敷の土地の一部を利用した)にある。その縁で↓のごとくなったようだ。

↓ 内藤家の前は、保科家が治めていた。保科家二代城主といえば、保科正之❗️将軍家光の異母弟であり、家光の信頼が厚かった人物。明暦の大火の後、江戸城天守の再建を見合わせ、江戸の町の復興を優先させることを決めた偉い人だ❗️

↑ だから、こうなる。
↓ 博物館の前庭には、正之と母の像まで建っている。

なお、お静に縁のある「蛸薬師」が東京目黒にあるので、よかったら訪れてみよう!目黒行人坂から太鼓橋(雅叙園の前)を渡り、目黒不動へ行く途中にあるよ。私はもう4〜5回も行ったなぁ。目的はあの辺りの坂道探訪だけど、ね。
十分堪能したら城跡へ、さらに北ゲートから駐車場へと戻ろう。北ゲートを出ると藩校跡がある。いかにも歴女とおぼしき若い娘が一人、写真を撮りながら中に入っていったのが印象的だった。
最後にもう一つ。堀の中に民家が建っているのが面白かった。なるほど2階に玄関ね。
以上、高遠でした❗️
……各々方次回は、今、話題のパワースポット「分杭峠」へいざ参らん‼️
Posted at 2020/03/29 18:38:43 | |
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