東京横浜 弾丸トラベル(3丁目の夕日編1)
投稿日 : 2009年07月19日
1
せっかく東京まで来たので、約30年ぶりに生まれ故郷を訪ね歩くことにしてみた。
新橋でゆりかもめから京浜東北線に乗り換えて、降りたのは赤羽駅。
駅を降りてすぐ、見慣れないランドマークタワーらしき物が目に入った。
こんなところに観光施設ができたのかと思って近づいてみれば、なんと北区の清掃局に立つ煙突だった。
小学生の頃に社会科見学で来たことがあったよなぁ。
あの頃はただの円柱形の煙突だった。
2
清掃局を出発する塵芥収集車。
基本のカラーリングは30年前と変わらないが、背面のイチョウの葉のマークがなくなっている。
3
話は前後するが、赤羽駅から自転車をこいでやってきた道。
こんなに狭かったっけ?
昔からあるお店の看板やら、中学校やらマンションの建物の配置で、昔の記憶と照合するが、すっかり様変わりしていることをひしひしと感じる。
クルマは離合できる幅ではなく、一方通行になっている。
たしか、昔は歩道がなかったと思う。
この後も実感するのだが、この町に住んでいたら、きっと車なんて要らないと思っていたに違いない。
4
赤羽駅から、懐かしいような初めて見るような、不思議な景色に戸惑っていたら、あっという間に小学校に到着してしまった。
区立なでしこ小学校。
わたしが通っていた頃は第二岩淵小学校という名前で、その当時から校章は撫子の花だった。
「ああ、日章の旗の下 ああ、撫子の旗の下」って、校歌を思い出すねい。
この学校の前を通って赤羽駅前のダイエーまで、両親の自転車の後ろに乗って買い物に出かけたものだ。
それにしても、こんなに近かったのか。
スキーの道具を担いで赤羽駅まで歩いて「もう歩くのやだー」と駄々をこねていたのが懐かしい。
5
30年前にはなかったものの代表、東京メトロ南北線の「志茂」駅。
前述のなでしこ小のすぐ近くにできた。
この駅の出現で、わたしの見慣れた通学路をどれだけ変わったのか、感動を期待してきたのだけれど、他の変わりようが激しすぎて目立たない。
だいたい地下鉄の駅なんてそんなに景色を変えるものでもないか。
6
小学校から東へ進んで志茂3丁目。
昔住んでいた自宅そば。
この交差点でしょっちゅう野球ごっこをしたものだ。
交差点の真ん中がピッチャー、右手前の角がホームベースだった。
こんな狭い交差点だったのか。
ガードレールは新しい物に換えられているけど、配置は昔と同じ。
一緒に遊んだ野球少年と、野球大好きなお父さんが住んでいた家は、30年前と同じ表札がかけられていた。
昔よりずいぶん緑が濃いなと思ったら、昔は並木が柳だったんだ。
7
住んでいた長屋は昔の建物がまだ現役だった。
ここは父の勤め先の社宅で、島根に引っ越す1年ぐらい前に新築されたのだ。
ちょうど築30年というところか。
当時はこの路地は砂利だった。
たまに東京にも10cmぐらいの雪が積もったのだけど、このちょっとした坂でそり遊びをしたこともあった。
写真のちょうど自転車が置かれているあたりで、父がわたしの自転車から補助輪を外す作業をしてくれていた光景が思い出される。
8
上の写真から180度向きを変えると、壁当てキャッチボールをした塀が昔のままだった。
平らな壁じゃないから、ボールがあらぬ方向へ弾かれて、ボールに対する反応速度を鍛えられた…かもw
関連リンク
[PR]Yahoo!ショッピング