二泊三日で白浜に。
GWの高速道路の交通渋滞を避けるために、紀伊半島のど真ん中を南下。
折角なので、これまで遠すぎて行くことが出来なかった、
和歌山県田辺市木守(こもり)の、「前ノ川製板所」跡まで足を延ばしました。
「木に生きる 紀州田辺木材史」
「三川村郷土誌」
「製材工業発達史」
によりますと、「前ノ川製板所」は、
・神代以来、斧をいれたことがなかったといわれる大塔山に初めて伐採事業を開始
・明治30年頃、代議士植田理太郎が経営
・合川-木守間の往来改修
・五味-製板所間はトロッコ運材/五味から下流は水運
・製板所は、日本式水車を動力とした製材機を設置
・海岸近くで発達した製材工場を、山元に持ち込んだ最初
林業に「トロッコ運材」を取り入れ、当時最新式の西洋式製材機を採用した、最初期の場所のひとつとなります。国有林最初の「高野山森林鉄道」でも、開設は明治38年です。
それにしても「前ノ川製板所」跡は遠かった。
大阪の自宅から、山の中を四時間以上走ってようやく到着。
合川ダムから木守橋に至り、更に1kmほど東進すると、酷道371の点線区間(歩行区間)の始点。この地点を実際に見ることがあると思っていませんでした。更に、通過した先が目的地。
結局、白浜には七時間もかかってしまいました。
あとで聞くと、有料道路の渋滞はなかったそうです。
でも、前の川が見られて大満足です。
注1:製板所とは、「製材所」と同義。まだ「製材所」という言葉が一般的では無かった明治時代に使用された言葉です。
注2:タイトル画像の青矢印を「前ノ川製板所跡」、黄矢印を「発電所跡」と推定しています。前の川の右岸にあり、道路は左岸なので渡河出来ず、道路から遠望したのみです。この辺りから五味付近まで急流が続くので、当時主流の運材法である流送(筏など)が出来ず、山元で製材して木材を小さくしてから、五味まで道路で運材したのだと感じました。やっぱり、現地を見て感じるのは大切ですね。
Posted at 2022/05/05 07:56:52 | |
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