2025年09月01日
高野山大門の東に、高野索道「高野停車場」が開業。
ここから、真南に13km離れた弓手原まで運材用林道・索道が開削されます。
まず牛車軌道で南下。
大門の地下をくぐり抜け、R480-町道湯川辻線-町道湯川辻辻の茶屋線を進んで、高野町-花園界にある辻の茶屋まで約5.7哩(9.12km)
次に単線式索道で南下。
辻の茶屋の緊張停車場-中南の屈曲停車場-弓手原の原動停車場まで4.5哩(7.2km)
これらの林道・索道がいつ・誰が開削したのかが、奈良県立図書情報館の「大正四五年北今西施業森林組合」の公文書綴りを閲覧して判明しました。
大正元年6月 高野索道開業
大正3年12月 奈良県添上郡東市村大字鹿野園 安井潤吉
同村大字白毫寺 奥本與三郎
が中心となって、野迫川村北今西で森林組合の準備開始
大正4年09月 北今西施業森林組合設立
弓手原索道出願(安井・奥本の二名)
大正5年06月 奥本が指令勧第3371号により 林道(大門-辻の茶屋間)土地使用許可
山林局(奈良市経由)から組合に低利資金の提案
個人で準備中の索道と林道を低利資金で組合が買収することを決定
大正5年09月 林道の内、湯川辻-辻の茶屋間は4.5kg軌条・軌間762mm敷設済み
国有林内の大門-湯川辻間は許可待ち
大正5年10月 奥本から組合に林道土地使用権を譲渡
大正6年03月 低利資金の融資決定
大正6年06月 弓手原索道から組合に特許権譲渡
大正6年11月 索道工事設計変更出願
大正7年08月 索道工事竣成営業開始
弓手原-辻の茶屋間の索道も、辻の茶屋-大門間の林道(軌道)も、個人事業としてスタートしたようです。
山林局から奈良県に低利資金10万円が割り当てられると、北今西施業森林組合から、索道と林道の買収を7万円で行いたいと希望が出ます。
山林局から、希望額には満たないものの48900円の低利資金額が通知され、索道・林道が組合に買収されています。
この後の事は詳らかではありません。
「日本の廃道 77号」に以下の記述があります
・索道は不調だった
・弓手原から中南へは牛車で山を越えた
「ハイキングノート」昭和35年発行
・大門から木材運搬用トロッコの狭いレール 湯川辻の杣の家
高野索道は昭和34年8月に廃線。
高野山道路は、昭和35年7月に営業開始。
索道は判りませんが、林道(大門-辻の茶屋)は少なくとも昭和35年までは活躍していたようです。
Posted at 2025/09/01 08:27:56 | |
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2025年08月25日
高野林道幹線軌道線の御殿川沿いを走る26林班線と、弓手原索道の弓手原終点及び製材所探索の為に、龍神スカイラインを走ってきました。
これまで、御殿川沿いの軌道線は、スカイラインが全てを上書きしてしまったと思っていましたが、スカイラインの1.9kmポストから2.1kmポストの間の御渡川左岸に、軌道跡がそのまま残っていることが判りました。大発見でした。
弓手原は、現在の未舗装車道の横に、谷側石垣で補強された旧道を発見でき、おおよその位置は推定できたのですが、特定するには至らず。
大正時代の林道と木馬道は確認できました。
林道アズマタ線・林道川瀬谷線・林道川瀬谷支線を確認
地理院地図にアズマタ谷と書かれている谷川沿いの道が「林道川瀬谷線」でした。
その一本北側を流れる谷川沿いが「林道アズマタ線」です。
Posted at 2025/08/25 16:46:51 | |
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2025年08月25日
エアコン点検して頂いた際、整備士さんから
「風量も減ってますね。フィルターもだいぶ汚れてますよ」
と、言われたのでフィルターの値段を調べました。
コーナンやイエローハットに行くと、最低でも税込み2200円くらい。
amazonだと、ボッシュのコンフォートで900円強。
除塵機能のみの、真っ白なフィルターです。
早速ポチッて交換。
新車装着のフィルターと見比べると、フィルターの折り数が半分くらいしかありませんでした。安い理由がこんなところにもあるとは・・・。
Posted at 2025/08/25 16:20:37 | |
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2025年08月21日
あまりにもエアコンの冷えが悪いので
スズキアリーナで点検して頂きました。
ガスが減ってますね。
コンプレッサーなどの機器の作動不良は無さそう。
ただ、ガスが漏れている部分の特定はできず。
ガスの補充で充分でしょう。
と言う事で、ガス代+工賃+消費税=4,730円
で、完全復活!
メッチャ冷えるようになりました。
暑い中、点検作業して、非常に判り易く説明してくれた整備士さん。
ありがとうございます。
Posted at 2025/08/21 16:16:01 | |
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2025年08月06日
明治45年に開業した「大和索道」
最初は五条二見の川端駅から富貴まで開通しましたが、大塔村の阪本まで延長され、官報によると昭和17年に金屋淵鉱業に買い取られ「金屋淵索道」が営業しました。
少なくともこの時までに、阪本から紫園にある金屋淵鉱山まで索道が延長され、鉱石運搬索道となっています。
奈良県野迫川村大字紫園字金屋淵(のせがわむらおおあざしおんあざかねやふち)
鉱山としては、立里鉱山・金屋淵鉱山・紫園鉱山があり、江戸時代から明治時代には立里鉱山が最も活発で、昭和の時代では金屋淵鉱山が活発でした。
いまでも、
・金屋淵鉱山坑口
・坑口から対岸のインクライン下まで鉱石を運んだ軌道道筋や石垣橋台
・鉱石を浮遊選鉱場まで運び上げたインクライン
・インクライン上端から立里鉱山に続く鉱石運搬軌道跡
などが残っています
私の目的は、阪本までの索道始点を捜すことだったのですが、めぼしはついたものの確実な物証などは得られませんでした。
r734 県道高野辻堂線の156-157番札間にある山側石垣は索道ポストの遺跡ではないかと疑っています。
浮遊選鉱場の最下段、インクライン下の辺りが一番怪しいのですが、土壌安定化工事が実施されていて更地になっていました。
三鉱山の労働者が多い時で数千人の村を周辺に形成
昭和30年代に閉山した時でも数百人の村人がいたようです。
現在、国土地理院のHPで、旧版地図や空中写真を詳細画質で見ることが出来るので調べるのにとても便利です
Posted at 2025/08/06 09:27:51 | |
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